サトゥバルディエフ・シェルゾッドさん(キルギス)

インタビュー&構成:徳橋功
撮影:土渕正則・徳橋功
ご意見・ご感想は info@myeyestokyo.com までお願いします。

 

Sherzod Satvaldiev
ノン・ピザ職人/飲食店経営者

撮影:土渕正則

 

 

 

 

何も持たずやって来た私を、東京でお店を持つまでにさせてくれた。そんな日本に心から感謝しています。

 

 

 

 

 

 

約10年越しの思いが、ここに成就しました。

あれは2017年。私たちのインタビューやイベントを陰日向にご協力いただいている土渕正則さんが、日本の日常ではあまり見かけない風景を、彼の地元の一コマとしてSNSにアップしていました。


※撮影:土渕正則

それは”ボーズウィ”と呼ばれる、中央アジアの移動式テント。埼玉県春日部市のとあるお宅の庭に鎮座するその堂々たる姿に、私たちは息を飲みました。聞くと、そこでキルギスご出身の男性が、ノンと呼ばれる中央アジアのパンを焼き、地元の人たちに振る舞っているとのこと。

秒で興味を持った私たちでしたが、多忙を理由にアプローチを控えました。そして数年後「さあ取材へ!」と立ちあがろうとしたところ、ご家族でカナダに渡っていったというのです。

「もう永遠にお会いできないのか・・・」

それから数年が過ぎた昨年(2025年)秋、土渕さんから連絡が入りました。

「彼らは日本に戻ってきたそうです。しかも、もうすぐ都内でお店を開くそうですよ!」

カナダ・モントリオールでイタリアンやフレンチの修行を重ねた男性が、日本で開く本格ピザのお店。私たちは今年(2026年)初めのグランドオープン後に”Nostra Pizza by Silkroad Bakery SHER”を訪問し、土渕さんのご紹介で、ついにオーナーシェフのサトゥバルディエフ・シェルゾッドさんにお会いすることができました。

穏やかで優しそうな笑顔が印象的なシェルゾッドさんに、私たちはインタビューを打診。2つ返事でご快諾いただき、ここに対談が実現しました。

「何も持たずに日本に来て、お店を持つまでに経験したことを子どもたちに伝えたい」とおっしゃるシェルゾッドさん。このエピソードに刻まれた彼の足跡を、いつか愛するお子さんたちがたどることを願っています。

※インタビュー@Nostra Pizza(台東区)


土渕さんが仲間の方と運営していた、春日部市在住の素敵な人たちをご紹介するYouTube番組に、シェルゾッドさんが奥様と一緒に出演されました。キルギスの位置・気候・食文化、お二人の馴れ初め、日本で感じたカルチャーショック、当時の繁盛ぶりや新店舗の開店情報など。1’40″ごろからご夫婦が登場です。
2018年5月

 

世界が求めるピザ in 下町

当店は昨年(2025年)12月初めから今年1月5日までのプレオープンを経て、翌1月6日にグランドオープンしました。プレオープン期間は私自身が海外で経験したピザ作りを復習したり、お客さんの反応をもとに新しいメニューを決めたりしました。

当店のピザは生地を長時間発酵させているので、軽くて食べやすいのが特徴です。サイズは10インチほどで、日本の一般的なLサイズくらいですが、重たくないので一枚食べきる人が多いですね。


サラダとドリンクが付いたランチセット。
茄子やスモークパプリカ、ズッキーニが入ったヘルシーなベジタリアンピザ。
定番のマルゲリータもいただきました。

お客さんは、やはり日本人が多いです。でも桜の季節になると、週末を中心にヨーロッパからの観光客も増えますね。日本人のお客さんが一人もおらず、ディナー時にはお店がすべて外国人のお客さんで埋まった日もありました(笑)お店の周辺にはAirbnbも多いから、近くに泊まっている人が来てくれているのだと思います。カナダの友人が当店のInstagramをいろんな人たちにシェアしてくれて、そのつながりで来てくれる人もいらっしゃいます。

 

家業なんて継ぎたくない

私はキルギスで、中央アジアで作られるパンの一種”ノン”の職人の家庭に生まれました。祖父の代から続いていますが、私が子どもの頃は、絶対にノン作りだけはやりたくないと思っていました(笑)小学校2、3年生の頃から、父のお手伝いをしていたので、厳しさを知っていたからです。朝早くから仕込みをし、時に結婚式の注文が入ると、夜中まで作業することもありました。

でも私は最後まで、窯には入りませんでした。そんな私に父は「今は実際にやらなくてもいいけど、目で見て覚えておけ」と言ってくれたので、見ながら覚えました。後に日本で自分でノンを作るようになってからは、子どもの頃に見ていた父の焼き方を思い出し、失敗を重ねながら窯の使い方を身につけていきました。

 

“タクシー”が導いた日本への道

一方で若い頃は映画が好きだったので、カメラマンを目指して、ウズベキスタンの首都タシケントにある専門学校に入りました。しかし時代の変化と共に、機材や必要とされる技術が変わり、自分のスキルがその変化に追いつかず、カメラマンの道は諦めました。

やがて英語を教えることに興味を持ち、英語の大学に入りました。友人と一緒にキャンプなどに出かけた時、キルギスを訪れた外国人観光客と英語で会話したことがきっかけです。大学では2年間英語を学びましたが、キルギスで暴動が起きてしまい、それ以上大学には行けなくなりました。

その頃、ウズベキスタンとの国境付近で、外国人観光客を自分の車に乗せて街まで送る仕事をしていました。収入のためでもありましたが、一番の理由は外国人と話したかったからです。実際に英語を使う機会も多く、勉強になりました。お客さんの中には日本人もいて、その人が泊まっていたゲストハウスまで乗せ、車を降りた後も私が彼の荷物をお部屋まで一緒に持って行き、そのお礼にチップまでくださったことを覚えています。

そんな私が運転していた車に乗ってきたのが、同じく日本からやって来た女性 – つまり後の妻でした。

 

祖父からの”テスト”

当時の私の実家には、確かに日本の家電製品がありました。車は韓国製でしたが(笑)しかし日本人や日本文化についてはほとんど知らず、私の世代に人気の日本のアニメにも、旧ソ連出身だったために触れる機会がありませんでした。

そんな私が突然日本人女性と出会い、その後メールを通じて距離が縮んでいきました。2年ほど遠距離恋愛が続く間、彼女は何度か私の家族にも会ってくれました。

ある頃、仕事の関係でロシアのエカテリンブルグに住んでいた家族に、私は「結婚を考えている人がいるから、紹介したい」と伝え、彼女をロシアに呼びました。献身的に祖父母の面倒を見る彼女を家族は気に入り、祖父も彼女との結婚を私に許してくれました。その後、日本で彼女のご家族に挨拶をし、結婚しました。

私は最初、日本に来ることに不安も感じていました。でも当時は今よりもっと若かったから、後先のことを考えず思い切って飛び込んだ感じです(笑)文化や言葉の違いで大変なこともありましたが、妻がいてくれて、それらの壁を越えることができました。

その後、妻と共にキルギスに一時帰国。その間に1人目の子どもが生まれたので、半年ほど滞在しました。中央アジアの文化に惹かれていた妻は、その先もキルギスで暮らすつもりでいました。父が作ったノンを売って回るほど、現地に溶け込んでいたのです。しかし医療や子育て環境などを考えて日本に戻ることにしました。

 

みんなが求めた”自分が食べたいもの”

「異国で仕事をするなら、やっぱり自分の文化に関わるものがいい」。それは自分の文化を扱えば仕事がしやすく、日本の人たちからも好まれるからです。私は日本で受け入れられるノンを目指して、有名店を含む複数のパン屋さんでアルバイトをしながら、日本のパン作りを学びました。

お店の人たちの言葉は、当時ほとんど分かりませんでした。でも生地の扱いやカット、作業のスピードには自信があったので、仕事自体はできました。あるパン店の社長から「仕事が分かるなら言葉はいらないよ」と言われたことを、今でも覚えています。1〜2日働いたのを見て、その方から「いいよ」と認めてもらえました。これは子どもの頃からの経験があったからだと思います。

やがて埼玉県春日部市の自宅でノン作りを始めました。それは私たち家族が食べたかったからですが、故郷の味を懐かしむ友人たちにも差し上げました。その味を気に入った友人の一人が「これをFacebookで広めたら売れるよ」と。実際に周囲には中央アジアやロシアから来た人たちが住んでいました。私は「売れるわけがない」と思っていましたが、彼が私のノンの写真をFacebookに載せたら、そこに「食べたい!」というコメントがたくさん付いたのです。

 

異国で家業を継ぐ

そこで週に1回、30枚ほど作って各地に発送するように。キルギス語やウズベク語、ロシア語で商品についてFacebookで発信するうち、それらの言葉が分かる日本人からも問い合わせが来るようになりました。

当時、平日はトラックドライバーの仕事をしていました。ノン作りや販売を並行して行うのはキツく、また私のノンが売れるようになってきたので、仕事を辞めてノンに専念。2018年、私たちの初のお店”Silk Road Bakery SHER”をオープンしました。子どもの頃は「絶対にやらない!」と、強く拒否していたほどのノン作りですが、年を取って考え方が変わったのでしょうね(笑)

味や食感については苦労しました。日本人向けにしすぎると中央アジアの人には合わず、逆に本場に寄せすぎると日本人に合わないので、そのバランスを取ることに注力しました。例えば中央アジアの本場のノンは重くてしっかりしていますが、日本人はふわふわ・もちもちを好む。なので妻と工夫して、その中間を目指しました。

やがてまとまったお金が出来、さらに都内に住んでいた中央アジアからの留学生からリクエストをいただいたことから、ウズベク・キルギス料理のお店”VATANIM”(※ウズベク語で”私の故郷””私の祖国”の意味)を高田馬場にオープン。そこもお客さんが増えて席数を増やす必要が出てきたため、中野区の新井薬師に移転しました。

 

未知の食を追究する旅へ

2021年、私たちは日本を離れる決意をしました。行き先はカナダ東部、英語とフランス語が飛び交う街・モントリオールです。

カナダ行きを決めたのは、あらためて英語を学ぶためでした。2020年開催予定だった東京オリンピックで日本にたくさん外国人が来ると考え、自分の英語力を強化したいと思ったのです。

最初は1人で1ヶ月程度の語学留学に行く予定でした。でも「子どもたちにも英語に触れさせた方が良いから、みんなで行こうよ」と妻から言われ、家族でカナダ、中でもいろんな条件が整っているケベック州に渡ることに。その資金を確保するために、私は新井薬師のお店を知り合いに売却しました。

カナダに渡った当時は、英語習得以外に目的がありませんでした。しかし日本で経験がある料理も学ぼうと考えるように。そこでモントリオールの料理学校に入学し、フランス料理やイタリア料理、さらにパティシエやお店の開業方法まで勉強しました。

一方でスタージュ(研修)としてリッツカールトンなどの厨房に入り、20キロのじゃがいもの皮を延々と剥くような地道な作業に取り組みました。

その後、フランスやカナダ国内で経験を積んだフランス人の友人に誘われ、彼がモントリオール郊外で開いたお店”Zappo Pizza”でピザ作りを始めました。

 

ピザ職人 はじめの一歩

ノンもピザも窯を使って作るという共通点があり、しかも彼の店は薪窯で焼くスタイルだったので、興味を持ったのです。それまで「ピザはグルテンが多く含まれているから体に良くない」という印象を抱いていましたが、少ないイーストで長時間発酵させるナポリスタイルなら生地も美味しく消化もしやすい。「ピザは決して不健康ではない」と分かり、考えが変わりました。

一方でカナダでも、家族で食べるために自宅の庭に窯を作ってノンを焼き、やがて現地に住むキルギス人やロシア人向けに販売もするように。その商売は軌道に乗り、カナダのいろんな場所から注文が入るようになったのです。カナダには日本の宅急便のような配送サービスが無いため、その人たちに自分で配達したり、時々スタッフを雇って配達していました。非常に効率が悪いので、途中で商売を断念しました。

埼玉には変わらず自宅があったので、いずれ日本に戻るつもりでした。最終的に4年間のカナダ滞在の後、日本に帰国しました。

 

たどり着いた”私たちのピザ”

帰国の1年くらい前から、その後のことを考え始めました。そして友人の店で経験を積み、日本でピザのお店を開くことを決意。もちろん日本ではピザの競争が激しく、しかもそのクオリティが高いことは知っていました。

外国人観光客が多いエリアに狙いを定め、帰国後に台東区周辺で物件を探しました。海外にも有名な浅草が第一希望でしたが、家賃が高いため、その近くで探し、この場所を見つけました。

この物件はまだ一般に公開されていませんでした。私の代わりに下見に言ってくれた友人からキッチンの写真を送ってもらった後、時間差で妻と私が実際に目で見て即決しました。

ピザのスタイルはカナダで作っていたものをベースにしていますが、ナポリピザとはあえて言っていません。当店の名前”Nostra Pizza”は、カナダで一緒にピザを作っていた友人のアイデアですが、イタリア語で”私たちの”という意味の”Nostra”を付けたのは、ナポリでもなく、また母国キルギスでも、私のルーツがあるウズベキスタンでもなく、自分たちのスタイルのピザを提供するという意思を示そうと思ったからです。

当店の看板にある”By Silk Road Bakery SHER”という言葉も、春日部で開いていた同じ名前のお店が土台になっていること、また母国キルギスからイタリアまでシルクロードでつながっているというイメージから来ています。

ノンとナポリピザには共通点もあります。それは、どちらも”生地の端を残して焼く”スタイルです。ノンは真ん中に模様をつけて、その周りの縁をふっくらさせる。そのような共通点も、私がナポリスタイルを選んだ理由です。


ゴルゴンゾーラや山羊など4種のチーズが、ジューシーなチキンに絡み合う”シルクロード チキン”。


シェルゾッドさんの母国の食文化を味わえる”ソムサ”。
りんごやマスカルポーネ、キャラメルソースで彩られたスイーツピザなどもご提供。全部おいしくいただきました。

 

”家族”と”安定”があってこそ

将来の目標としては、早くお店から離れたい。「何を言い出すんだ?」と思われそうですが、家族との時間を大切にしたいという意味です。中でもモントリオールで生まれた娘が少し大きくなるまで、一緒に過ごす時間を増やしたいですね。

もちろんお店の運営は続けます。でも私が信頼できる人に少しずつ任せていきたい。ただ私が経営から離れたとしても、品質管理はしっかりと続けます。またこの店舗とは別に、もう一店舗くらいは出したいと考えています。

Nostra Pizzaとは別のお店を出す可能性もあります。カナダ時代の友人のお父さんがフランス人のパティシエなのですが、彼は日本にとても興味を持っていて、私に「一緒にお店をやろう」とおっしゃってくれています。今年の秋頃に来日する予定で、場所探しも始めるかもしれません。

目標の先にある私の夢は、これからも変わっていくものだと思います。ただ大きな夢を描くより、普通に安定して暮らせることが一番大切だと思いますね。

 

シェルゾッドさんにとって、日本って何ですか?

”感謝する国”です。

自分は何もない状態で日本に来ました。その国で成長させてもらい、ここまで来ることができました。日本での経験があったからこそ、今の自分があるのです。

カナダでも私が「日本から来た」と言うと、人々から驚かれました。「なぜ日本を離れてここに来たのか」と。それだけ日本は評価されている国なんですよね。

私は日本でゼロからスタートして、お店まで持たせていただくことができました。その分、しっかり働いて税金も払い、この国の社会に貢献したい。一方でキルギスやウズベク、日本のルーツを持ち、カナダで過ごした経験を持つ子どもたちが、自分だけのためでなく、日本だけのためでなく”世界のために役立てる人”になることを願っています。

 

Nostra Pizza by Silkroad Bakery SHER

東京都台東区三ノ輪1-9-4(地図
※最寄駅:東京メトロ日比谷線「三ノ輪」1b出口から徒歩1分
電話:03-5808-9633
営業日:月~日 ※年中無休
営業時間:
【平日】11:00~15:00/17:00~21:30
【土日祝】11:00~21:30
※詳しくは下記サイト & SNSをご確認ください。

 

シェルゾッドさん関連リンク

Nostra Pizza HP:nostra-pizza.com/
Instagram:@nostrapizza.tokyo
X:@mayram_k

 

My Eyes Tokyo

Interviews with international people featured on our radio show on ChuoFM 84.0 & website. Useful information for everyday life in Tokyo. 外国人にとって役立つ情報の提供&外国人とのインタビュー