キャシー・バウアーさん(アメリカ)

インタビュー&構成:徳橋功
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Kathy Bauer
教育家
(2001年より日本在住)

 

起きるかどうか分からないことに、私の生活を左右されたくありません。

2011年3月11日午後2時46分、宮城県沖を震源とした東日本大震災が発生しました。 日本では観測史上最大のマグニチュード9.0を記録し、大規模な津波被害や原発事故をもたらし、事態の深刻さは現在も続いています。

地震の影響は東日本一帯に住む人々のほぼ全てに及び、外国人コミュニティも例外ではありませんでした。余震や放射能を恐れた外国人が、企業や機関から避難勧告を受けるなどして、日本からの脱出が相次ぎました。しかし、一方で日本に留まる決意をした外国人も大勢います。

今回ご紹介するのはその一人、アメリカ出身のキャシー・バウアーさんです。キャシーさんは英語講師ですが、英語だけでなく人としてどう成長していくか、どう一人立ちしていくかを、子供たちに長年教えてきました。

そんなキャシーさんは力強く言います。「私は教育家として、また日本から恩恵を受けた人間として、たとえどんなことが起きようと、この国に留まる」と。すでに多くの人々の心を打ったキャシーさんインタビュー、ぜひ日本語でも読んでいただきたいです。

*インタビュー@千葉県四街道市

英語版はこちらから!  

 

オクラホマでの体験

実はこの地震の前に、大災害に巻き込まれたことがあります。私がアメリカ・オクラホマシティに住んでいた1995年、オクラホマシティ連邦政府ビル爆破事件というのが起きました。事件発生直後、現場は大変な混乱に見舞われましたが、私たち家族はその現場からわずか3ブロックの場所に住んでいました。家の窓が割れたのを覚えています。

そして再び、この災害です。こんなに大きな地震は生まれて初めてでした。地面が割れて、全てのものを飲み込んでいってしまうんじゃないかと思ったくらいです。再び立てなくなるくらい、揺れがずっと続くものだと思っていました。  

 

「子供たちを守らなきゃ!」

私は千葉市内にある子供英語教室で講師をしています。地震発生の瞬間、私は職場にいました。子供たちも一緒でした。地震が起きてまず考えたのは、建物の外に出ることでした。でも一歩外に出た瞬間、それ以上歩けなくなりました。それだけ揺れが激しかったからです。まるでジェットコースターにでも乗っているかのようでした。私のそばにいた子供たちはまだ3歳でしたから、すごく怖がっていましたし、何が起きているのか全く分からない様子でした。

当時私と一緒にいた子供は6人でした。他の子供たちはすでに帰っていましたが、一部が学校に残っていたんです。地震が起きてから電話が一切使えなくなったため、親御さんとの連絡が全く取れなくなりました。

地震直後、電車がストップしました。混乱の最中に私が取るべき行動は、子供たちを守ること、そして身の安全が確保され、家族と再会できるまで彼らと一緒にいることでした。私は誰よりも彼らを守ろうと思いました。

上着を教室内に置きっぱなしで外に避難し、揺れが収まるまで待ちました。そして事態が落ち着いたので、一旦教室に戻ることにしました。私は子供たちの混乱を何とか鎮めようとしました。  

 

余震と寒さと暗闇と

子供たちはすっごく気持ちが高ぶっていて、半ばヒステリー状態でした。本震後に度重なった余震が彼らを混乱させ、自分たちが今いる世界に何が起きているのか、全然把握できない状態でした。

幸い、私たちの教室の目の前が公園でした。激しい揺れが収まった後、私たちは公園に行きました。公園の真中まで私たちがたどり着いたとき、街灯が前後にゆっくりと揺れているのが見えました。余震です。まだまだ予断を許ない状況でした。余震はなおも続き、子供たちをなだめるためにお互いに抱き合いました。でもそのうち、辺りはだんだん暗く、そして寒くなってきました。だから抱き合っても不安は和らぎませんでした。

地震発生から3時間近く経った夕方5時半ごろ、親御さんと子供たちが再会できました。子供たち全員がご家族の元に帰れることになりました。親御さんは地震発生当時は仕事中で、しかも電車が走っていない状態でしたが、それでもタクシーやバスを使って何としてでも子供たちを連れて帰ろうとされたのです。それは無事、果たされました。  

 

素晴らしい人たちとともに

地震がそれほど起きていない今、私たちの関心は別のところに向かっています。でも、東京近郊の住民が吸う空気や飲む水が安全かに気をもむのは、私は意味がないことだと思っています。もちろん、原発により近い東北地方では話は別ですし、東京近郊に住む私たちがそれほど空気や水に気を遣うのなら、東北の人たちの安全こそ真っ先に確保されるべきです。

だから私たちができることは、できるだけ通常と同じように生活を続けることです。この先、事態が良くなるかもしれないし、悪くなるかもしれない。でもそんなことに神経を尖らせても、もはや私たちに出来ることなんてありません。だから今は、私たちが出来ることをしていきましょう、と言いたいです。

だって、すでに皆さんがやっているじゃありませんか。節電です。全ての地域と人々が一体となって、計画停電に立ち向かった。その結果、停電を回避することができた。それは日本中の人々が積極的に節電をしたからです。その流れに企業も加わり、通常の半分の消費電力で乗り切った。これがアメリカだったら、どうだったでしょうか。あれだけ大きい国ですから、同じようなことが出来たかどうか分かりません。

私はとにかく、起きるかどうか分からないこととか、根拠のないことに対する恐怖に、私の生活を左右されたくないんです。事態は悪い方向に動いているかもしれない、だけど私は飲み水とか洗濯用の水に不安を持つようなことはしません。放射能の恐怖や余震、その他いろいろな理由で日本を出る人は多くいますが、荷物をまとめて帰ることが私たちの取るべき初期対応だとは思いません。  

 

今こそ、日本に恩返しを

もちろん、危険な状況に敢えて身を置くつもりもありません。でもいつ起きるか分からないことに怯えるよりも、もし何かが起きたらその時に対策を講じれば良い。私はそう思います。この国でできるだけ幸せに、痛み少なく暮らすための対策を考える。そのような事態になっても、あくまで住むのは日本です。なぜなら、ここは私が住んでいる場所だし、私が選んだ場所だから。

私は思います。日本に長く住んでいる外国人は、その災害が直ちに人々に危険をもたらすものでない限り、ここに留まるべきなのでは、と。なぜなら私たちはここに長く住んでいるからです。日本は私たちの暮らしを支えてくれました。それが一旦災害が起きたからといって、全てを投げ捨てて飛行機に飛び乗るのはどうか、と私は思います。もちろん、真の危機的状況は別ですが・・・

 

支援規模は大小様々でしょうが、いずれにせよこの国は外国人コミュニティを支えてくれています。恩恵を受けている私たちは、その分をこの国にお返しする必要があるのです。

 

キャシーさん関連リンク

こどものためのたのしいえいご キャッツ☆キッズ:http://www.kattskids.com/  

 

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