影山優理さん

Yuri Kageyama
AP通信東京支局特派員 ビジネスライター
(生まれは日本。教育は主にアメリカで受ける)

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日本の社会にも、アメリカの社会にも受け入れられていないような気がしていました。

 

今回のインタビューのお相手は、私たちの大先輩、大師匠にあたる方です。

世界への日本発信歴、約15年。世界的ネットワークを誇る大通信社、AP通信の東京支局で、主に日本の企業活動や経済動向、日本人の消費動向など、ビジネス関連を取材されている影山優理さんです。

影山さんは、日本とアメリカという、異なる文化的背景を持つ2つの国で育ち、教育を受けてこられました。希有な体験やバックグラウンドが、日々世界中に配信される記事の執筆の源泉ですが、反面、2つの文化の狭間で心が揺れ動いたこともあったそうです。

今回は、大先輩ジャーナリストの真情に、駆け出しジャーナリストが深く迫ります。

*Cafe Plant’s(吉祥寺)
*英語版はこちらから!

 

APなら、真の記者になれると思った。

私はAP通信社で約15年仕事しています。東京支局の現地採用社員から出発しました。履歴書を送り、試験や面接を経てAPに採用されました。その前はジャパンタイムスで5年間働いていたんです。そして何か違うことがやってみたいと思い、APの採用試験を受けました。

私はずっと英語で教育を受けてきたので、書く時はいつも英語です。だからAPのほかに朝日新聞英語版とワシントンポストを受験しました。どちらも受かりましたが、私はAPを選びました。

ワシントンポストは確かに質の高い新聞です。でももし私がそこに入ったら、外国から来た特派員のアシスタントしかさせてもらえません。では朝日はどうか。私の配属先は朝日新聞の英語部門になるでしょう。つまり、記者というより翻訳者の側面が大きくなる。だからAPで働く方が、朝日で働くよりもいいだろうと思ったんです。

実際に、ここではあなたも他の人と同じ「記者」ですよ、とAPは私に言ってくれました。アシスタントじゃないし、通訳でもない。あなたの仕事はとにかく取材をすることであり、記事を書くことです、と。もしこれがニューヨーク・タイムスやワシントンポストだったら、アメリカから来た記者さんたちのお手伝いで終わっていたかもしれません。自分はつくづく正しい選択をしたと思います。

 

日本はニュースの宝庫

APは私のような、日米双方の文化のもとで育ってきたバイリンガルを必要としていました。APなら、私はその会社が求める人間により近づけた。だから私はAPを選んだんです。

例えば、もし私がアメリカ国内の普通の新聞社に入っていたら、それはそれで楽しいんでしょうけれども、私の日本語能力とか日本に関する知識はあまり生かされないでしょう?もしアイダホ州の新聞社にでも入ったなら、日本語を話したり日本に関する知識を生かす機会は何回あるんでしょうか。

その点APなら、東京には記者が10人以上常駐する比較的大きい取材拠点があります。APは日本に関するニュースを必要としていますから、私にとっては自分の能力を生かせる良い場所なんです。

あと、私は運が良かったです。私がAPに応募したとき、日本が国際ニュースに占める位置は大きいものでした。当時は凄まじいジャパン・バッシングや、日本が世界を支配するんじゃないかという恐怖心が世界中に渦巻いていたんです。今なら中国やインドなんでしょうけどね。

今でも、日本は国際ニュースにおいて重要な位置にいると思います。日本はニュースの宝庫だと思います。

 

変化する食生活の象徴「クリスピー・クリーム

私が記事を書く時は、いつもいかに読者の興味を惹くか、そしていかに読者にも分かるように伝えるかを考えています。

例えば、最近の日本人は脂肪分の多い、高カロリーの食べ物を好んで食べるようになった、という記事を書きました。以前は魚やお米、野菜中心だった食生活が、ケーキや特大カップラーメンに替わっていった。そういうことを記事に書きたい場合、アメリカ人やほかの国の読者にも分かる何かを、具体例に挙げればいいのです。私はアメリカのドーナッツチェーン店の「クリスピー・クリーム」を例として選びました。

新宿に1号店がオープンした時、店の前にはすごい行列ができていました。これを記事にしたら、アメリカ人にも分かるはずです。クリスピー・クリームを記事の頭に持ってくれば、皆さんの伝えたいことを、相手に伝わりやすいように書く取っ掛かりが出来ます。それから、食料事情の専門家、マーケティングの専門家、もちろんクリスピー・クリームの従業員たちもですが、彼らのコメントを載せていって、どうして日本人の嗜好が変わって、アメリカナイズされていったのかを追及していけば良いのです。

 

「自分は何を伝えたいのか?」絶えず自問自答せよ

この点を押さえれば、リポートの基本は完成です。ただ皆さんはこの場合、読者にとって馴染みがないものを伝えようとしていますので、基本と言うよりは、この種のリポートにおいては「重要なこと」と言った方がいいでしょう。

記事は誰が見ても、それこそアイダホ州のジョーンズ夫妻が見ても(笑)分かりやすいものでなくてはなりません。事象と向き合い「自分は何を伝えたいのか?」を絶えず自問自答することが必要となりますから、自らの成長のステップになります。

ただ、問題もあるんですよね。「やった、スクープだ!」と思うような面白いネタをつかんでも、海外の読者にはその面白さや価値が伝わらなかったりすることもあります。

でもどんな事象でも、懸命に対象を見つめていけば、たとえそれが一見、日本国内でしか理解されないようなものであっても、海外の人にも理解され得るような視点が必ず見つかります。例えば100円ショップのダイソーのような国内企業にも、アメリカ製の商品があるかもしれないし、もしかしたらアメリカ人のマーケティングのプロがいるかもしれない。切り口はあるはずだし、それを見つけるのが楽しみだったりします。切り口を見つけたら、その記事は取材した記者しか書けない記事になります。朝日新聞が書いたダイソーや吉野家の記事とは必ず差別化できます。

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AP通信東京支局

 

娘に同じ苦労を味わわせたくなかった父

私が初めてアメリカに行ったのは、6歳の時でした。私の父はエンジニアでしたが、父はアメリカが本当に好きだったんです。父は決して英語が上手い方ではありませんでしたが、アメリカで仕事をしたいと思っていました。だから勉強とか仕事とか、とにかくどんな理由でもいいから日本を出たいと考えていました。

そして父は実際に行動に移しました。父はエンジニアとして一生懸命働き、アメリカもまたそんな父の働きに応えるように、より多くのチャンスを与えました。父はアメリカがもっと好きになりました。

そんな父だから、娘の私にも同じようなチャンスをつかんでほしい、と思ったんですね。父は、自らの英語力の無さが、目の前に立ちはだかる障害物だと感じていました。だから私を、英語に囲まれた環境の中で教育しようと思ったんです。私にはそういう障害を感じてほしくなかったんです。英語は世界の共通語になりつつありますから、英語を自由に話すことができたら、世界中のいろんな人たちと話せる、そう父は考えていました。

 

英語漬け

私はワシントンDCにある公立の小学校に行くことになりました。日本に帰ってきてからも、父は私をインターナショナルスクールに入れました。高校生のときに再び渡米して、今度はアラバマ州に行き、近くの公立高校に通いました。

その後また帰国しましたが、以前と同じく東京のインターナショナルスクールに行きました。しかも授業は英語でした。だから自分にとっては日本の大学を受験するよりも、アメリカの大学を受験する方がずっと簡単でした。

私はまずアメリカのカレッジに行き、そこからコーネル大学に転入して、社会学人類学社会心理学を専攻しました。その後カリフォルニア大学バークレー校の大学院に行き、社会学の修士号を取りました。

 

元々は詩人だった

その後は博士課程に進まず、フリーのライターをしていました。私は小学生の頃から物語を書くのが好きで、フィクション系の作家になりたかったんです。そして詩人にもなりたかった。実際に詩を書いていたんですけどね。

私が書いた詩や物語は、文学雑誌に掲載されました。そういうことを、私は大学院在籍時からやっていて、大学院を出てからも続けていました。サンフランシスコ・ベイエリアに10年間いて、その間に詩を書いたり、ツアーガイドとか秘書とかもしていたんですが、どこかの会社に勤めることはしませんでした。詩を書く、物語を書く、時にミュージシャンたちと公演に出る。素晴らしい、充実した時を過ごしました。

それから日系アメリカ人向けの新聞で執筆するようになりました。中国系の新聞にも寄稿したことがあります。自分が書いたフィクションの作品が出版されたりもしました。

 

書くことと収入を得ること、どう両立させるか?

でも、お金がなかったんですよね。私が家族を持ちたい、結婚したい、子どもが生まれた、となった時に、ふと考えたんです。「書くことと収入を得ること、どうやって両立させようか?」と。

その時、ふと思ったんです。そう言えば自分が学んだ社会学は、ジャーナリズムに良く似てるな、と。外に出て人々の暮らしを見つめ、それを文章に表す・・・それってほとんどジャーナリズムでしょう?

だからフリーランスじゃなく会社勤めで安定した収入を得ることを考えて、私はジャパンタイムスに入社しました。ただお金が必要という理由で、私のジャーナリスト人生が始まったのです。

詩で食べていけるんだったら、そっちの方がいいです。だって、記事を書くよりも詩を書く方が、よりいろんなことが出来ますからね。これは記者としては言ってはいけないことなんでしょうけど、たとえ誰も読まないような詩であっても、詩ならもっといろんな表現が、より高いレベルでできるんです。

だから、自分が記事を書く時に、ちょっとでも詩の要素を取り入れる隙間があったら、取り入れるようにしています。その方が人々に伝わりやすいですからね。もっとも、そういう隙間なんてそうそう見つけられるものではないんですけど。

 

書くことで、自分自身を知る

でも反面、記事を書くことにも利点があります。何と言っても、読む人の数が詩よりもずっと多く、読者の目に触れる可能性はすごく高いです。つまり、自分の書いた物が、たくさんの人のもとに届くんです、特にAPでは!しかも誰がこの記事を書いたのかを、署名することで表せます。”By Yuri Kageyama” の一文を載せられるのってすごく素敵なことです。

何百万人もの人に、自分の書いた物を届けられる、そういう機会を与えてくれたAPにはすごく感謝しているんです。

私は書くことで、自分自身や自分を取り巻く世界について知りたいのです。そして自分がどうあるべきかを探りたいのです。そういうことが仕事を通じて出来るのが、ジャーナリストという職業の良いところですね。人を実際に傷つけることなしに、人により良い選択を促すための情報を伝えることができる。それがこの仕事の良いところです。

 

日本人じゃない、アメリカ人でもない、人間でもない。

アメリカと日本の2カ国で生活してきたことで、私は語学能力と希有な文化体験を得ることが出来ました。それらのおかげで、私はこうして仕事をしています。

反対に悪い点は、自分が世間の真ん中ではなく端っこに追いやられているように感じたことです。日本の社会にも、アメリカのメインストリームにも受け入れられていないような気がしました。自分は社会不適格者なんじゃないかとか、あるいは劣等感とか、そういう気持ちを抱いていた時期もかなりありました。日本人とも言えない、アメリカ人とも言えない、はたまた人間とも言えない自分を強く感じていました。

今でこそ、自分は素晴らしい経験をして人間性に幅を持たせることができたと思います。でも以前は自分にとって大問題だったんです。私は一体何者なのか?私は一時期、父が私を英語ばっかりの学校なんかに行かせなければ、こんな風に悩まずにすんだのにって思いました。普通の学校に行って、普通の生活をしていても、それはそれで良かったんじゃないか。

でも父は、それでいいなんて思わなかった。もしそこで普通の選択をしたら、決して幸せになんかなれないと思っていたんです。

 

「日本だけが良くなるように、なんて考えるな」

今は、自分の経験は自分にだけ与えられた特権のように思います。だから私は自分と同じ経験を、今度は私の息子にさせてあげているんです。今では、何故父がそういうことを私にしたのかを受け入れることができます。

そして父が私にしてくれたことに感謝しています。父は言っていました。「日本だけが良くなるようになんて考えるな。世界中が良くなるために行動しなさい」と。世界にとって良いことは、ひいては日本にとっても良いことなんだと。父は視野を広く持ち、日本以外のこともその当時から考えていたのです。

程度の差はあっても、私たちはこの世界でひとつに繋がっています。だから同時多発テロの体験を、私たちは共有できるんです。世界で今起きていることに対して、他人事では済まされません。自分は世界の出来事になんか関係ないと考えるとしたら、その瞬間に現実世界から虚構の世界の住人になってしまいます。実際、現実社会に対してバリアーを張ることはできます。その方がその人にとって便利だし、現実逃避もできます。でも行き着く結論はひとつ。私たちは世界で起きていることに無縁ではいられないのです。

 

「客観的なニュース」なんて存在しない

ニュースは客観的であるべきと言う人がいます。つまり、誰が記事を書こうが関係ない、ニュースはニュースだ、という意見です。

私はそうは思いません。ニュースは記者によって大きく変わるんです。繊細な記者、普段から下調べを十分にする記者。彼らが書く記事は自ずと違ってきます。

私たち日本人は、日本のことを他の国の人たちよりも知っているし、日本に関することにも同様に敏感です。だから私たちは、ブルームバーグやロイター、ニューヨークタイムスなどで、私たちしか書けない記事が書けるんです。私たちはそのことを誇りに思うべきだし、その利点を十分に生かすべきです。

 

自分の得意分野を持とう

ニュースは日々変わります。ニュースの世界にも、オンライン化の波が押し寄せています。そんな時代に問われるのは、ニュースの速報性や専門性です。だから今の時代、いい記事が書けるとか、数カ国語を話せるだけでは足りないのです。それよりも、自分の得意分野を持つことの方が大事です。

記者の基礎として、言語能力とか相手の文化に対する繊細さを身につけていくのと同時に、自分の得意分野を追究していって下さい。オンライン化のおかげで、マイナー志向の読者相手にも情報を届ける機会が増えています。自分にしか書けない記事を書く方法、つまりは自分の得意分野が見つかれば、可能性はうんと高まります。ハードルは以前より低くなっています。ハードルが高くなっているように見えて、実は低くなっています。専門性というとカタいですが、もし皆さんがマンガが好きであれば、それが皆さんにとっての専門分野なんです。それはポップカルチャーでもファッションでもテクノロジーでも、何でもいいのです。

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*撮影:坂本眞理

 

影山さんにとって、東京って何ですか?そしてアメリカって何ですか?

私は日本にもアメリカにも、特別な感情を抱いています。日本の文化、アメリカの文化、どちらも愛おしく感じます。
東京は私自身であり、そしてアメリカもまた、私自身です。どちらも私の一部であり、私そのものなのです。

 

影山さん関連リンク

AP通信ホームページ(英語のみ):http://www.ap.org/
AP通信の若者向けニュースウェブサイト/英語のみ:http://asap.ap.org/
Tokyo Correspondent -Notes From A Writer Beyond the Headlines-(影山さんのブログ/英語のみ):http://yuri-kageyama.blogspot.com/

 

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