中安敬子さん

構成:徳橋功
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Keiko Nakayasu
自然学校理事長

私たちMy Eyes Tokyo(以下MET)がリアルに出会った素敵な”コスモポリタン”をリアルにご紹介するトークイベント「MET People」。第11回目のゲストは、NPO法人”マザーツリー自然学校”理事長の中安敬子さんです。”ぽぽさん”という愛称で親しまれている、笑顔がとっても優しい方です。

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METのスタッフ兼ワーキングマザーが、自分の子どもたちをぽぽさんの活動に参加させていたことから浮上したこの企画。乳幼児を対象とした”森のようちえん”、小学生を対象とした”しぜんあそびくらぶ”、自然素材を活用したクラフト教室、田植えから稲刈りまで自分たちで体験する”田んぼくらぶ”・・・4人のお子さんをお持ちにも関わらず、さらにたくさんのお子さんを育てているぽぽさんの姿に胸を打たれ、今回の「」のゲストスピーカーにお招きしました。

国際的な活動をしている人をゲストにお呼びしている「MET People」としては、少しカラーが異なるかもしれません。でもぽぽさんのご活動はコスモポリタンを超え、もはや”ユニバーサル”!しかも全く自然と縁が無い環境で生まれ育ち、バブル絶頂期の大都会でのライフスタイルを演出するお仕事をされていたという背景にも惹かれました。人間、やはり対極を経験してこそ人生に深みを増すものなのだと強く感じた夕べでした。

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*インタビュー:山崎千佳
*会場:フロマエcafe & ギャラリー(荒川区西日暮里)2014年9月27日
*撮影:土渕正則
*協賛:セレナイト(詳しくはこちらをご覧下さい)

 

生まれも育ちも大都会

今でこそ自然学校を開いている私ですが、生まれも育ちも東京の日本橋。生粋の江戸っ子です。祭が盛んに行われる街ですが、自然を感じられるものは全くありませんでした。自然だけでなく、スーパーマーケットすら無いようなオフィス街だったので、日用品は親が電車に乗ってアメ横まで行って買っていました。その後、杉並区にある高校に入学して「住宅街ってこういうところなんだ!」と初めて知りました(笑)下校する時に、家からご飯の匂いがして、それはそれは衝撃的でした。

でも3歳くらいの頃、短い間でしたが埼玉県越谷市に住んでいたことがあります。その当時近所にあった田んぼで足がはまったことを今でも覚えています。陽の光に照らされてきらきら輝いていた田んぼに近づいていきました。「何て土がきれいなんだろう!」と思って、踏んでみたくなった。そしたらぬかるみだったから、抜けなくなったんです(笑)

それ以外にも親が元々自然好きで、郊外によく連れて行ってくれたし、高校卒業後に入った大学は、目眩がするほど美しい杉の木が生い茂る多摩地域にありました。思えばそれらが、今の私のベースになっていると思います。

 

ファッションブームの仕掛人

大学卒業後、私は大手M百貨店に入社しました。当時はバブル絶頂期で”DCブランド”花盛り。肩パット入りスーツがもてはやされていた時代です(笑)実家が繊維問屋だったので、迷うことなくファッション業界に入りました。その頃の私はスーツを着てハイヒールをカツカツ鳴らして歩くような、今とは全く違う服装で全く違う生活を送っていました。ただ私は洋服への興味よりは、人のライフスタイルに関心があったので、インテリア部門を志望しました。それまでの日本には”家具”という言葉はあっても”インテリア”という言葉は流通業界には無く、M百貨店が”インテリアを販売する”先駆けとなりました。

私はインテリア部門の店舗に1年勤務、その後経理を経て商品企画部に移りました。ちょうどM百貨店が店舗を拡大していた時で、お店作りも経験しましたが、その時私は「流行は”作られる”ものなんだ」ということを知りました。パリ・ミラノ・ロンドン・ニューヨークのファッション動向を毎日チェックし、それらを取り入れて消費者に買ってもらうように仕向けるのが、私の仕事でした。新卒の若い女の子が億単位のお金を動かしたりして、私は「何か違うんじゃないか?」という違和感をずっと抱えていました。

そんなある日、体を壊しました。夜中の2〜3時まで働いたし、男女雇用均等法が定められて「女性だから早く帰りなさい」とも言われない環境だったからでしょう。さらには仕事柄、重いものを持つことが多く、それで腰を痛めてしまいました。ベッドから起き上がることもままならなくなり「仕事を辞めない限り治らない」と病院から言われました。ちょうど結婚を考えていた相手がいたこともあり、入社4年で私は百貨店を退社しました。

 

結婚、退職、

結婚後、都会を抜け出して海の近くに住み始めました。主人が海が好きだったことや、私の遠い親戚が海の近くに住んでいたことが背景としてありました。仕事をしていなかった私は海辺で流木や貝を拾ったり、それらで何かを作ったりして、ささやかな幸せを感じていました。先ほど申し上げた私の親戚は海沿いで農作業をしていたので、それも手伝わせてもらいながら、自然を満喫していました。

そんな時、突然海外赴任の話が持ち上がりました。主人が鍼灸師の免許を取り、ポルトガルへ行くことになったのです。元々主人は舞台演出や放送作家のような仕事をしていましたが、海外に憧れていた彼は、その仕事では海外に行くのは無理だと思い、かねてから考えていた針灸師免許を取りました。そしてたまたま求人があったのがポルトガルでした。

ポルトガルに旅立つ3日前に、第1子の妊娠が分かりました。一瞬「ヤバい!」と思いましたが、お産は病気ではないので、外国で産むことに躊躇いはありませんでした。元々が、自然に身を委ねるタイプなんでしょうね(笑)

私たちが住んだ場所は、ポルトガルの北の方にある、石畳が多いこじんまりとした街でした。広い公園というものがそれほど無かったので、行き場所と言えば専ら近所の商店。出産に備えて覚えたわずかなポルトガル語で、何とかお店の人たちとコミュニケ―ションを取っていました。言葉が分からずに道に迷って人に追われたこともあります(笑)

でも体験しないと分からないことはたくさんあります。だから自分の子どもたちにも、他の親御さんからお預かりした子どもたちにも「まずは体験してごらん」と言っているんです。

 

自然な流れで””を仕事に

2年間のポルトガル赴任期間を終えて帰国後、主人は日本橋で鍼灸治療院を開業。一方で私は、第2子、第3子、第4子を出産、彼らと遊ぶ体験から今の活動が始まりました。私が子どもたちと自然の中で遊ぶ姿を見て、周りの親御さんが「何か面白そうなことをやっているな」と思ったようです。キャンプを企画したらたくさんの親子が集まりました。そのうち自然との触れ合い方を、参加費をいただいて教えるようになったので、ネイチャーゲーム指導員などの資格を取ったり、チェーンソーの取り扱い方や上級救命の講習に参加したりしました。そして2006年にNPO法人”マザーツリー自然学校”を設立、本腰を入れて活動を始めました。

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*写真提供:中安敬子さん

 

もっと自然とつながろう

私たちは本来、自然とつながって生きています。でも、便利で快適な生活が、私たちと自然を切り離しているのでしょう、多くの人はそのことを意識せず、毎日を過ごしているのではないでしょうか。
だからこそ私は「自然は常に身の回りにある」ということを知ってほしいです。豪雨やデング熱など、日本や世界を様々な自然現象が襲いかかっています。身を守る術を知らない、ではいのちは守れません。
自然にかなうものはない。けれど私たちは、どうしたらいのちや暮らしを守っていけるのかを考えることはできると思います。

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自然とつながるということ、それには“本物を体験すること”“本物を食べること”が大切だと思います。季節を感じ、いのちに触れ、自然の営みに沿って暮らす、そんな機会をたくさんの人にお届けしたいと思っています。

 

ぽぽさん関連リンク

NPO法人マザーツリー自然学校:http://mothertree.michikusa.jp/
インタビュー@えこっくる江東:http://www.ekokkuru-koto.jp/lecturer03/
自然あそび♪ノート:http://poposan.no-blog.jp/

 

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