ムンシ・スルタナさん(バングラデシュ)

インタビュー&構成:徳橋功
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Munshi R. Sultana
バングラデシュ料理 @ 梅島
(1976年に来日)

1つの場所に複数の人が集まるということは、料理を学ぶだけじゃない、他の目的もあると思うのです。

外国人のご自宅で各国の家庭料理が学べる”Niki’s Kitchen“と、東京や日本で活躍する外国人とのインタビューを集めたサイト”My Eyes Tokyo”のコラボ、今回はとーっても素敵な先生をご紹介します。バングラデシュご出身のムンシ・スルタナさんです。

醸し出す雰囲気が、まるで生徒さんを包み込むように柔らかで、生徒さんたちはもうすっかり、お母さんに甘える娘状態(笑)優しい語り口にメロメロ、全てを許してくれるような笑顔にメロメロ、そして出来上がったお料理にメロメロ。そして散々メロメロした後は、皆でケラケラ笑いながらいろんな話をして、気づいたらすっかり夕暮れ。あわてて食器を片付けたり洗ったりするハメになりました(笑)

スルタナさんのクラスに一歩足を踏み入れたら、どんな大人も娘や息子になってしまう・・・そんな「スルタナ・マジック」の秘密を、今日は皆さんに教えて差し上げましょう。

*インタビュー@梅島足立区
*Niki’s Kitchenの記事はこちらをクリック!
*英語版はこちら

 

超ニューフェース

Niki’s Kitchenで教え始めたのは、先月です。10月14日に、第1回目のクラスを開きました。そして3日前と今日です。第1回目のクラスは「お試し」でしたので、本格的にスタートしてからはまだ2回目です。

今日そのことを生徒さんに言ったら、驚かれました。「とてもそんなふうには思えないくらい、楽しんで習うことができた」と。それはとてもありがたいですね。もしそれが本当なら、それは私のバックグラウンドによるものかもしれません。

元々私は「教えること」を仕事にしてきました。お料理を教えたことももちろんありますが、長い間ベンガル語の講師をしていたんです。ずっと日本人相手に教える仕事をしてきたので、一言二言話せば、もう相手との距離の取り方は分かります。だから、Niki’sで教えていて「難しい」と感じたことは、まだありません。


スルタナさんがご主人と共に制作したベンガル語のテキスト 

ただし、言葉を教えるのとお料理を教えるのとは、生徒さんに対する態度は違います。言葉の場合は、どうしても「先生と生徒」のような関係になる。文法など、理詰めで教えなくてはならないことがあるからです。でもお料理を教えるのは、私にとっては自分の文化を人と”シェア”することなので、上下関係は全くありません。

それに私には兄妹が多いから、皆でワイワイするのが好き(笑)。そういう雰囲気をクラスで出せたらと思っているんです。

 

”娘”に誘われて

子どもの頃から、お料理には興味がありました。お母さんが料理を作る時は「何を入れているんだろう?」とのぞきこんだり、いろいろと教えてもらいました。

ただ、自分ではお料理をしていませんでした。お母さんが、危ないからと言って私にお料理をさせなかったからです。私がお料理を自分で始めたのは、大学生になった頃だと思います。

Niki’s Kitchenのことは、同じくバングラデシュ料理の先生をしているタスヌーバ・タヒアさんから聞いて知りました。彼女のダンナさんは私の上の息子と同い年で、彼が私のことを「日本でのお母さん」と呼んでくれていました(笑)それくらい慕ってくれていたし、私もタヒアを自分の娘のように思って接していました。そんな彼女から「スルタナさんの作るお料理はすごくおいしいから、ぜひともバングラデシュ料理のおいしさを広めた方がいいですよ」と言われたんです。

ベンガル語の生徒たちには時々お料理を教えてあげたこともあったし、NHK衛星放送のアジア関係の番組でもお料理を紹介したことはあります。でも、それ以外のルートを知らないから、どうやって広めれば良いのか分かりませんでした。そこで、タヒアの誘いに乗ることにしたんです。それが今年の4月でした。

それからNiki’s Kitchen主宰者の棚瀬尚子さんにタヒアから連絡が行き、今年の夏に初めて彼女にお会いしました。棚瀬さんは「おいしい!ククさんのお料理に似ていますね」と言いました。ククさんは最近までNiki’sでバングラデシュ料理を教えていた人で、私の故郷に近いところの出身です。一方でタヒアはバングラデシュの南の方の出身なので、料理内容が重複することはない。だから私がNiki’sに参加するのはグッドタイミングでした。


お料理を教えてもらうだけでなく、バングラデシュの豊かな食文化を教えてもらったり、お孫さんの写真を見せてもらったり・・・何だか生徒さんじゃなくて、スルタナさんの娘たちのように見えませんか?(笑)

 

言語教育のプロフェッショナル

先ほどもお話したように、私はこれまでずっと先生でした。バングラデシュでは6歳から16歳までの子どもたちを教えていました。そして主人と結婚して日本に来ました。

私の生徒さんは、主に海外青年協力隊でバングラデシュに派遣される人たちでした。その仕事の関係で、2006年4月から今年3月まで、長野県駒ケ根市に住んでいました。主人はその前に約30年、駒ヶ根にあるJICAの訓練所で教えていました。その後、定年退職した主人と入れ替わりで私が駒ヶ根に赴任したんです。

その前は「早稲田奉仕園」というところで教えていました。そこでの生徒さんに、バングラデシュの”ジュート”で高品質のバッグを作る「マザーハウス」というブランドを立ち上げた、山口絵理子さんがいました。彼女も私のことをすごく慕ってくれましたし、一緒にお料理を作ったり歌を歌ったりしました。今でも「先生が東京に戻ってきたから会いたい」って言われるんですけど、なかなか会えないのが残念です。

その前は、1985年から東京外国語大学で約20年間、ベンガル語指導や研究をしていました。研究についてはベンガル語だけでなく、アジアやアフリカの言語全般が対象でした。ただし私が研究していたのは、これらの言語の音声です。なので実際に話したり理解したりできるのは、ベンガル語・英語・日本語だけです。

  
お待ちかね、”お母さん”と”娘たち”とで作った「はじめましてのベンガル料理」。どれもサッと作れるお料理です。
*メニューについては、詳しくはこちらをご覧下さい。

 

来日は偶然の賜物

私が日本に来たのは、すでに日本で仕事をしていた主人と結婚したからです。主人が初めて日本に来たのは、もう45年も前のことで、半年から1年日本に滞在した後バングラデシュに帰りました。

しかし、そのうち戦争が起きました(バングラデシュ独立戦争)。日本にもう一度戻りたいと主人は思っていましたが、戦争でそれが不可能になった。それで主人は戦争集結後に日本に再び戻り、根を下ろしました。私が来日する3年ほど前です。

私が大学時代に住んでいた寮には、偶然にも主人の妹が住んでいました。そのうちに主人のご両親にも寮で会うようになり、彼らが私のことを「息子のお嫁さんにふさわしいんじゃないか」と思ったそうです(笑)その話が私の家まで届き、主人と結婚することになりました。

私が子どものころに聞いた日本のことと言えば「島国」「人々は刺身を食べる」くらいでした。その後大学では地理学を専攻し、日本とバングラデシュの産業の比較について勉強しました。日本に行こうと思ってそれを選択したのではなく、自分の国を他の国と比較することそのものに興味を持ったからです。

私は日本にこれほど長く住むことになるとは想像していませんでした。だから生まれた息子たちを、地元の小学校ではなくインターナショナルスクールに入れました。インターナショナルスクールなら、母国に帰っても勉強内容は同じですから。

でも私は、日本語を勉強しました。いつまで住むか分からないとしても、言葉が分からないと文化を理解できませんよね。それに大学時代に受けた「日本とバングラデシュの比較」に関する講義で、日本や日本語に興味を持ったんです。

 
スプーンで食べる人も、手食にチャレンジする人も。 どちらで食べても、程よい辛さでとってもおいしい!

 

DNAに刷り込まれた「先生」

JICAでは、海外青年協力隊の隊員としてバングラデシュに派遣される人たちに、ベンガル語を教えていました。でも言葉だけではなく国のことも教えたし、バングラデシュのことを好きになってもらうための努力もしました。派遣される人たちの中には”=貧困”という固定観念を持っている人がいるし、サイクロンなどの自然災害が多い国だとも思われています。だから彼らを安心させなくちゃいけない。それはカリキュラムに入っていませんでしたが、言葉以外のことをできるだけフォローするのも先生の役割だと思っていました。

生徒と一言で言っても、いろんな人がいます。それぞれの性格も違えば考え方も違うし、育った環境も違います。引っ込み思案で教室に一人でたたずんでいる人にも、私は歩み寄って声をかけました。全ての生徒さんと親しい関係を作らないと、クラスが成り立たないからです。

でも私にとっては、それは全く苦ではありません。教えることが大好きだからです。理由はハッキリしませんが、とにかく大好きなんです。私たちが若い頃は、特に女性にとって、尊敬される職業は先生でした。それに私の両親は先生だったし、私以外のお姉さんや妹も全員先生です。今では通訳の仕事も行いますが、機会があれば教える仕事に再び就きたいと思います。

 
最後はさっぱりとした甘さのバングラデシュスイーツ「サナ・プディング」を楽しみながら、スルタナさんがお孫さんのために買ってあげたという、かわいらしい傘を手に取り話に花が咲きました。

 

学ぶだけなら本で十分

一方で、料理は「教える」ではなく「シェア」です。もし1人でお料理だけを勉強したいなら、料理本を読めばいい。でも、1つの場所に複数の人が集まるということは、料理を学ぶだけじゃない、他の目的もあると思うのです。

そういう意味では、Niki’s Kitchenというのは母国の文化を紹介する場であり、お友達を作る場であり、いろんなお話をする場なんです。今日のクラスでもいろんなことを話したし、知らなかったことを知ることができましたしね。私にとっては、それがすごく良いんです。
だから、このNiki’s Kitchenが続く限り、私もクラスを続けたいと思います。

 

スルタナさんにとって、Niki’s Kitchenって何ですか?

難しい質問です。なぜならまだNiki’sで教え始めて間もないし、私自身がNiki’sについて勉強している最中だからです。

でもNiki’s Kitchenは楽しいです。これまでわずか3回しか開講していませんが、ありがたいことに生徒さんからも好評をいただいています。中には「JICAやいろんなところで長いこと教えてこられたから、いろんなことを知っていてすごい」という言葉までいただきました。

JICA時代も「お母さんみたい」だってよく言われたし、Niki’sの生徒さんからも言われます。私は精神的にはずっと20歳のままなのにね(笑)

 

スルタナさん関連リンク

スルタナさんのページ@Niki’s Kitchenウェブサイト (日本語):クリック!

 

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タスヌーバ・タヒアさん(バングラデシュ料理講師)

 

One thought on “ムンシ・スルタナさん(バングラデシュ)

  • 2012/12/23 at 00:36
    Permalink

    arigatogogaimasu, totemo thanoshikattades, yokattades.

    Reply

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