舞台は世界だ! #9 浅田龍さん

舞台は世界だ!

いざ、大海原へ。

2007年10月15日(月)

#9 浅田龍さん from Los Angeles

「マッチボックス」デザイナー(米マテル社)
(1997年来米)

IMGP6095.jpg
「いつかアメリカに戻って
ガレージ付きの大きな家を
持つ」という空想をいつも
頭に描いていました。


アメリカ取材、ついに最後の方となりました。バービー人形で有名な世界的玩具メーカー「マテル社」傘下のイギリスのミニカーブランド「マッチボックス」で、ミニカーのデザイナーとして活躍している浅田龍さんです。
全米屈指のデザインスクール在籍中に、スカウトを受けてマテル社に入社したという、驚異の経歴の持ち主です。そんな浅田さんは、少年時代から頭の中に一枚の絵を描いてきました。その絵に描いた光景を、彼は現実に目の当たりにしようとしています。才能とか運、それだけではありません。彼の原動力は「何としてでも、夢に描いた光景を、この目で見てやるんだ!」という強い気持ちでした。

*インタビュー@ スターバックス(カリフォルニア州エルセグンド)


English




自分のキャリアと、夢に満ちた人生を。

物理学を学ぶために、1997年にアメリカに来ました。3年間物理学を勉強し、そのあと他の学校に行くためにカリフォルニアに移りました。ただ、これが初めてのアメリカではありません。
仕事の関係で父が1986年にアメリカに行くことになりました。東海岸のメリーランド州です。そしてある日、家族全員でアメリカに住むことが決まったんです。当時僕は、小学校1・2年ぐらいの幼い子供でした。アメリカに行くとだけ思っていた僕は、一年間そこに「住む」と聞いてすごくショックでした。
僕らは1年間メリーランドに住みました。わずか1年の滞在でしたが、その頃の僕はまだ子供だったので、全てが新鮮で衝撃的でした。思い出をたくさん作りました。最初はアメリカに住むことに抵抗があったのに、1年後にはアメリカが僕にとっての第2の故郷になったんです。
家族みんなで日本に帰ってからは、日常の生活に戻りました。だけど僕は、アメリカに戻って自分のキャリアと夢のある人生をつかみたかった。だからアメリカに戻ってきたんです。


自分の夢を実現できるのはアメリカだった。

もう一つの理由として、正直、日本で自分自身の行く道が見いだせなかったというのがあります。何かを探していましたが日本では見つけられませんでした。もしかしたらあったのかもしれませんが、それが何か分かりませんでした。今、僕はここアメリカにいてとても幸せなので、アメリカに来たのは正しい選択だったと思います。
それに「いつかアメリカに戻ってガレージ付きの大きな家を持つ」という空想をいつも頭に思い描いていました。海に近い家に住み、ストレスとは無縁で、とてもやりがいのある、自動車に関わった仕事に就くという夢です。これは僕にとっては特別な思いです。アメリカ人にとっては特別なことではないけど、しかし、日本人の子供として、僕はこの夢を叶えたかったのです。そして、86年にアメリカに住んでいたから、この夢を実現できる場所はアメリカだと思いました。


夢の入り口に立つ。

生まれながらの車マニアだったので、他のものには興味が沸きませんでしたね。車は僕の人生にインスピレーションを与えてくれる存在です。それがなかったら、僕は今何をしているか分かりません。日本でも自分の夢を叶えられる可能性はあったかもしれませんが、その方法がわかりませんでした。
僕はまず自動車のデザインをしたかったんです。90年代半ばには多くのカーデザインスタジオがありました。多くのアメリカのコンセプトカーとか、モーターショーに出品された車を見て、とても感銘を受けました。僕はアメリカに行くことを夢見ていたし、アメリカは僕がやりたいことができる完璧な場所だと思いました。私は先ほど言ったように、自分の中に鮮明なイメージを持っていたわけですから。
それに日本ではデザイン関係の学校が見当たりませんでした。当時、日本ではデザイナーはそれほどリスペクトされていなかったと思いますが、アメリカではファッションデザイナーやカーデザイナーなど、デザイナーは本当にかっこいい仕事だと思われています。だから自動車のデザインを学びたいと思いました。そして、ぴったりの学校をみつけました。
僕はそのままカーデザインの道に行きたいと思いました。でも父から「車のデザインに関わるためには、そのメカニズムを知らなくてはならない。だから物理学を学びなさい」と言われました。私には父の言うことがよく理解できなかったのですが、元々得意科目だったこともあり、オレゴンの大学で物理学を専攻しました。
大学卒業後、友達から耳にしたアートスクールを受験しました。その学校はカーデザインでトップの学校として知られていたので、受験するのはとても大変でした。それに多くの有名デザイナーがこの学校を卒業しています。僕は特に芸術を専門に学んだことがなかったので、その学校を受けるのは本当に僕にとって挑戦でした。でも、幸いにも合格することができました。それで、カリフォルニアに移ったのです。2000年の夏でした。
面白いことに、クラスメイトは僕と同じように、車やおもちゃが好きな人たちでした。もう自分は独りじゃないという思いが突如湧いてきました。でも学校の授業は厳しかったので、そこでの勉強は結構大変でした。


マテル社に引き抜かれる。

毎学期末には僕たちの作品を展示する展示会を開きました。日産やホンダなどの企業の人たちに見せるための特別な展示会もしました。僕はそこで、マテル社のデザイナーと会いました。全てが円滑に進み、即座に面接を受けて仕事を見つけることができました。全てが本当にスムーズでした。
僕がアートセンターにいた頃、実は他の会社にも関心がありました。でもそれと同時に、自動車メーカーには興味を失っていたところもあります。マテル社では、それがたとえミニカーであったとしても、全種類の自動車のデザインをするチャンスがあります。
もしカーデザインスタジオにいたら、自動車のボディー全体のデザインをするのには約10年かかる、そんな噂も聞きました。またアートセンターを卒業した当時、あらゆる産業でのデザインレベルが落ちていたように思えました。
僕は車とおもちゃが好きだし、当時はマテル社とか、マテル傘下の「ホットウィール」「マッチボックス」といったミニカーブランドは、ミニカーのデザイナーとして、本物の車をデザインできるデザイナーを探していたのです。だから彼らにとって僕は完璧な人材だったのです。僕も仕事に就きたいと切に考えていたから、マテル社の要望に応じたんです。

IMGP6149.jpg 両方とも浅田さんが手がけました。


同僚が次々とクビに!

アートセンターを卒業後すぐに仕事に就けたので、正直、ラッキーでした。僕が入社したマテル社は、仕事中でも皆で楽しもうという雰囲気なので、僕にとってはすごく居心地がいい会社です。何でも好きなことができ、しかもお給料までもらえる。そして自分がしていることに情熱を注げるわけですから。
でも反面、怖い一面もあります。これはアメリカ企業全体に当てはまることだと思いますが、僕たち自身がお互いの仕事を評価したり、同僚、時には上司のことも評価し、その評価を元に会社は社員を解雇していきます。それが怖かったですね。
前回は200人が解雇になりました。ランチタイムに、僕は同僚に「知ってるか?ジョンも、それにマイクもクビになったって!」なんて話していたら、翌日には僕が話していたその同僚もクビになったんですよ。それで、これがビジネスというものの真の姿なんだと痛感しました。


自分が好きなことをしよう。自分がしていることを好きでいよう。

しかし幸いにも、僕がいるチームは誰も失わずにすみました。自分たちの仕事に、本当に情熱を持って取り組んできたからです。僕らは自分の仕事が好きだし、良い営業成績を出すことができました。一生懸命に自分たちの好きなことに取り組んだ結果が、売り上げに反映されました。僕たちは本当に好きなことをしているのです。僕は「自分が好きなことをしよう、自分がしていることを好きでいよう」と常に自分に言い聞かせています。これが僕のモットーです。自分の仕事が好きだし、実際それを「仕事」だと思ったことはありません。それは趣味の延長のように感じます。デザインスケッチを描き続けて、自分のモットーに従い続ける。僕は家でもそれをやっています。それでお給料をもらっているんですよ!
期限に間に合うように一生懸命働き、他の商品も並行して世に送り出しています。本当に多くの喜びを、仕事で得ているということ。これが一番強調したいポイントですね。だから時々、自分の仕事が「仕事」ということを忘れています。
僕が会社でしていることを、会社のみんなが認めてくれています。アメリカで働くことのいい点は、会社の人がみんな、自分を個人として認めてくれることです。


この土地が持つ多様性が好き。

あと、僕のチームはすごくインターナショナルなんです。イギリス人、カナダ人、メキシコ人、イギリス人、ハーフのイタリア人、アメリカ人、アメリカ人、カナダ人、ドイツ人、マレーシア人、タイ人、中国人、そして日本人の僕・・・多様性があるからいろんな文化を学べるし、社内に限らずロサンゼルスそのものが50以上もの国籍の人たちが集まっている場所だから、世界中から来たたくさんの人に出会える。僕はこの土地が持つ、そんな多様性が大好きなんですよね。
そういえば、フランスの企業とプロジェクトの契約を結ぶ時に面白いことがありました。先方はフランス語で書かれた契約書を要求してきたんですが、「困ったな、ウチにはフランス人の社員がいない」。だけど、幸いにもカナダ人の社員がフランス語をしゃべれたので、彼が翻訳して契約にこぎつけることができました。これが多様性の持つ素晴らしさなんですよね。
86年に始めてアメリカに来たとき、たくさんの車が家の外に駐車してありました。その全てが違う車種で、大きかったり古かったり、それにとてもカラフルでした。それらは「ねえ、何で僕はキミの色に染まらなくちゃいけないんだ?僕はキミとは違う色が好きなんだよ」とそれぞれが主張しているように感じました。
これはアメリカ人の多様性そのものです。僕はみんなが同じ車を運転しているよりも、こういうカラフルさの方が好きです。僕は、この人はクーペを運転してる、あの人はトラックを運転してる。そういうアメリカが好きなんです。


夢が、徐々に現実に。

こちらには永住するでしょう。僕の英語はまだ完璧ではないし、グリーンカードや移民の手続きをしなくてはなりませんが、ここにはフィアンセも住んでいます。それに僕の未来や夢といったものは、ここアメリカにあります。先ほども言ったように、海の近くにガレージ付きの大きな家を持つというイメージが僕の中にあります。それが僕の夢であり、ここアメリカで徐々に現実になってきていると思います。
ただ、フィアンセがロサンゼルスをかなり嫌っているので、このままロサンゼルスに住み続けるかは分かりません。犯罪が多くて、交通量がめちゃくちゃ多いからです。
ロサンゼルスを離れるとしても、カリフォルニア州内になるでしょう。僕はカリフォルニアが好きだし、カリフォルニアの天気が好きです。それにカリフォルニアは自動車産業の中心でもありますから。


IMGP6154.jpg このブロシュアも浅田さんが手がけました!



浅田さんにとって、ロサンゼルスって何ですか?

ここは僕の新しい家であり、そして夢を持てる場所です。

たぶんここが僕の描く夢を実現できる場所だと思います。ロサンゼルスだけでなく、
アメリカそのものが僕にとって大きな家です。

ロサンゼルスは、本当に快適です。



浅田さん関連リンク

マテル社ホームページ(日本語): http://www.mattel.co.jp/

マッチボックス(英語): http://www.matchbox.com

Art Center College of Design (浅田さんの母校:英語のみ):
http://www.artcenter.edu/




*映画・スポーツ・ショッピング・・・エンターテインメントあふれる大都会、
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