【一人ひとりのワクワクをコミュニティの力で事業にする】鎌田薫さん(ロンドン)
インタビュー&構成:徳橋功
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Kaoru Kamata
コミュニティカンパニー代表/メンター/コーチ/共創プロジェクト運営
ここでは”みんなが主役”。会社の看板ではなく「○○さんにお願いしたい」と言われる人を増やしていきたいです。
ついに、この方にお話をお聞きすることができました。コミュニティづくりの達人で、たくさんの人たちを引き寄せる鎌田薫さんです。
私たちが毎週のように英語朝活を行っていた2013年ごろ。風の噂で、六本木ヒルズで大人気の英語の会が行われていることを知りました。その運営者が、今回ご紹介する鎌田さんでした。あまりに人気のため、常に満席状態で、対面は叶わず。しかしその数年後、縁あってつながった”Mentor For”という女性リーダー育成支援事業を介して、メンターの一人として所属していた鎌田さんに出会ったのです。
それから約10年。私たちは鎌田さんが、世界各地で活躍する日本人の知見を結集させお互いを支え合うコミュニティを立ち上げたことを知ります。しかもユニークなのは、それが法人格を持った会社であることです。私たちは、まだあまり例がない試みに世界規模で取り組まれている鎌田さんへの敬意の印としてインタビューをオファー。ついにここに実現しました。
ロンドンと東京の間で行われた、約2時間半に及ぶ対話。いつも眩しいばかりの笑顔で、人の輪に自然に迎えられている印象の鎌田さんが、実は迷いと葛藤と悩みに格闘しながら自分の人生を追い求めてきた人なのだと知りました。
*インタビュー@オンライン
自分らしさはAIに勝る
私は現在、コミュニティカンパニー”セミラティス”を運営しています。世界中のメンバーが、それぞれの経験やスキルだけでなく、コミュニティ活動を通して一人ひとりが本来持っている強みや内発的な思いを見つめ直しながら”本当にやってみたかったこと”や”これから挑戦したいこと”を、企業や社会のプロジェクトにつなげていく場です。
企業から「こんなプロジェクトを一緒に実現したい」というご相談をいただくと、コミュニティ内で参加者を募り、それぞれの強みや関心を活かせるチームを組んでプロジェクトを進めています。
ご相談は、新規事業コンサルティング会社やPR会社、メディア関連企業、海外進出を目指す企業などから、私や仲間との信頼関係を通じてご紹介いただくものが中心です。企業や団体からのご相談に応じて、構想段階から伴走してプロジェクトを形にしていくこともあれば、海外と日本の架け橋となる事業やプロジェクトを、現地のネットワークやコミュニティの力を生かしてサポートすることもあります。直近では、Financial Timesと日本経済新聞がロンドン郊外で開催した“FT日経 UK駅伝”において、広報支援や開会式の演出に携わりました。

UK駅伝の成功に貢献したセミラティスのメンバーと。左から2人目に鎌田さん。
2026年6月 ※写真提供:鎌田薫さん
私たちが一番大切にしているのはワクワク、つまり内発的動機です。できるからやるのではなく「やりたいからやる」。その想いを原動力にプロジェクトへ参加することを、何よりも大切にしています。
中でも有料会員の方には、強みやワクワクを見つけたい方から、すでに見えている強みや関心を仕事や活動につなげたい方まで様々です。そうした方々に向けて、強みやワクワクを見つめ直すワークショップやセミナーに加え、コミュニティの中で人とつながり、自分らしさを生かして活動に参加したり、新しい挑戦につなげたりする機会を提供しています。
こうした取り組みを始めた背景には、私自身の経験があります。私は2011年からコミュニティ活動を続け、多くの方とのご縁を通じて、イギリスへの移住や日本への帰国後も、さまざまな仕事や新しい挑戦の機会をいただいてきました。履歴書だけでは伝わらない経験も、人との信頼関係の中では価値として認めてもらえる。その実感から、一人ひとりの強みや”本当にやりたいこと”を生かせるプロジェクト支援の場をつくりたいと考えるようになったのです。
会社でも家庭でもない”コミュニティ”だからこそ、人は本来の自分らしさを発揮できるもの。AI時代には、人とのつながりや人間性、その人ならではの個性が、これまで以上に価値を持つと信じています。
だから私は、事業ありきではなく”人ありき””やりたいことありき”でセミラティスを立ち上げました。3期目を迎えた現在、ネットワークは16カ国に広がり、日本と海外のメンバーはほぼ半々です(※)。日本には海外に挑戦したい会社員、海外には留学やワーキングホリデー、海外就職、駐在帯同、永住など、多様な背景を持つ仲間が集まっています。さまざまな生き方をする人たちとつながることで、日本にいながらでも海外をより身近に感じられるコミュニティになっています。
振り返れば、私自身も学生時代から”自分らしさ”を模索し続け、遠回りを重ねてきました。その積み重ねが、今につながっているのだと思います。
※2026年7月1日現在。
「私がどんな会社に入ったら喜ぶ?」
私は2016年からロンドンで暮らしています。途中4年間日本に戻った時期を挟みながら、現在まで約6年間生活。思えばその原点は、私の少女時代にまでさかのぼります。
子どもの頃から英語が大好きで、英会話教室に通っていました。小学校3年生頃から英語を習い始めたのですが、初めての先生がアメリカのペンシルバニア州のご出身。地図でその場所を見せてくれた時「日本からすごく遠くにあるんだな」と感じたことや、先生が自分の周りにいた日本人と言葉も見た目も違いすぎて驚いたことを覚えています。それゆえにつながりを求めたのでしょう、「この先生とおしゃべりできるようになりたい」という思いで英語を勉強しました。
中学生になると学校の授業だけでは物足りず、先生から教材をもらって 自主的に勉強するほどに。将来は通訳になり、人と人をつなぐ仕事がしたいと思っていました。英語そのものというより、人と人とを結びつけるものとして魅力を感じていたのだと思います。
中学卒業後は、地元の外語系高校への進学を希望。でも「将来の選択肢を狭めない方がいい」という周囲の勧めで普通校に入りました。そこは”早慶合格当たり前”という進学校で、私は優秀な同級生に囲まれ、すっかり自信を失いました。
大学受験でも第一志望には届かず、唯一合格した大学の英文学部へ。しかしシェイクスピアよりも、世界中の人たちと関係を築くための実用的な英語を学びたいと思い、入学後に同大学の国際学部に転部しました。
大学時代は、ベトナムの子どもたちを支援するNGOサークルで活動。現地に学校を建てることを目標に、寄付だけでなくベトナム雑貨の販売にも取り組みました。卒業後は雑貨ビジネスでの起業も考えましたが「まずは企業に勤めて社会人として学んだらどうか?」という母からのアドバイスを受け、就職活動を始めました。
私はある日、ほんの軽い気持ちで母に「どんな会社なら喜ぶ?」と聞いてみました。すると「金融業界の総合職がいいんじゃない?」と。自分に合いそうな分野を探す中、生命保険に人々の人生を支えるイメージを感じ、また事務職として生保での勤務経験があった母に背中を押されて、私は大手生保に入社しました。
”自分らしさ”への目覚め
生保には約3年間勤務しました。私の主な仕事は、支社スタッフとしての業績管理や、本社スタッフとしての銀行窓口販売担当向け研修企画運営。それらに全力で取り組んでいましたが、このまま働き続けても”なりたい自分”になれるイメージが持てませんでした。当時は女性の総合職が社内にまだ少なく”女性らしく働く”のではなく”女性の見た目をした男性らしく働く”ことが求められたのです。
そんな私が丸の内で懸命に働く姿を、母は誇りに思ってくれていました。一方で、社会人として自分で稼げるようになっても、何かを選ぶたびに母に相談し、答えを求めている自分がいました。
「そろそろ、自分のことは自分で決められるようになりたい」。そう思い立った25歳のある日、私は一人暮らしを始めることにしました。
生まれて初めて味わう”好きなものに囲まれた自由な生活”。やがて自分らしい生き方を考えるようになり、私は当時リクルートに勤めていた大学時代の親友に、これまでの心境を洗いざらい話しました。それを頷きながら聞いてくれた彼女は言いました。「薫はウチの会社に合ってるよ!」。
以前から電車の中吊り広告の『まだ、ここにない、出会い。』というコピーに刺激を受けていた私は、 彼女の言葉に背中を押されるように転職を決意。勤務していた親友の紹介でリクルートの採用につながり「ここなら夢中になれるものが見つかるかもしれない」という期待を胸に、新たな一歩を踏み出しました。
衝撃の質問
私が配属されたのは、親友やその上司が携わっていた、美容分野に特化した検索・予約サイト”ホットペッパービューティー”。当時はちょうど立ち上げの時期で”新しい当たり前”を生み出す経験は、その後の私の価値観を大きく変えました。
入社当時、私は上司に言われたのです。「お前はどうしたいんだ?」
会社員は上司の指示に従って動くもの – そう信じていた私は「自分がどうしたいのか?」と上司から問われたことに衝撃を受けました。”金融総合職から来たバリキャリ”という前評判とは裏腹に、指示がなければ動けない自分。ミスなし・慎重・完璧を重視する前職から、スピード・挑戦・革新を求める文化の違いに戸惑い、同僚たちから”OLちゃん”とからかわれながらも、私は必死に食らいついていきました。
2007年当時、美容師さんの多くはまだパソコンに慣れず、中には開き方も分からない人がいたほど。その大半は20代です。それでもリクルートは”ネットで美容室を検索・予約することを当たり前にする”という未来を本気で目指していました。
世の中に存在しないもの、『まだ、ここにない、出会い。』を、意志を持って作り上げる。自分たちが描いた未来を実現できた爽快感と、その一員として存在意義を実感できた喜びが、一気に私の中へ押し寄せてきたのです。
「君はすごく迷惑だ!」
リクルート入社当時、私は六本木・銀座エリアを担当。同僚たちと競うように朝から晩まで美容室へ飛び込み営業をしていました。そんな中、六本木ヒルズエリアに自社ビルを構える”ハリウッド”の牛山大社長と出会います。その会社は”ハリウッド化粧品”という由緒正しいブランドを持っていました。
私は社長に出会ったその日、怒られました。「君は自分のタイミングで飛び込んできて、一所懸命働いている人の時間を奪って、チラシ1枚だけ置いていくの?すっごく迷惑だよ」。
私は平身低頭に謝り「次回は御社のことをしっかり調べた上でご提案しますので、お時間をいただけませんか」とお願いしました。怒られたのに尚もアポを取ろうとする私を、意外にも社長は面白がってくださいました。
社内で「あのハリウッドのアポイントが取れた!」と話題になるも、媒体への広告掲載にはつながらず。しかしこの出会いが、29歳・独身・彼氏なしだった私の人生を大きく変える転機となっていきます。
幸せって何だっけ?
ハリウッドの社長と商談を重ねるうちに、社外活動にも誘っていただくように。一方でリクルートでは昇進も見えていましたが「他人からの評価に一喜一憂することが、本当の幸せなのだろうか」と迷い始めていました。
そんな時、社長から言われたのです。「自分が扱う商材だけに気を取られるのではなく、もっと自由に、もっと良い人たちや、もっと良いものと関わって、広く世の中を見られるような働き方が、君には合っていると思う」と。
「そんなことができたら良いですね・・・」と感心する私に、社長は言いました。「僕の会社なら、その場所を君に提供できる。うちに来ないか?」。
営業活動を通じて調べる中で、ハリウッドが大正時代から女性の働き方改革に取り組んできた先進性を持ち、また動物愛護など社会貢献活動を行う企業であることを知りました。学生時代に東南アジア支援に取り組んでいた私は、その姿勢に敬意を抱き、ハリウッドへの入社を決めました。
入社後は社長直属で、経営企画や新規事業、組織づくりなど幅広い業務を担当。さらに、会社が運営するビューティーサロンの支配人として現場も任され、自ら提案したことを形にできる環境で多くの経験を積ませていただきました。
遊びが仕事につながるコミュニティの力
2011年の震災後、友人に誘われて”大人の運動会”の企画チームに参加。「自分たちから元気を出そう!」という思いで都内で開催し、約300人が集まりました。本格的な競技場を借りて騎馬戦まで行うイベントとなり「やりたいことは、どんなに大きなことも、仲間がいれば実現できるんだ」と実感しました。
一方、ヒルズエリアにあるハリウッドの自社ビル内にカフェが出店しました。開店時間は9時。それよりも早い時間を有効活用できれば・・・と考えた私は、当時私が幹事として運営していた”ヒルズ部”というコミュニティと、カフェの運営会社が提携していた英字新聞”Japan Times”(以下JT)を結びつける形で”朝英語の会”を立ち上げました。毎週木曜の朝、ヒルズで働く人や住む人、外国人などが集まり、JTの記事をテーマに英語で議論し合う場は、いつも満員御礼。今に至るまで100回以上続く人気の部活となりました。

鎌田さんのコミュニティ立ち上げ歴の初期にあたる”朝英語の会”。下列左から4人目に鎌田さん。
※写真提供:鎌田薫さん
お互いが持つリソースを組み合わせることで新しい価値が生まれ、遊ぶように取り組むコミュニティ活動がビジネスにもつながるのだ – そう確信した瞬間でした。
駐在妻として向き合った「私は何者か」
仕事にも大きなやりがいを感じ「一生ハリウッドで働きたい」と思うほど。育休中には、私を含めた子育て中の社員が働きやすいよう、社内託児所の設立が社長から提案され、その準備を進めていました。
その矢先、夫の海外転勤が決まりました。
私にとって、それは全くの青天の霹靂・・・ではありません。商社勤務だった夫にはその可能性が十分にありました。しかも赴任地は「100%英語圏ではない」と。もともと海外に興味があり、非英語圏に何回も訪れていた私に、抵抗はありませんでした。 しかし実際の赴任先は、100%英語圏のロンドン(笑)大好きなイギリスで暮らせ、しかも1人目の子どもは全く手がかからなかったため、海外生活や子育てへの不安はほとんどありませんでした。
それでも、仕事を生きがいに感じていた私にとって、突然キャリアを手放し肩書きを失うことは大きな出来事でした。肩書きのない”鎌田薫”として生きることに戸惑い「私は何者なのだろう」と、自分のアイデンティティを見つめ直さずにはいられませんでした。
異国で気づいた私の”真髄”
葛藤を抱えながら、私は夫や息子とロンドンへ。家事や育児よりも仕事の方が得意なタイプの自分が、仕事を離れたことで得意なことを失い、苦手なことばかりを強いられる感覚に・・・社会に貢献する実感を持って働いていた私にとって、 夫と子どもと自分しか存在しない狭い世界で、しかも言葉の壁のために人に助けられる立場になることは、自分の存在意義を見失うほど大きな変化でした。
そんな時、”Himemama”というママ応援コミュニティの代表を務める坂上愛佳さんから声をかけられ”Himemama London”(以下HL)を立ち上げます。子どもの話だけではなく、自分自身についても語れる場にすることを、私は目指しました。また私が帰国後も続くコミュニティにするため、現地に永住するママと共同で運営。そうすることで、それまでつながりが薄かった駐妻と永住者が、違いを楽しみながらお互いをリスペクトし合う、新たなコミュニティが生まれました。
HLの共同代表として、私は多くのご相談をいただきました。でも自分には、まだ十分な知識やスキルがないと感じ、コーチングを学び始めました。またその過程で、自分自身についても深く見つめ直すようになりました。そして気づいたのです。”誰に頼まれなくても心底楽しんでコミュニティをつくり続けてきたこと”こそが私の真髄なのだ、と。
その思いは、HLの成長を通してさらに確信へと変わりました。帰国後も続くことを前提に運営していたHLは、2018年に私が日本へ帰国した時には約120名だった会員が、2022年に再びロンドンへ戻った頃には約550名にまで成長していました。自分の手を離れた後もコミュニティが育ち続け、さらに私を通じて設立や運営のノウハウが世界各地へ広がっていったことに、大きな喜びを感じました。
あの頃の私を助けたい
日本へ帰国後、私は幼稚園ママとして仕事を探していました。でも短時間勤務では自分の経験を生かせる仕事が少なく落ち込む毎日。そんな私に、大学時代からの友人の三好怜子ちゃんが声をかけてくれました。「限られた時間で編集長として働く薫の姿が、きっと同じ立場のママたちの勇気になるよ」と、彼女が代表を務める会社が運営していたオンラインメディア”LAXIC”(ラシク)の編集長職を提案してくれたのです。
編集や執筆の経験はほとんどありませんでした。それでもネットワークを生かした取材先の開拓や認知拡大を担い、ライターさんや副編集長からのサポートをいただきながら、約1年間運営しました。
LAXICでは社会で活躍する女性を紹介する一方、私の周りには働きたくても働けない女性がたくさんいました。「同じ経験をしている身として、その人たちを支援したい」- そんな思いを怜子ちゃんに伝え、LAXICの一プロジェクトとして駐妻キャリア支援プロジェクトを仲間たちと共にスタート。その後駐在員パートナー専門の人材紹介事業”CAREER MARK”として事業化しました。また別の方が代表を務める、海外赴任によるキャリア中断の解決を目指す任意団体”Dual Career Anyware”の立ち上げにも参画しました。
夫の協力に加え、地域のファミリーサポートや幼稚園のママ友にも支えられながら活動を継続。普段から自分の思いを周囲に伝えていたことで「面白そう!」と共感してくれた人たちが、公私ともに力を貸してくれました。
“ワクワク”が利益と価値を生む会社
「いつかまたロンドンに行きたい」。それが私たち夫婦の思いでした。もちろんそれは、会社が決めること。それでも私は「本当に望むなら、周りに言い続けたほうがいいよ」と夫に伝えていました。思いを口にしていると、誰かが覚えていて思わぬ形でチャンスを運んでくれることを、私は知っていたのです。
そして2022年、本当にその願いが叶い、私たちは再びロンドンへ。一方でその時に備え、日本を離れても働き続けられるように準備も進めていました。
私は”自分の内側から湧き上がる思いを仲間と共有し、新しい価値を生み出す”というこれまでの活動を、会社として実現したいと考えるようになりました。そこで学び始めたのが、メンバー一人ひとりが主体的に意思決定を行う”自律分散型組織”です。
会社員時代からコミュニティ活動を通じて、企業から協業のご相談を受けることがありました。でもコミュニティには法人格がないため、契約には至りません。でも「コミュニティだからできない」で終わらせるのではなく、会社という形を持てば、もっと大きな挑戦ができ、価値を生み出せるのではないか・・・
私はこの会社にふさわしい名前を考えました。しかし一度は思いついても、結局は誰かが使っているようなものばかり。コピーライターの友人に相談したところ「自分でもう一頑張りした方がいい」と突き返されました。
私は改めて、自律分散型組織を学んでいた時のノートを見返しました。するとあるページに”セミラティス”の文字。あらゆるところから軸が貫かれ、柔軟でありながらも強固さを保持する、そのような組織の構造を表すセミラティスには、各個人を中心にあらゆる方向からつながり合い、その組織が成長しながら周囲へと広がっていくイメージがありました。私が目指したのも、単なるコミュニティではなく、人を起点に社会へ価値を生み出す仕組みです。「これだ!」と直感し、社名に決めました。
こうして2024年4月「一人ひとりが自分らしさを発揮し、互いの強みを活かし合える場をつくりたい」という思いを胸にセミラティスを設立しました。



セミラティスでは国を越えてオンライン・オフラインでメンバーが集まる企画を数多く実施。
写真提供:鎌田薫さん
自分らしさの発揮で人の役に立てる世界へ
「10年後に100万人のつながりをつくる」- それが今の私の夢です。有料会員を100万人にしたいわけではありません。セミラティスを知り、応援し、関わってくれる人を100万人に広げたい。My Eyes Tokyoさんも、そしてこの記事をお読みいただいている皆さんも、もうその一人です。
会社員として働きながらも、本当は挑戦したいことがあるのに一歩を踏み出せない。そのような人はたくさんいます。その人たちが、自分の強みや、心からワクワクできることを見つけ、心の鎧を脱いで自然体で、自分の本来持っている力を発揮できるようになる – それが私の願いです。「こんなに楽しんでいるのに成果も出て、周りからも認められるなんて!」。そう喜ぶ人たちが増えれば、日本はもっと元気になると思います。
会社の肩書きのみではなく「○○さんにお願いしたい」と言われる仕事の柱を持てば、住む場所や働き方が変わってもキャリアは続けられます。弊社でも「セミラティスにお願いしたい」ではなく「○○さんにお願いしたい」と言われる人を増やしたい。ここでは”みんなが主役”ですから。
人はお金だけでは満たされません。「あなたと一緒に仕事ができてうれしい」と言われるような信頼関係の中で、自分らしく挑戦し、誰かの役に立てることにこそ、本当のやりがいにつながると思っています。
振り返れば、この思いは昔から変わっていません。大学受験の時も、私は英語そのものではなく、人と人が関わり合い、理解し合うことに興味があったから国際学部を選びました。今やっていることも同じです。人が集まり、つながって、新しい価値が生まれていく場を作りたいという思いを、私は当時から今日に至るまで、ずっと変わらず持ち続けてきたのでしょうね。
世界中どこにいても、自分の強みとワクワクを軸に、人と人がつながり、協力し合える。そんな世界を、これからも少しずつ広げていきたいと思っています。

写真提供:鎌田薫さん
鎌田さんにとって、ロンドンって何ですか?
”人が人らしく働くためのインスピレーションを与えてくれる場所”です。
「仕事こそが人生なのではない。仕事は人生の一部に過ぎない」。そんな価値観で生きる人が、ロンドンには多いように感じます。
また、ロンドンは地域コミュニティの豊かさを実感できる街でもあります。私の住む通りには約40世帯が参加するWhatsApp(※日本のLINEに相当)のグループがあり「野菜が採れたからどう?」「本を出版したから記念パーティーに来てね」「結婚60周年のお祝いをするよ」といった交流が、もはや日常です。私も、日本の食品会社さんからご依頼いただいた試食モニターを近所の方々にお願いするなど、日頃からたくさん助けてもらっています。
私は長い間”ロンドンはいるだけで幸せになれる街”だと思っていました。でもそれは、人と人が自然に支え合い、応援し合うコミュニティ文化にあるのだと気づきました。
私が目指しているコミュニティの姿も、実はそこにあるのかもしれません。ロンドンは、その理想を日々見せてくれる場所だと思います。
鎌田さん関連リンク
合同会社SemiLattice
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