新井ディミトリエヴナ愛弥さん(クルグズスタン)
インタビュー&構成:徳橋功
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Aiya Dmitrievna Arai
留学生

人生は一回だけだから、楽しんだ者勝ち。私は人生を、この国で、この国の人たちと生きていきたいです。
2026年、明けましておめでとうございます。これまでの皆さんのご支援により、今年はMy Eyes Tokyo(MET)ウェブサイトの開設20周年を迎えます。心より感謝を申し上げます。
私たちにとって大きな節目となる年の最初にお届けするのは、METとほぼ同世代という現役大学生、新井愛弥さんです。
新井さんに出会ったのは、今年の初め。正月休みにInstagramを眺めていたら、中央アジアでの暮らしや現地の文化を写真や動画で発信している若い女性の姿が。その人のアカウントを見ると、現在クルグズスタン(以下”クルグズ”。日本語表記では”キルギス”)に留学中とのこと。
この国に留学をしている日本人はとても珍しいと思い、いてもたってもいられず、Instagramのメッセージ機能を使ってコンタクト。程なくして、新井さんから「私で良ければ喜んでインタビューをお受けします」とのお返事をいただきました。
年末年始もクルグズにいらした新井さん。実現したインタビューはもちろんオンラインでしたが、それでもパソコンの画面越しにリアルに感じられるほど、新井さんのクルグズ愛があふれてきました。
約3時間に及んだマシンガントーク(笑)そんなエネルギッシュな新井さんの、あるこだわりから、お話は始まりました。
*インタビュー@オンライン
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クルグズの伝統的弦楽器”コムズ”を演奏する新井さん(Instagramより)
なぜ”クルグズ”?
今自分が住んでいる場所を、私は”キルギス”ではなく”クルグズ”と呼んでいます。キルギスはロシア語での呼び名をもとにしたもので、クルグズはソ連崩壊後の独立と同時に国自身が選んだ名称。その背景にある国のアイデンティティを尊重したいから、日本ではまだ一般的ではないけれど、自分なりに考えた上でクルグズを使い続けています。
確かにクルグズの都市部では、クルグズ語よりもロシア語の方が通じるのが実状。でも地方ではそれが逆転するケースが多いです。公用語はロシア語でも、国家語、つまり”守るべき言語”としてクルグズ語がある。だから私は、クルグズ語での呼び名を尊重しているんですよね。
ただ、もし話す相手が”キルギス”と言っても「それは違うよ」とは言いません。その代わり、相手がキルギスと言っても、クルグズで返すようにして、相手の心にクルグズを浸透させようと努めています。そんな私の姿勢に対して、現地の人から「呼び名はどちらでも良いよ」と言われる一方、評価されることもあります。実際にロシア語でも、クルグズに近い発音で呼ぶ風潮が広がっています。
でも日本語を学んでいるクルグズ人から「キルギスが正しいよ」と言われることがあり、そのたびに複雑な思いがしますね。
学業に研修に – Z世代の中央アジア留学事情
私は昨年(2025年)9月から、クルグズの首都ビシュケクにある大学に留学しています。こちらの大学は9月から5月が1年なので、そのスケジュールに合わせて来ています。日本の大学だと、7月下旬から9月下旬まで夏休みなので、その間に日本に帰国する感じです。
日本では、私は東京外国語大学(以下”外大”)国際社会学部の3年生。中央アジア地域の社会について学んでいます。
個人的に一番関心があるのがジェンダー、中でもイスラム圏でのジェンダー問題です。私はロシアや旧ソ連の影響を受けた中央アジア独自のイスラム文化や、現在のイスラム復興に強い興味を持っていました。今は、ソ連時代末期のクルグズ女性の社会的役割をテーマに、卒業論文のための研究とフィールドワークを行っています。
学業以外に、私はクルグズでインターンもしています。クルグズと日本をつなぐ友好団体”キルギス日本人材開発センター”(KRJC)のビジネス部門で、日本人講師によるビジネスコースの運営補助や、その講座を受講する現地ビジネスマンへのロシア語でのインタビューなどを担当しています。
しかもこのインターンで、日本の病院がビシュケクに脳卒中専門の病院を作るという壮大なプロジェクトに参加する機会に恵まれました。現地の税制や用地の有無、光熱費や人件費の相場などを調査し、ビシュケク市民からの医療需要について膨大な量のアンケートを集計して資料を作る、リサーチャーとして関わらせていただいたんです。
後で詳しく話しますが、起業を目指している私にとってインターンは、たくさんの人たちに出会い、いろんなことを学ばせていただいている、とっても貴重な機会になっています。
音楽一家の娘 生まれは海外
旧ソ連のコーカサス地方出身でロシア語話者の父と、日本人の母との間に、私は生まれました。場所はベルギーの首都ブリュッセルです。父はバイオリニスト、母はフルート奏者、祖母はピアノの作曲家、叔母は父と同じバイオリニスト、みたいな音楽一家。父と母は音楽活動で世界を旅していた時にベルギーあたりで出会ったんでしょうね。私は3歳まで現地の多言語の環境で過ごしましたが、その経験が、後で英語やロシア語を学ぶ時の土台になったと思います。
幼い頃、私は父とロシア語で会話していました。私が小学校1年生の頃、父が母と離婚して離れ離れになりましたが、簡単な言葉やフレーズは幼少の記憶に残っていました。他の子たちがアンパンマンに夢中だった頃に私が見ていた『チェブラーシカ』などのソ連アニメや、父がロシアに行くたびに持って帰ってきていたお土産、それらを持って家族で行ったピクニックが、自分のアイデンティティの一部になっていますね。
いっそ”外国人”扱いをされるなら
小学校を卒業し、神奈川県内にある中高一貫校に入学。ちょうどその頃から、ハーフである私の見た目で、外国人扱いをされることが増えてきました。初対面の人から「日本語上手ですね!」と言われたことも(笑)
そんな状況を逆手に取ろうとしたのか、「英語ができた方が良い」と私も両親も考えました。なので中学3年生の頃から英語の勉強に熱を入れるように。高校入学後は海外留学に興味を持ち、情報を集めるうちに”AFS”という国際交流団体が運営する高校留学制度を知りました。
当時高校で所属していた英語ディベート部での活動の影響で、人権問題に興味を持った私は「それなら治安の悪い国に行きたい!」と。でも親から止められ(笑)最終的にオーストラリアを選びました。
そして高校1年生の終わりごろ、タスマニアにある高校に留学。しかし世界中にパンデミックが広がり、1年間の予定だった留学を2ヶ月で切り上げて、強制的に日本に帰国することになったんです。短い滞在でしたが、オージーイングリッシュを身につけるには十分でした。
帰国後、しばらく普通の高校生活を送りました。しかし高3の頃、AFSが私たちにもう一度留学のチャンスをくれたんです。もともと私は、言語を身につけたり海外に行ったりすることよりも、とにかく高校留学という経験をしたかった。それが強制終了になったから、再びそのチケットを手にした時、私にとって目的地はどこでも良かった。コロナ禍のため選択肢が少ない中、私は自然豊かでチーズが美味しい(笑)スイスを選びました。
父のルーツを追い 父と同じ道へ
帰国後、私はかつて自分が父とのコミュニケーションで使っていたロシア語を、もう一度学び直したくなりました。一方で、前から興味があったジェンダーや環境、人権などの社会問題を深く追究するためのツールとして言語を学びたいという思いも。そんな私の欲求を満たしたのが、外大の国際社会学部でした。
ロシア語を学べる場所として、学部にはロシア地域のロシア語と、中央アジアのロシア語の2コースがありました。留学を希望していた私にとって、戦争でロシアへの留学は叶わないだろうと思い、その実現の可能性が高い中央アジアのコースを選択。しかも中央アジアコースは、ロシア語とウズベク語の2言語を学べる点も魅力でした。
また、遊牧文化やアニミズム、ソ連時代の無宗教政策の影響、イスラム教とキリスト教が混在する中央アジアが対象なら、様々な宗教や文化を学ぶことができると思いました。
しかも起業に関心を持っていた私は、研究対象の地域で事業を起こすことを考えました。
中学生の頃は国連で働くことに興味がありましたが、高校生になる頃から起業を意識するように。きっかけは、ヨーロッパでバイオリニスト兼バイオリン製作者として活動する父の影響で「自分のビジネスで稼ぐ」働き方に魅力を感じたこと。さらに、会社勤めをする日本人の継父の姿を見て、大変そうに思った私は「自分が自分のボスでありたい」と考えるようになったんです。
私は、本格的に中央アジア社会を学び研究する道へ。それは同時に、中央アジア地域での起業への道でもありました。
深刻な問題があるからこそ
大学に入ってすぐ、中央アジアのジェンダー問題に興味を持ち、ソ連時代の女性解放運動、つまり「女性も社会に出て働こう」という動きについて学び始めました。それはウズベキスタンを中心に起きた運動ですが、一方でクルグズでの事例が全くないことを不思議に思いました。調べるうちに、クルグズの”誘拐婚”、いわゆる男性が求婚する女性を誘拐する風習に突き当たったんです。
誘拐婚は世界各地に存在しますが、中でもクルグズでは深刻な社会問題となっています。私は、なぜ女性が逃げないのか、なぜ一度連れて行かれた家から出ないのか、といった点に強い疑問を持ちました。調べる中で、現在の誘拐婚は”遊牧民の伝統”と言われながら、実際にはソ連後期の混乱期に広まった文化であることが分かってきました。しかし、年長者を強く敬う文化の中で「伝統だから壊してはいけない」という声が大きく、女性たちはそれに逆らえない状況に置かれています。
また、クルグズの誘拐婚がメディアで”ヤバイ”ものとして扱われる一方で、現地にはしきたりやルールもあり、必ずしも批判の対象となるような”野蛮な”ものではないということも学びました。
こうした背景を知るうちに、クルグズ社会そのものに強く惹かれるようになりました。遊牧民的・アニミズム的な考え方が人々の宗教観に反映されているのも、私にとって大いに魅力でした。
意外と普通?初めてのクルグズ
大学1年生が終わったタイミングで、後に私のインターン先となるキルギス日本人材開発センター(KRJC)が主催する、クルグズへの1か月間のスタディツアーを知りました。ロシア語のスキルアップに加えてクルグズ語も学べる – 私はそのプログラムに飛びつき、2024年3月に参加しました。
私はビシュケクにあるご家庭にホームステイをさせていただきながら、KRJCの活動を支援するJICA(日本国際協力機構)の取り組みを学んだり、国連機関を訪問したりしました。初クルグズだったにもかかわらず大きなカルチャーショックを感じることなく、むしろキラキラで楽しい1か月を過ごすことができました。
ただ私のホームステイ先は、ホストファミリーが民泊を運営している、父母共働きで3人の子どもたちを育てていたご家庭。なので私は彼らの民泊の利用者のような扱いで、実際にそこには、私以外にアメリカ人のオジさんも別の部屋に泊まっていました(笑)
親御さんが不在の時にお子さんたちと遊びはしたけど、ご両親との交流はそれほど多くなく、クルグズの食文化も時々食卓で味わった程度。でもビシュケクに住む今のクルグズ人たちのリアルな生活を知る貴重な経験になったと思います。
他のツアー参加者は、ムスリムの人たちの家に滞在していました。その人たちのお家の写真を見せてもらいましたが「嘘でしょ!」と言いたくなるほど広くて、ビシュケクの家庭が想像以上に経済的に豊かなことを実感しました。
旅行よりは長く、留学よりは短い1ヶ月。でもクルグズの魅力を肌で感じるには十分でした。
”かわいい”国の素顔を発信
事前に大学で現地の社会や文化を学び、中央アジアの食文化の研究家・先崎将弘先生が書かれた『食の宝庫キルギス』などの本を通じて知識を得たうえで、実際の現地の食文化や暮らし、価値観に触れた私の中に、感動とクルグズへの愛情が一気に押し寄せてきました。
普通なら欠点と捉えられかねない、例えば街のごみ回収が追いついていないとか、セントラルヒーティングに使える石炭の量が街の成長ぶりに追いつかず部屋が寒いとか、石炭を燃やすことから空気が汚れているといった問題すらも、クルグズの”かわいらしさ”のように感じられたんです。
当初は卒論でのテーマの一つとして考えていたクルグズでしたが、2024年11月に開かれた外大の学園祭”外語祭”をきっかけに、衝動的に私のクルグズ愛を、Instagramやnoteで発信し始めました。
新井さんの目で見て感じたままにクルグズの魅力を綴った『魅惑のクルグズ』
日本人のフォロワーさんからは「Aiyaさんからの発信をきっかけにクルグズを知った」という声をよく聞きました。一方でビシュケクでの留学生活が始まってからは、現地のフォロワーさんが増えています。今では日本人よりも多いくらいで「クルグズについて発信してくれて嬉しい」という声を多くいただきました。他にも「コンテンツが面白い」などのご感想や「がんばって!」などの応援コメントも。すごく励みになりますね。
”私が助けられる場所”はどこ?
一方私は、ジェンダーへの関心から、現地の女性と働きながら経済的自立を支える形の起業を考案。その実現性を確かめようと、私は自分が行ったことがある場所も含めて、中央アジアの国々について思いを巡らせました。
ウズベキスタンは観光業を中心に資本主義の波に乗っていて、日本企業も多く進出。成功モデルが確立されており”自分がいなくても成り立つ場所”だと感じました。カザフスタンは、地下資源が豊富で都市も発展しており、すでに”成功している国”という印象。ここでも自分が果たせる役割は小さいと思いました。
残る候補はトルクメニスタン、タジキスタン、クルグズスタンでしたが、トルクメニスタンは入国やビジネスの難しさから除外。タジキスタンも魅力的でしたが、言語がペルシャ系で、これまで私が学んできたテュルク語系の知識を生かしにくいと思い、見送る判断をしました。
最終的に残ったのがクルグズでした。スタディーツアーで初めて訪れたとき、ウズベキスタンやカザフスタンほど発展してはいないものの、”これから本格的に資本主義が浸透する国”という強い印象を受けました。まだ成長途中だからこそ、今関わることに大きな可能性があると直感したんです。
日本に帰国してから約1年半後、昨年(2025年)9月に、私は留学生として再びビシュケクにやってきました。
意外と普通じゃない 2度目のクルグズ
私が抱いた予感は的中していました。街の変化は驚くほどで、短期間での成長を実感しましたね。実際に、家賃や物価は急上昇しています。かつてはクルグズの物価の安さが観光客にとって魅力でしたが、いろんなモノを輸入に頼っている分、今ではモスクワ並みか、場合によってはそれ以上の生活コストがかかるんです。
だって、私が住んでいる家も家賃が日本円で10万円もするんですよ!カップルを想定した広さの部屋に1人で住んでいるというのもその要因ですが、外大の近くに住んでいる友達の場合、都内なのに家賃が月3万円・・・ここでの生活コストの上昇を日常的に実感しています。それだけ経済が活発に動いている証でもあるから、クルグズの未来が明るい証拠だと受け止めています(笑)
街や国の変化に戸惑うと共に、スタディツアーの時には無かったカルチャーショックを受けました。バザールや図書館などの日常の場で現地の人たちと直接関わる機会が増え、その印象が変わる出来事に遭遇しました。
私の顔を見たエジェ(クルグズ語で”年配の女性”の意)が、私のことをクルグズ人だと思い、クルグズ語で私にマシンガントークしてきて、私は「?」。それでエジェからブチ切れられたんです(笑)私はそれまで、遊牧の民であるクルグズ人に対して”素朴で優しく、お互いを助け合う”というイメージを抱いていましたが、特にソ連時代を生き抜いたエジェには厳しさを感じました。むしろ若い人たちの方が穏やかです。
ビシュケク市内最大規模を誇る”オシュバザール”でお買い物(YouTubeより)
年長者を敬う文化が日本以上に根強くある一方、他人を気遣う姿勢は日本の方があると思います。スタディツアーの時、他の参加者から、一部のホストファミリーが「どんどん食べなさい」と食事を勧めたと聞きました。でもそのような”おもてなし”の心が、全ての公共の場で見られるわけではない。日本から離れて、初めて「日本のこころって良いな」と思いましたね。
こうした違いを実感できたのは、表面的な滞在ではなく、現地社会に深く入り込んだからだと思います。
たどり着いた夢
先ほど言ったように、私は現地の女性たちの経済的自立を支える事業を起こすことを昔から考えていました。クルグズに戻って来て以来、農村部でクルグズの女性たちと物作りをし、日本など世界に向けて発信することを、夢として抱くようになりました。
ただ、ほぼ同じことをJICAが”一村一品”(OVOP: One Village One Product)としてクルグズで展開していました。しかもそれが実際に地域経済に貢献する事業となるまで、JICAでさえも約20年という長い年月を費やしたんです。
心が折れそうになる中、もう一つの夢が生まれました。それは、ビシュケクでコーヒーショップを開くことです。
私はコーヒーが大好きで、日本では大手カフェチェーンでアルバイトをしていました。でもクルグズはどちらかというとチャイ、つまりお茶の方が好まれ、コーヒー文化が浅く、特にハンドドリップで淹れているお店はほぼ皆無です。
そのためドリッパーやコーヒーミルなどの器具がほとんど入手できないという壁に、今ぶつかっています。でもそれはチャンス。なぜなら、ドリップに特化した店をビシュケクで開けば、きっと注目してもらえると思うから。しかも今、JICAのスタッフさんや留学生、ビジネスマンとしてビシュケクに住む日本人は少なくありません。その人たちにとっての”居場所”を提供させていただきたいと思っています。
まずは大学を卒業する前に、休学してビシュケクで働いてみたり、現地で自分のビジネスに手をつけてみたりして、それらが軌道に乗れば、ビシュケクでの起業に本腰を入れようと、今考えています。
きっと戻ってくるよ 私の愛する場所へ
母にはこう言われています。「大学を卒業したら日本の会社に就職して、お金を稼いで、それを元手にクルグズで起業すればいいんじゃない?」と。特に外大だと、大手企業に入社していった先輩方も多いから、母の言うことは理解できます。でも気が進まない・・・日本企業の職場環境や労働文化に入り込むことへの拒否感もあるにはあるけど、でもそれだけではありません。
私は、やっぱりクルグズに住み続けたい。この国にいて、この国で人生を歩みたいんです。
これまで私が滞在したオーストラリアやスイスとも、決定的に違う何かが、ここにはある。それが何なのかはっきりとは分からないけど、一言で言えば、やっぱり”かわいらしさ”なのかな。
大統領がコロコロ変わるところも、各大統領のキャラが個性的なところも、街が埃っぽく灰色でソ連の雰囲気を残しているところも、全部私にとってかわいい。ロシア語の習得が目的で来たとか「本当はロシアに行きたかったのに、それが叶わないからクルグズに来たのでは?」と現地の人たちから聞かれたこともありますが、私はかわいらしいクルグズが本当に好きで、心から愛している。だからクルグズに来たんだし、クルグズにいるんですよね。
人生は一回だけ。だったら楽しんだ者勝ちだと思うんです。私は欲張りなので、自分の人生は全部、自分のために使いたい。自分がやりたい仕事に時間を使って、納得できる生き方をしたいんです。
自分が納得できることなら、どんなに大変でも頑張れる。でも、納得できないことを「これが一般的な道だから」「安定しているから」という理由だけで続けるのは、私にはできません。「なぜ自分はここにいるんだろう?」と思いながら人生の時間を使うのは、あまりにも辛いし、時間がもったいないと思います。

※写真提供:新井愛弥さん
私はクルグズに住み続けたい。だから私は、夢を追いかけながらも、ここで生きる現実的な手段や方法を、今も模索し続けています。
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