武内祐子さん

インタビュー&構成:徳橋功
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Yuko Takeuchi
ラテンアメリカ伝道師

大自然とフレンドリーな人たちであふれる南米は、私にとってまさに“新大陸”。是非たくさんの日本人に行ってほしいですね。

 

昨年(2017年)私たちは“名前は聞いたことがあるけど実はよく知らない国や地域”への異常な愛情をぶちまける『クニトーーク』というイベントを2回行いました。初回のテーマは北ヨーロッパの“バルト三国”、そして2回目は南米“エクアドル”。今回ご紹介するのは、多くの日本人にとってあまり馴染みがないエクアドルについて約2時間語り尽くした“南米女子”の武内祐子さんです。

武内さんは南米専門旅行会社の日本支社長として、日本人向けに南米ツアーの手配を行ない、またこれまで延べ1万人以上からの旅行相談に応じてきました。その傍らで、テレビ番組のリサーチャーとして企画段階から制作に参加するほか、日本とラテンアメリカの友好の運営に携わるなど、いくつもの顔をお持ちです。それらの活動を通じて日々南米の魅力を日本人に伝える彼女を、私たちは尊敬の念を込め、勝手に“ラテンアメリカ伝道師”と呼ばせていただいています。

私たちがこの“伝道師”に初めてお会いしたのは2015年5月、“粋プロジェクト”という団体が開催したイベントでした。“粋でカジュアルな和の祭典”と銘打ったその催しは3部から成り、My Eyes Tokyo(MET)代表の徳橋が第1部(外国人に向けた日本文化の発信)のMCを担当。そして第2部(日本人に向けたラテンアメリカ文化の発信)のMCを務めたのが武内さんでした。

それから約2年半後の2017年11月、武内さんは冒頭にお伝えしたMETイベントにスピーカーとしてご出演。小学生から社会人まで幅広い年齢層が参加し、しかも物理的にも心理的にも私たちから遠い国についてお話いただいたにも関わらず、漏れなく参加者全員を楽しませた武内さん。その巧みな話術に、私たちはすっかり魅了されました。



武内さんをスピーカーに迎え開催したトークイベント『エクアドル・ナイト~出会い、語り、食べ、遊ぶ』(2017年11月24日@妙善寺)
*撮影:土渕正則

武内さんの卓越したコミュニケーション能力は、ツアーガイドとしてのご経験もさることながら、それまでの人生でありとあらゆる背景を持つ人たちとコミュニケーションを取ってきた末に培われたものでしょう。心の声に素直に耳を傾けながら道を歩み、たとえ途中で雨風にさらされることがあっても、 自分の「好き!」という気持ちに忠実に生きてきた武内さんとの会話は、私たちの心の扉を新しい世界へと開かせてくれました。

*インタビュー@渋谷

 

インドに片思い

現在私は、日本人向けの南米旅行手配、並びにメディアやNPO活動を通じた南米文化の紹介を行っています。だから幼少の頃から南米に親しんでいたように思われがちですが、それは比較的最近の話。私が海外に目を向けるきっかけとなった場所は、実は全く別のところにありました。

私は小学生の頃から映画『インディー・ジョーンズ』シリーズのような冒険活劇や、『生きもの地球紀行』(NHK)のような海外の秘境を紹介するドキュメンタリーが大好きでした。それは私の父の影響が大きいかもしれません。父はお財布やバッグなどを作る会社を経営する傍ら、時間を見つけてはスリランカで遺跡を発掘するような人だったのです。

私は父が留守の時、当時我が家にあった父の書斎にこっそり忍び込み、スリランカやインドに関する本を読んでいました。哲学、歴史、食文化・・・本を通じて初めて触れる世界にワクワクしました。そして私は「インドに行きたい!」と強く思うようになりました。

その願いは、高校3年生の頃に叶いました。父が私をインドに連れて行ってくれたのです。自分の目で見たインドは、私の期待を全く裏切りませんでした。デジャブ体験までしたほどで、「私、この景色を見たことがある!」とまで思いました。その時父が、北インドにあるバナーラス・ヒンドゥー大学という国立大学に連れて行ってくれたのですが、ひとつの街のように大きいキャンパスに圧倒されながら「私はここに国費留学生としてもう一度来よう!」という目標を掲げました。その頃私は全く英語が話せなかったにも関わらず、です(笑)。そして実際に、留学の面接会場だった東京のインド大使館に行きました。私より年上の人ばかりが受験していましたが、英語が全く話せなかった私に、インド人の面接官は片言の日本語で優しく接してくれました。

でもその大学は、私に微笑みかけてくれませんでした。そこで国内の大学に視線を移し、自国のジェンダー問題を研究していたインド人が教鞭を取っていた明治学院大学国際学部を見つけ、受験しました。合格し、目標にわずかに近づくことができた私は「大学3年になったら、絶対にこの先生のゼミを受けるんだ!」と意気込んで入学しました。

しかし3年生になる前、その人は大学を去ってしまいました。どこまでもインドに縁が無い私・・・でもそれが、私をインド以外の地域にも目を向けさせるきっかけとなり、大学で英語と国際情勢を学びながら、アルバイトでお金を貯めては休暇を利用してバックパッカーとして世界中を周りました。アジア、、東アフリカ・・・南米だけを残したまま、私は大学を卒業しました。

 

“暗黒大陸”にヒトメボレ

その後私は日系航空会社に入社し、地上職として成田空港に配属されました。もともとバックパッカーだったので、就職先は旅行会社か航空会社しか考えていなかったのです(笑)「日系航空会社だからお客さんの多くは日本人だろう」と想像していましたが、実際はむしろ外国人のお客さんの方が多かったくらい。そうそう、中には手荷物として槍を持ってきた人もいましたね(笑)成田では面白い経験をたくさんさせていただきました。

航空会社に約3年半勤務した後、学生時代にアルバイト先で出会った男性と結婚。彼は当時、世界中のビールを集めたバーを都内で開くことを計画していたので、新婚旅行を兼ねて私たちは“世界一周ビールの旅”に出ました。日本に輸入されている各地のビールは、実際に世界中で流通している種類のうちのごく一部。その旅の道中で、ビールが大好きな彼でも味わったことのない逸品に数多く出会いました。

一方で危険な目にも遭いました。大学時代に引き続きアフリカを訪れましたが、その時行ったのは西アフリカ。治安レベルは最悪で、夫が何者かに殴られたり、ある国では牢屋に入れられたり・・・困って地元の人に何か尋ねようとしても、部族の言葉かフランス語しか通じない。だから逃げるようにヨーロッパへ渡りました。その後ほっとして気を抜いたのか、私は食あたりを起こしてしまいました。少し静養した後は引き続きビールの研究をして、その後スペインからペルーへ – ついに南米大陸に足を踏み入れました。

そこは英語がほとんど通じない世界。スペイン語は英語と文法構造などが共通しているにも関わらず、現地には英語が話せない人ばかりでした。でもここで、私は発想を変えてみました。

「スペイン語が話せたら、ブラジル以外の中南米全ての国を制覇できる!」

私はすっかり、ラテンアメリカの虜になっていました。それは命の危険すら感じた西アフリカを体験していたことが大きいかもしれません(ただし夫はペルーで体調を崩し、髄膜炎の疑いで検査入院。実際は髄膜炎ではありませんでしたし、検査に伴い受けた人間ドックで、身体の隅々まで調べることが出来たようです)。訪れる前は、南米こそ暗黒大陸だと思っていたのですが、実際は大自然とフレンドリーな人々であふれる天国のような場所 – まさに私にとっての“新大陸”でした。とても居心地が良く、私たちは半年間、南米を周りました。ただそれでも全土を網羅することはできず、ウルグアイとベネズエラのみを残し、ハワイ経由で日本に帰国しました。
(ちなみにこの“ビールの旅”でインド行きに再挑戦しましたが、インドへの入口となる隣国ネパールでクーデターが勃発。もしそれを回避してインド入りするなら、一旦タイまで戻る必要があったため、結局断念しました)

 

“新大陸”に戻りたい!

世界一周から帰国して半年後、私たちは渋谷駅に程近いエリアにビールバーをオープン。基本的にはカクテルなど他のアルコール飲料は提供せず、その代わり世界中のビールが味わえるお店にしました。とはいえ、私たちが個人的に外国からビールを輸入することはできないので、基本的には日本国内に流通する各国のビールを提供しました(時々、海外旅行に行く友人などに数本購入してもらい、それを販売したこともありました。それらは1本で約2000円もしましたが、お客さんには人気でした)。それでも私たちが世界中を旅したことは、全く無駄ではなかったどころか、むしろ生きました。なぜなら当時は他のどのビールバーにも、世界中のビールを飲み歩いた人などいなかったからです。だからビール好きだけでなく、旅好きの人たちにも人気のバーでした。

そのおかげで、最高4店舗にまで拡大。ひとつ一つは小さなお店ですが、各店でコンセプトや扱うビールの種類を変えました。1店目は世界中のビールを網羅、2店目では日本の地ビールに加えて地酒も提供。3店目はドイツおよびオーストリアのビール専門店、4店目は北米ビールの専門店といった感じです。ちなみにアフリカや中南米のビールは、1店目の“世界各地のビールが楽しめるバー”で提供しました。

私自身は、このまま波に乗ってどんどん店舗を増やし、やがて他の人にそれらの経営を任せ、自分たちはコンテナハウスで移動式のビールバーを開き、全国各地のビーチを回る – そんな未来予想図を描いていました。しかし一方で、夫は少数店舗を地道に経営し、現役を退いたら故郷で暮らすことを望んでいました。

彼が描く未来と私が描く未来のギャップに苦しみました。悩んだ末に私がたどり着いた答え、それは「店を出て、やりたいことをやる!」でした。このままバーにいたら、「ここにいたから、やりたいことができなかったのよ!」と夫を責めてしまうのではないか。何かをやらないことを誰かのせいにする自分が嫌でした。たとえ世間から「自分勝手だ」と言われようと、後悔しないために自分のやりたいことをやろう!と思いました。

ここまでお読みいただいた読者の皆さんは、きっと私たちが離婚したとお思いでしょう。私自身「これは離婚しかないだろうな」と思いました。でも彼は「2年間だけ待つ」と言ってくれたのです。

 

身を捨ててこそ掴んだチャンス

実は、私はすでに次の行き先を見つけていました。・エクアドルです。再び日本を飛び出す前の半年間、私はビールバーを経営しながら、海外での転職先を探していたのです。しかも“世界一周ビールの旅”で虜になった南米に照準を合わせました。アジアやヨーロッパと比べ、日本人への求人は圧倒的に少ない地域でしたが、幸いにも“日本人観光客にガラパゴス諸島を案内する添乗員”というポストを見つけました。スペイン語ができなくても、英語ができればOKという条件だったので、私は「これしかない!」と思い応募。合格してエクアドルへと飛び、入社しました。それが、今も私が所属している旅行会社“スールトレック(SURTREK)”です。

「ついに南米で仕事ができる!」という喜びだけで、条件などを全く顧みずに入社した私。実際は“超”が付くほどの安月給で、時給換算して一瞬絶望的な気持ちになりました(笑)それでも私は水を得た魚のように、毎日楽しみながら仕事に取り組みました。ちょうど日本人の間でウユニ塩湖ブームが起き始めていた頃で、入社3ヶ月後にはボリビア支店を立ち上げる構想が浮上。私は会社から聞かれました。「もしあなたが、半年間である程度スペイン語を習得したら、ペルーやボリビアに行っていただくことも考えますが、いかがですか?」。もちろん私は「行きます!」と即答しました。

それから私は、集中的にスペイン語を学び始めました。それ以前も、日本で少しずつスペイン語を勉強していましたが、ネイティブに対して全く通じませんでした(笑)そんな私が授業料を自腹で支払い、月曜から金曜まで終業後に3時間、ネイティブ講師からマンツーマンでレッスンを受ける生活を3ヶ月間続けました。レッスン以外でも、ツアーを担当するバスドライバーさんたちと話しながら、仕事をする上で必要な程度のスペイン語をマスターしていきました。

その後ボリビア支店を立ち上げ、現地常駐スタッフとして1年間、バックオフィスと添乗員を兼務。ボリビア支店には、私を含め日本人添乗員が5人ほどいましたが、私だけでもウユニ塩湖には年間100回ほど行きました。いかに日本人の間で人気だったか、ご想像いただけると思います。


ウユニ塩湖は世界一広い職場! *写真提供:武内祐子さん

 

“ラテンアメリカ伝道師”に

忙しくも楽しい、充実した南米生活。でも夫との約束は忘れていませんでした。「2年間だけ待つ」と言われたあの日から2年経ち、私は日本に帰国することにしました。

しかし彼との離婚は、すでに決まっていました。やはりお互いの、特に私を取り巻く環境や状況が変わり、しかも2年も離れ離れになったら、どちらかが心変わりをしてもおかしくないですよね。だからこれ以上一緒にいても、お互いのためにならないと思いました。離婚をするにしても、手続きは日本でしかできないので、2年という期限はともかく、いずれにせよ日本に帰国する必要がありました。

帰国を決めた頃、会社から言われました。「あなたが日本に帰ってからも、私たちと一緒に仕事をしてくれないか?」。そのような経緯から、私は日本向けの南米旅行ツアーセールスに特化したSURTREK日本支社を、都内に立ち上げました。

日頃の旅行業務と並行し、番組制作にも参加するようになりました。中南米を取り扱った企画をテレビ局に売り込み、スタッフさんたちとゼロから番組を作る仕事です。私はこれまで『7つの海を楽しもう!世界さまぁ~リゾート』(TBS系列)『所さんのワールドデリバリー』(TBS系列)『世界ウソでしょ旅行社』(関西テレビ制作・フジテレビ系列)といった番組の南米特集の制作に企画段階から携わってきましたが、それはやはり、私の大好きな場所を、一人でも多くの人たちに知っていただきたいからに他なりません。

さらに2017年末、日本支社とは別に“SURTREK JAPAN”を、弊社代表と共に立ち上げました。この会社を通じ、南米各地から日本を訪れる観光客に旅行ツアーの提供を行なう予定です。


共にSURTREK JAPANを立ち上げた、スールトレック代表のアルフォンソ・タンダソ氏(左) 
*写真提供:武内祐子さん

南米の人たちに、どのように日本の魅力を伝えるべきかを知っているのは、日本に住んでいる南米出身の人たち。彼らとのネットワークは、私がCOO(最高執行責任者)を務めさせていただいているNPO法人“日本ラテンアメリカ友好協会”を通じて構築しています。

 

旅行で人生を豊かに!

仕事を通じ、南米の魅力を様々な方法で日本に伝えてきた私ですが、それでも彼の地は未だ遠い存在だと思います。日本から乗り換えなしで行ける南米の都市は皆無(中米は成田⇄メキシコシティで直行便あり)で、北米での乗り換えが必要になってきます。トランジットで長らく待った挙句、南米各都市へはさらに長時間のフライトを覚悟しなくてはなりません。それは南米の人たちにとっても同じで、日本はとても遠い国だと思います。

しかし一方で、ボリビアのウユニ塩湖が一大ブームを巻き起こした時、たくさんの日本人が現地に行ったわけです。つまり、そこに行く価値があると感じたら、移動する距離や費やす時間・費用に関係なく行く – そのような好奇心の旺盛さが、日本人にはあるのです。

今の私の課題は“第2のウユニ塩湖”を探し当てること。皆さんもウユニ塩湖の写真をご覧になったことがあると思いますが、美しい写真の数々は、プロが撮ったものではありません。誰が撮っても、スマートホンで撮っても美しい写真を撮ることができます。私は常にそのような“インスタ映え”する場所を探しているのです。

それも全て、一人でも多くの人に南米に行ってほしいから。でもこれをお読みいただいている皆さんには、南米に限らずいろんな国を訪ねて欲しいと思っています。私はかつて世界中を旅し、様々な国の素晴らしい人や文化に触れました。最近私がリサーチャーとして参加している番組で『世界の村のどエライさん』(関西テレビ制作・フジテレビ系列)というものがありますが、私は南米だけでなく、世界各地の情報をリサーチし、スタッフに提供しています。番組をご覧いただいている人たちに、少しでも地球に生きる素敵な人々をご紹介したいと思い取り組んでいるので、とても楽しいです。


渋谷のメキシカンレストラン“TEXMEX FACTORY”にて

旅は人生における選択肢を増やしてくれるもの。ぜひ旅を通じて、人生を豊かで楽しいものにしてくださいね!

 

武内さん関連リンク

スールトレック(日本語):surtrek.jp
SURTREK(英語・スペイン語・中国語):surtrek-adventures.com
スールトレック Facebookページ(日本語):facebook.com/surtrek.ja/
NPO法人 日本ラテンアメリカ友好協会:jla-npo.org
ブログ『♪旅好きゆうこ♪のグローバリズムを楽しもう!』:ameblo.jp/beerjar/

 

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