日出ずる国への伝言 Part2 ブランドン・K・ヒルさん(日本/アメリカ)

インタビュー&構成:徳橋功
ご意見・ご感想は itokuhashi@myeyestokyo.com までお願いします。

 

Brandon K. Hill
クリエイティブエージェンシー 代表

 

負け犬として生きていくのは嫌だった。だから逃げるようにアメリカに行ったのです。

 

今回の「」は、サンフランシスコやロサンゼルス、ニューヨーク、東京、上海に拠点を置くグローバルクリエイティブエージェンシー「btrax」代表取締役のブランドン・K・ヒルさんのインタビューです。

私たちがブランドンさんに出会ったのは、今年2月に行われた東京都内のとあるインキュベーションオフィスでのイベントでした。そこでは”グローバル人材教育”をテーマに3人の識者がプレゼンテーションをしていました。その一人がブランドンさんでした。

その時は名刺交換とご挨拶をさせていただいただけですが、その後btraxのブログを読み、たまたまある記事を拝見しました。「日本でイノベーションが生まれにくいと思った3つのポイント」という記事で、皆さんにもぜひご覧いただきたいのですが、最後の部分でこのようにおっしゃっています。

「自分が見ている限り、現在の日本の社会はかなりイノベーションを生み出しにくい環境になっていると思わざるをえない。普段生活しているサンフランシスコとはかなりのギャップを感じる。逆に日本からこちらに来られる方々は、”なるほどこういう環境だからイノベーションが生まれるんですね”と言われる」

この記事を読み、私たちはすぐにブランドンさんにメールを送りました。「ぜひインタビューさせてください。日本がイノベーションを生み出す場になるための提言をしていただきたい。そして同時に”日本の可能性”についても言及していただければと思います」。

こうしてブランドンさんの日本出張時に実現したインタビューは、思いのほか言葉は柔らかく、しかも内容の多くは”挫折”でした。インタビューはその時の空気で変わるものですが、すごく意外な気もしました。もちろん私たちはその意外さを楽しんだわけですが、舌鋒鋭いブログとはまたひと味違う、人間味あふれる”隣のクールな兄ちゃん”的なブランドンさんのライフヒストリーは、きっと自分の居場所を探している方々にも響くものと信じています。

*インタビュー@品川
*「日本でイノベーションが生まれにくいと思った3つのポイント」記事はこちらから。

写真提供:btrax 

 

日本のスタートアップ環境を変える試み

日本のスタートアップ事情は面白いと思います。でもアメリカとはスタートアップを取り巻く環境が違いますね。

アメリカと日本とは、スタートは一緒なんです。アイデアがあって、それを具現化するためにチームを作る。もしかすると日本の方が良いものを作れる可能性は大きいです。ただ、世の中にサービスや製品をリリースした後の成長が、日本だと途中で止まる一方、アメリカはそのまま続くのです。それは、その成長をサポートする人が、特にサンフランシスコ界隈にはものすごく多いことも背景としてあります。一方で日本のスタートアップ界隈の人たちは、「勝手にやってなさい」みたいな印象です。投資家も厳しい条件を起業家に突きつけるから、なかなか成長できません。

それはマーケット規模に因るところが大きいかもしれません。日本だとマーケットが小さいから仕方のないことなのですが、アメリカの起業家は世界が相手ですから、成功した時のリターンが大きい。だから投資条件がそれほど厳しくなくても”おいしい”思いができるのです。

日本からも、グローバルに展開するスタートアップが生まれたら、投資家にとってもリターンが大きくなります。そうすれば、スタートアップを取り巻く環境も変わる – 僕たちが開催している「SF Japan Night」という、日本発の起業家によるピッチコンテストは、それを目指しています。実際にスタートさせる場所は、別にシリコンバレーでなくても、日本でも良い。ただ、世界的に展開できるきっかけを提供できればと思っています。

*ここでの「スタートアップ」の定義は「新しいビジネスモデルを開発し、ごく短時間のうちに急激な成長とエクジットを狙う事で一攫千金を狙う人々の一時的な集合体」。詳しくはこちらをご覧下さい。


第5回「SF Japan Night」関連ニュース映像(

 

 

ドットコムバブル弾け就職できず

僕がbtraxを立ち上げたのは2004年ですが、その前はサンフランシスコ州立大学の学生でした。その頃からフリーのウェブデザイナーとして活動していました。

僕が大学を卒業した2003年は、就職活動のタイミングとしては最悪でした。ちょうどシリコンバレーで”ドットコム・バブル”が弾けた頃で、人材はたくさんあふれているのに仕事が無い、そんな状態でした。僕のような技術系の人間には、就職先が全然見つからない状況でした。日本でもドットコム・バブルが弾けましたが、シリコンバレーではそれとは比べものにならないほど打撃を受けました。2000年より前に設立された会社の多くが倒産し、残ったのがPayPaleBayだったわけで、人材が一気に市場に流出しました。僕自身は大学2年の時にシリコンバレーの大手IT会社でアルバイトをしていて、将来はそこに就職してもいいかな、などと思っていたら、バブルが弾けてその話もナシになりました。本当は就職したかったんですけど、できなかった。ただそれだけの理由で、卒業後もフリーランスとして仕事をしていました。

 

大学に落ちてアメリカへ

そもそも僕がアメリカに来たのは、日本の大学に落ちたからです。高校までは札幌で育ち、頑張って受験勉強をしていました。ただ好きなことがデザインや工作、音楽など、一般大学の受験には全然関係の無いものばかりでした。でも一方で芸術系の大学となると、小さい頃から英才教育を受けている人たちが行くアカデミックな場所になっていたので、あまり興味が湧きませんでした。だから一般大学の国際政治学部などを受けたわけですが、ことごとく落ちました。

でも日本で単純に負け犬として生きていくのも嫌だったので、逃げるようにアメリカに行ったのです。僕の父はアメリカ東海岸出身でしたが、僕が行ったのはサンフランシスコ。アメリカ本土の中で一番日本に近く、しかもロサンゼルスよりも安全だろう・・・そんな単純な理由で選びました。

全く縁もゆかりもない場所でしたが、だからこそ僕の過去の失敗体験を全てリセットして、やり直すことができたのです。自分が何をやろうと親もいなければ友人もいない。一方でアメリカの人たちは、チャレンジしようとしている人の話は取りあえず聞いてくれる。その状態で自分がどこまでできるか – その挑戦ができるのがすごく心地良かったのです。

 

落ちこぼれに”光”

僕は日本ではバンドを組んだり作曲をするなど、元々は音楽畑でした。だから入学したカレッジ(短大)では主に音楽を勉強していたのですが、才能的に限界を感じました。

その時に思い出したんです。日本での学生時代に一番成績が良かったのは”美術”だったと。でも音楽も捨てたくなかった。その時に受けたのがマルチメディアの講義で、音楽やデザイン、映像のいずれのスキルも活用できることが分かりました。どれか一つでなく、全てが活かせるのは、これしかない。これにWorld Wide Webが加わり、自分が作ったものを全世界に広げることができると知り、この道に進もうと思いました。

そしてマルチメディアの授業を取ってから1ヶ月後には、フリーのウェブデザイナーを名乗り始めました。ウェブデザイナーに必要なスキルを、まずは仕事探し用の履歴書に全て載せました。それらをまだ身につける前です。そして仕事をもらってから、必死になってそれらを身につけたんです。こうすれば、普通に学ぶよりももっともっと速いスピードで学べますよね。ビジネスにおいてビジョンを描き、プランを立て、それに従って行動するのと一緒です。

最初の仕事は、大学のウェブサイトの管理でした。それと並行して、バナー制作や小さなウェブサイトのデザインなども請け負いました。昼間に学校の授業で習ったことを、放課後に仕事に活用していたから、スキルが身に付く速度がすごく早かったですね。

 

世の中にインパクトを与えるために

そしてカレッジから大学に編入し、インダストリアル・デザイン(工業デザイン)を専攻しました。ウェブデザイナーとして仕事をしていた時とは比べ物にならないくらい、デザインのことを勉強させられました。その時に学んだデザイン理論やデザインにおけるルールは、その後にすごく役立ちました。その上、プロダクト・デザインまで勉強させてもらえたので、モノの作り方や設計なども学ぶことができました。そこで得た知識は、btraxでも手がけているユーザー・エクスペリエンスや人間工学に基づいたデザイン設計に反映されています。

その当時もウェブデザインを請け負っていましたが、一方で掛け持ちしていたのが、僕が大学に入る前から続けていた、日本人旅行客のためのツアーガイドでした。ウェブデザインは、パソコンさえあればどこでもできるので、お客さんが食事されている間に作業したりしていました(笑)このツアーガイドの仕事が、その後に何の役に立っているのか、と不思議に思われそうですが、意外なところで役立ちました。デザインのプレゼンです。このツアーガイドを通じて、僕は”人前で話す”ことを訓練したのです。

話を戻すと、フリーランスで仕事を請け負ってはいましたが、会社を立ち上げる、いわゆる””には全く興味がありませんでした。ただ、一人で作業をしていると、結局は仕事のスケールは小さいままです。つまり、世の中にインパクトを与える仕事は、個人にはなかなか回ってきません。たとえ食えたとしても、世間で話題になるものを作れなければつまらないと思いました。簡単に言えば「僕らはこんな仕事をしていますよ!」と自慢したかっただけなのですが(笑)そこで他のデザイナーも集めて会社組織にしたのが「btrax」でした。大学卒業したばかりの無給インターン2人と僕の3人で出発しました。

 

世界的IT企業の仕事を受注

当初はアメリカの会社から仕事を請け負っていました。それは日本語ができることがアメリカではそれほど差別化要因だとは思っていなかったからですが、冷静に考えれば日本語のサイトも作れるわけです。そう思ったタイミングで請け負ったのが、世界的に有名な旅行予約サイト”Expedia“の日本語版制作でした。

その仕事を見かけたのは、実は求人広告でした。「ウェブデザイン、コーディング、コピーライティング、マーケティング、ローカリゼーションができる人募集」と出ていました。だけど、それら全てできる”個人”なんているはずがない。だから僕は彼らにメッセージを送ったのです。「あなたたちが探している人材は、個人だとなかなか見つからないと思います。だけど僕らは会社で、チームで動いていますから、それらを全部できます」と。そうしたら先方から返信が来ました。「考えてみます」と。

それから電話が来て「もう少し話を聞きたい」と言われたのですが、僕らのことをまだ完全には信用できないので、何と「コンペにかける」と。しかも競合は11社。会社として請け負うアイデアを僕が先方に出したのに、他の会社に仕事を取られたら、納得いかないじゃないですか。僕はスタッフに言いました。「これは絶対に負けられない。負けたら腹を切る覚悟で取り組もう!」と。そして徹夜で作り上げて先方に送りました。

連絡が届くはずの日。電話は鳴らなかったので「ダメだったか・・・」と思いました。僕は思い切って先方に電話しました。そしたら電話に出たスタッフ、ティムという男なんですが、彼は「あーあの件ね」という具合。しかしその後に彼は「お前の会社に頼むことにしたよ」と言ったのです!

それから3週間、シアトルのExpedia本社に缶詰でした。その時にティムが僕らに言いました。「コンペは接戦だったんだよ」と。「btraxという会社はよくわからなかったけど、デザインのクオリティは一番良かった。だから決めたんだ」。それから約1年間、Expedia Japanの仕事に携わりました。やがてティムは独立したのですが、その後に言われたのは「あの当時は立場上言えなかったけど、あのクオリティの高さであのギャランティは安すぎる。これから仕事を請けるときは、もっと吹っかけてもいいと思う」ということでした。彼の会社からも仕事を請け負いましたよ。会社口コミサイト”Glassdoor“を作っているスタートアップです。

 

ゼロからの再生

さあこれで会社も軌道に乗るぞ!と思った矢先に、僕が一番信頼していたチーフデザイナーが「会社を辞めたい」と言いました。僕と彼はお互いに相棒のような関係だったから、すごくショックでした。でも彼の辞める理由は、経営者である僕が会社の成長に追いついていなかったからです。つまり”経営者として大丈夫か?”という思いがあったのでしょう。例えば生まれた収益の配分にしても、皆に等しく与えたりしました。そこへチーフデザイナーが「何で僕は他のスタッフと同じ給料なんですか?」と言ったのです。それに対してきちんと説明できなかった僕をよそに、彼は他の会社にヘッドハントされていきました。しかも、その他のスタッフも彼の後を追うように、3ヶ月でデザイナーが全員いなくなりました。

「もうダメかも」と思いました。お金はあるけど、チームが無かったのです。仕事は常にあったのですが、それをこなすことが難しかった。過去の実績に応じて新しい仕事が入ってきたのですが、クライアントが求めるレベルに達するのが難しくなったのです。 でもそこから新しく生まれ変わりました。それまでスタッフは全員日本人でしたが、アメリカ人を入れることにしました。会社のカルチャーを、アメリカ風に変えました。そして再び、上手く回り始めました。日本人がよく言う「普通はこうでしょ?」という言葉が無くなったのです。なぜならアメリカ人は、一人一人が違う価値観を持っているからです。

今ではスタッフ構成は、いわゆるヨーロッパ系アメリカ人が3人、アジア系アメリカ人が6人ほど、それ以外の約10人が日本人という感じです。ただし、設立当初からのメンバーは僕だけです。


btraxのスタッフ勢揃い!(左から2人目がブランドンさん *クリックで拡大します

 

SF Japan Night

btraxは、3年ほど前まではほとんど日本の会社さんとは仕事をしていませんでしたが、そこへ転機が訪れました。日本のインターン派遣会社さんがクライアントになり、その縁でそこからインターンの日本人大学生を受け入れることになったのですが、その中に日本のIT事情にとても詳しい学生さんがいました。その彼から話を聞き、日本も面白いことをいろいろやっているんだと思い興味を持ち始めました。

サンフランシスコにはたくさんのスタートアップがありますが、中でもbtraxのあるエリアは、スタートアップが集中しています。だからスタートアップのピッチイベントも数多く行われています。そのひとつに「SF New Tech」というイベントがあって、そこはある回でフランス人起業家6人を登壇させました。フランス人が英語でプレゼンをしたのです。

そこで考えました。「これを日本人がやったら面白いんじゃないかな?」と。そしてbtraxのインターン学生さんに、面白そうな日本のスタートアップを聞き、それらを集めてピッチイベントを開催しました。それが「SF Japan Night」です。

 
 
「SF Japan Night」第1回〜第5回のファイナリスト(一部 *クリックで拡大します)

 

日本のスタートアップを世界の目に

日本国内で行われていることは、日本国外の人は誰も知りません。だから、とにかく日本の起業家の存在を海外の人の目に触れさせないことには、海外展開などは有り得ません。世界の企業の中には、日本の起業家とパートナー契約を結びたいところもあるかもしれないし、買収したいと思っているところもあるかもしれません。でも彼らに知られていないがゆえに日の目を見ないのはもったいない。「SF Japan Night」で、そのチャンスを掴んでほしいと思っています。

「SF Japan Night」はこれまでに5回開催しており、直近の優勝者は”ShareWis“というスタートアップでした。これはいわゆる”Eラーニング系”で、アメリカでは今すごく盛り上がっている分野ですが、日本ではまだこれからです。だからShareWisは”アメリカでは”将来性があると思いました。逆に日本だと厳しいかもしれません。でも、そういうサービスが優勝するのが「SF Japan Night」です。

日本のスタートアップを取り巻く環境は、良い方向に向かってきていると思います。それは誤解を恐れずに言えば”本当に優秀な人”が起業するようになったことが要因だと思います。少し前までは、リスクとリターンのバランスを考えて、頭の良い人たちは起業に二の足を踏んでいました。でもリターンもあることを知った、金融やコンサルティングファームに行く能力のある人たちが、起業をするようになったのです。また、スタートアップを評価し始めている大企業が増えてきたのも、大きな変化です。


第5回「SF Japan Night」で優勝した無料学習サイト「ShareWis」(画像をクリックするとサイトに移動します)

 

もっと堂々と!

ただしもっとイノベーションを起こすためには、会社の労働環境を改善する必要があるでしょう。僕が日本に来る時に、金融やコンサルで働いている知人と会おうと思うのですが、彼らは忙しくてなかなか会えません。でもそうなると、彼らにとっても新たな出会いも無ければ、新たな発想も生まれないことになる。それではイノベーションは生まれないと思います。

起業家というのはどういう人かというと、10人中9人が「これはAだよね」と言っている中で一人だけ「いや、これはBだ!」と言い張る、そういう人なのです。常識的には理解できないような選択をし、行動を起こす。その人にだけは確信や直感で信じられるものがある。それが起業家です。でも一人だけ「これはBだ」とは言いにくいのが日本。だから起業家が育ちにくいんですよね。

でも先ほども言ったように、大企業がスタートアップと組むケースが、この日本で増えています。逆に言えば、大企業はそれだけ切羽詰まっており、スタートアップのフレッシュな発想を欲しがっているのです。だから僕は日本のスタートアップに大きな期待を寄せています。日本のスタートアップは、大企業や投資家の人たちに対して遠慮しないでほしい。素晴らしいことをしているのですから。

日本は裕福だし、文化も豊かです。人々が着ている服もキレイだし、建物やプロダクトの全てが美しい。その美しさは世界一と言っても良いと思います。だから、僕は日本にとても期待しています。


第5回「SF Japan Night」ファイナリスト&審査員の皆さん
2013年3月  

 

ブランドンさんにとって、日本って何ですか?

生まれ育ったところであることは間違いないです。

日本もアメリカもすごく好きな国です。ただ自分が何人(なにじん)であるとか、どこに属しているかとか、そういうことはあまり意識しません。

強いて言えば”自分が人生で仕事をしていく上で重要な国のひとつ”であることは間違いありません。自分が最大限提供できる価値を、日本に提供したいと思います。

 

ブランドンさん関連リンク

btrax: http://www.btrax.com/jp/
freshtrax(btraxスタッフブログ):  http://blog.btrax.com/
Twitter: http://twitter.com/BrandonKHill
SF Japan Night: http://sfjapannight.com/

 

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One thought on “日出ずる国への伝言 Part2 ブランドン・K・ヒルさん(日本/アメリカ)

  • 2013/07/11 at 09:22
    Permalink

    Brandon has always approached every challenge with cheerful persistence. From the time he did what I thought was impossible as a kindergarten kid – that of fixing a battery operated toy by himself with string, aluminum foil, and scotch tape – he has been my pride and joy. He is also a courageous tough muffin in any kind of situation.

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