ターニャ・ソブコさん(スウェーデン)

インタビュー:徳橋功・阿部将之
構成:徳橋功
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Tanja Sobko
栄養学博士/料理講師
(2006年から09年初まで日本在住)

 

 

いつも皆さんと共にいます。

 

 

2011年3月11日に発生した東日本大震災を機に再開したコーナー「日出ずる国への伝言」。震災後3人目となる今回のインタビューのお相手は”逆fly-jin”です。「Fly-jin(フライジン)」ー 震災後に余震や放射能の影響を恐れて母国に飛行機で帰国した外国人 ー が多く存在する一方、逆にこの時期だからこそ日本に来たという人もいます。その一人、スウェーデン出身のターニャ・ソブコさんをご紹介します。

ターニャさんは栄養学博士として、現在は香港で活動しています。ターニャさんがかつて約2年半日本に滞在していた間、 彼女の孤独を癒し、励ました素晴らしい人たちに出会ったそうです。

今回の地震発生を受け、彼女が小さい頃から憧れていた国・日本で触れた人々の温かさに、今こそ恩返しをすべきだと考えました。単なる送金なら、スウェーデンや香港でもできる。だけど私は、日本の人たちに直接役立つことをしたいんだ ー その末に考えたのが、チャリティー料理教室を日本で開くことでした。

「私のできることは限られている。それでも私は、愛する日本の人たちのそばにいたい」。不安に駆られて人々が脱出する最中に日本にやってきた、誰からも愛される素敵でチャーミングな”逆fly-jin”。彼女のメッセージは、幾多の困難をもいとわない勇気を、きっと私たちにもたらしてくれるでしょう。

*インタビュー @ 新宿

英語版はこちらから!  

 

お互いに支え合う日本人

日本では、人々はお互いを思いやりながら生活していますよね。これは他の国では考えられないことです。それに日本の人たちは、常に現状を念頭に置きながら行動し、お互いに助け合います。今回の地震でも、スーパーなどで物を買い占めることは、一部そのような動きが見られたようですが、大半の人は物不足を見越して通常より買う量を減らしました。

例えば仙台では震災後、一人あたり、または一家族あたりパン1斤だけしか買わなかったそうです。2斤以上買えばすぐにパンが売り切れてしまうことを見越していたからでしょう。このように、日本の人たちは他者のことを考えて行動します。

それに日本人は物を作るときにディテールにこだわるし、それをやるだけの器用さがあります。しかも人の好みまで覚えています。こういうところが、私にとってすごく魅力的なんです。私の博士論文が審査された後、フランスに行くか日本に行くかのいずれかを選択できることになりましたが、私は迷わず日本を選びました。.  

 

「日本に行かなくちゃ」

今回の来日で私は2回料理教室を開きました。私が以前日本にいた頃「Niki’s Kitchen」という料理学校で先生をしていました。ここは”外国人の家でその国の家庭料理を学ぶ”というユニークな学校で、首都圏と大阪に合計約30の教室があります。

もし被災地にお金を寄付するだけだったら、スウェーデンでも香港でも、どこでも出来るはずです。だけど私は「あなたとともにいるよ」って日本の皆さんに伝えたかったんです。そこでそのための方法を考えました。私の香港の家に福島の友人を呼び寄せて、事態が落ち着くまで一緒にいようと考えたこともありましたが、彼らは首を縦に振りませんでした。福島がどんな状況にあろうとも、彼らはそこを離れたくなかったからです。たとえ放射能で自分の住んでいた場所が汚染されたとしても、そこに帰りたいと思うものなんですね。

地震の第1報に触れたとき、私はスウェーデンにいました。私はすぐに日本に行きたいと思いました。日本の友人たち、それに私の愛する国・日本が、とても心配だったからです。かつて2年半住んでいた日本は、私にとって近くにある国です。私が出来ることなんて限られているから、多くの人たちを助けるなんてことはできないと思いましたが、それでも私は人に会い、友達に会い、彼らの話に耳を傾けたいと思いました。彼らの放射能汚染に対する不安を、私が和らげることができたら、と思いました。それしかないんです。もし皆さんのご家族や友人が病気になったり気持ちが落ち込んだりしたら、ただそばにいて、お茶を一緒に飲んで、彼らに耳を傾ければいい。今回のケースでも、誰もが地震の体験について話したがっていると思います。

だから地震が起きたとき「日本に行かなくちゃ!」と思いました。友達は東京や茨城、仙台に住んでいます。地震直後に彼らにメールを送り、仙台から一人だけ友人が返信してくれました。「僕はまだヨーグルトしか口にしていない。なぜなら食料がほとんど底を尽きているから」と、今の被災地の様子を語ってくれました。しかも地震発生からしばらくの間、インターネットが利用できなくなったそうです。

でも日本人の元来のマメさや物を大事にする心、忍耐強さがあれば、きっと事態は良くなるはずです。しかも地震に直面し、それを乗り越える過程の中で、皆さんが実にたくさんのことを学ばれています。

*ターニャさんのチャリティー料理教室の詳細はこちらから。


チャリティー料理教室(5月7日)
棚瀬尚子さん提供
 

 

私に寄り添ってくれた人たち

かつて私が日本にいた時のことで、忘れられない思い出があります。日本で働いていた頃、言葉の壁などでうまく相手に伝わらなくて、誤解が生じたことがありました。ある朝、私が泣きたい気持ちとイライラを抱えていた時、友達に会いました。私は「もう仕事なんか辞めて、国に帰る!」って言いました。友達はそんな私に「まあまあ落ち着いて。大丈夫だよ」って言ってくれました。

同じ日、私は彼女からメールをもらいました。「この後会いたいから、仕事が終わったらウチまで来て」って。まだイライラしていたんですけど、誘われたから行きました。そしてドアを開けた瞬間、友達全員が私を出迎えてくれたのです!彼女は言いました。「私たち、あなたのためにここに集まったの。だってあなたは、日本でひとりぼっちじゃない?仕事のことで愚痴りたかったら愚痴っていいよ。泣きたかったら、泣けばいいじゃん」。もう本当に嬉しかった。私が辛いとき、彼女たちはいつも私のそばにいてくれた。だから今度は私が、彼女たちのそばにいてあげる番だと思ったのです。

私はスウェーデンに帰国してからも、時々日本に来ました。2009年12月、私の友達がパーティーを開きました。私が帰国してすぐです。「ターニャ・パーティー」って私は呼んでいるんですけど、私を知る人たちが一斉に集まって、とっても素敵なパーティーを開いてくれたんです。皆は私のことを懐かしむイベントのつもりで企画したんだと思いますが、友達の一人が私にそのパーティーのことを教えてくれました。もういてもたってもいられなくなって、当時の赴任先だった北京から日本に来ました。でも私が来るなんて彼女たちは想像だにしていなかったから、すごくビックリしていましたね(笑)私は彼女たちにとっても会いたかった、だから来ただけなんですけど。

日本に住んでいた時は、いつも一人でした。泣きたくもなったし、ホームシックにもなったし・・・でも人はいつも私のことを気遣ってくれました。病院に入院していたことがあったんですけど、その時はたくさんの人がお見舞いに来てくれました。私の日本語の先生、この人も後にすごく親しくなったんですけど、私の服を洗濯してくれたり、パジャマを持ってきてくれたりしました。それに別の仲良しの友達は、私が早く回復するように折り鶴を持ってきてくれたんです。もうすっごく感動しました。一生忘れないでしょうね。今でもその折り鶴は持っています。

だから私が国に帰る時は、本当に後ろ髪を引かれる思いでした。私は自分の心の半分を、日本に置き去りにしたまま国に帰ったんです。日本にいた間、すっごく素敵な人たちに出会えた。東京でとっても素晴らしい時間を過ごせた。人とも個人的な関係を築けた。だから日本からスウェーデンに帰る時はいつも「私がいない間、日本が無事でありますように」って祈るんです。まるで子供たちを家に置いてきたお母さんみたいに。  

 

私が被災地の人たちにできること

このような事態でも母国に帰らなかった外国人は、きっと体だけでなく心もしっかりと日本に根を張っているんでしょうね。私が日本にいる間、私はたくさんの物をこの国からいただきました。だから日本で何か起きたら、絶対にここに駆けつけようって思うんです。

地震が起きた直後、私は東京や仙台の友人たちの元へ飛んでいきたかった。でも被災地では人の受け入れをしていませんでした。あまりに多くの人が助けに行き過ぎて、仙台市当局がどうやって人や車の動きを整理するか頭を悩ましていることも、その時知りました。たくさんの人がいっぺんに同じ場所に行くと、被災地の方々に迷惑がかかる、と。しかも私は日本語が少ししか話せないから、現地に行っても足手まといになるだけ。なぜなら現地の人は私の面倒まで見るハメになるからです。

だから私は東京にいるのです。そして東京で、私ができることをやります。昨日(5月7日)に開いたチャリティー料理教室で、48,000円が集まりました。そしてそれを坂茂建築設計様に届けました。彼らは避難所内に簡易間仕切りを設置する活動などを行っています(坂茂建築設計の被災地への取り組みについては、こちらをご覧下さい)。 あ、彼らではなく「私たち」と言いましょうか、「私」と「彼ら」を分けたくないので。チャリティー料理教室をオープンできたのも、教室用のお部屋を貸していただける方が自ら名乗り出て下さったのも、日本人含めいろんな人たちのおかげだと思っています。


*写真提供:棚瀬尚子さん  

 

思いやりの心を学ぶ

私たちスウェーデン人は、とても自立心旺盛です。人口が少なくて社会システムがしっかりしているからだと思いますが、一人で何でも出来てしまうから、それほど人の助けを必要としないんです。でもそれって悲しい。まるで私たち一人一人が離れ小島で生活しているみたいです。

依存は良くないですが、自立しすぎているのもどうかと思います。日本の方がスウェーデンよりも家族の絆が強いし、人々が支え合って生きていますよね。

私が初めて日本に来た時、何で日本人はこんなにもフレンドリーでお互いを思いやるのか、その鍵を見つけようと思いました。私は不思議でした。「この人たちはいつ、どこで他者との関係性を学んだのか」って。今でも覚えているんですけど、横断歩道で信号待ちをしている間に雨が急に降り始めました。その時、見知らぬ方が私の頭の上に傘をそっと差し出したんです。なんて素晴らしいんだろうって思ったし、これこそが、他人を思いやる日本人の姿だって思いました。

東京に住んでいた時、私は職場で地震訓練に参加しました。地震で火事が起きた時にどんな行動を取るべきかを練習しましたが、その時に”別室に移ったら必ずドアを閉めるように”と教わりました。延焼を防ぐためです。その訓練をする時、日本人は必ず人数を数えながら進めていきます。つまり、部屋から部屋に移動した後、必ず人数を確認して、全員揃っているかを確かめて初めてドアを閉める。これには驚きました。

スウェーデンでは、そんなことはしません。誰も部屋に何人いるかなんて気にかけません。一方で日本では、人はきちんと全員が揃っているのを確かめない限り、安心できない質なのでしょう。全員が揃ったのを確認して、ドアを閉める。これは日本人の精神性に因るところが大きいでしょうね。

私は日本語を満足に話せなかったけど、それでも日本が本当に大好きでした。日本のことを出来る限り理解しようと思いました。物でも人でも、愛せば必ず何らかの形で返ってくるものですが、私もそうでした。日本の人たちにお土産を持っていったら、手ぶらで国には帰れません。彼らは私があげたお土産以上に、たくさん日本みやげを下さいますから(笑)  

 

日本は、きっと復興する

日本の皆さんは、3月11日以来いろいろな事態に対処してきました。だから必ずや、適切な方法でもってこの現状を打開するでしょう。

私が被災地の方々に言葉を贈るとしたら・・・「出来るだけ早く、通常の生活に戻れるように頑張ってください!」です。それが難しくても、前向きに努力し、普段と変わらぬ生活をしさえすれば、復興への動きに弾みがつき、心身の傷なども次第に癒えてくると信じています。

そして私の友人たちに一言:「頑張ってください!」。決してあきらめないでいただきたいです。私も今年の夏には日本に戻ってきて、仙台に是非行きたいと思います。

出来るだけ早く日本に帰ってきますので、待っていて下さい!

 

 

ターニャさん関連リンク

Niki’s Kitchen: こちら
ターニャさんのチャリティー料理教室:詳細はこちらから
ターニャさん on the radio(2011年5月28日): こちらからお聴きになれます。  

 

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