関根健次さん&ユナイテッドピープル Part 1

インタビュー&構成:徳橋功
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Kenji Sekine & United People
社会起業家

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「99.9%失敗するよ」と言われても突き進む。それがベンチャースピリット。

周りにも大きな影響を与えるほどの、ものすごいエネルギーを放ちながら、世界を変えていくための挑戦を続けている人たちのインタビューをお送りします。

第2回目となる今回は、オンラインで募金ができるサイト「イーココロ!」(*2015年3月末にサービス終了)を運営しているユナイテッドピープル株式会社代表、関根健次さんです。この「イーココロ!」では、ユーザーがショッピングなどを楽しみながら募金が出来ます。ユーザーが募金額を負担する必要は無く、代わりにスポンサー企業が支払うというシステムです。一方でスポンサー企業にとっては、自社製品の購買層の拡大につながる上に、積極的に社会貢献活動に関わっているという企業イメージを消費者に浸透させることができます。

そして募金先となるのは、世界中で地雷撤去や人道支援、環境保護などに実際に携わっているNGOやNPOです。関根さんは、世界平和や地球緑化に向けて日々活動している人たちを支援するシステムを作るために、「イーココロ!」を立ち上げました。

ショッピングを楽しみながら気軽に社会貢献が出来るという点で大変画期的なシステムですが、立ち上げた当初はスポンサーも集まらず、一般の人からも見向きもされなかったそうです。その状態が数年間続いたにも関わらず、「イーココロ!」を途中で断念せずに続けてきた背景には、関根さんが22歳の時に行ったパレスチナ・ガザ地区での、魂を大きく揺さぶられた体験がありました。

今回も前回の山口絵理子さん(詳しくはこちら)と同じく、2部構成でお送りします。第1部は主に「イーココロ!」立ち上げのきっかけや経緯について、第2部は社会貢献とビジネスの結びつけ方や 関根さんの理想とする世界についてお送りします。

 

* 関根健次さん(1976年〜)
1976年神奈川県生まれ。米ベロイト大学卒業。食品関連企業やIT企業など数度の転職を経て、 2002年にダ・ビンチ・インターネット有限会社を設立、2003年5月より募金サイト 「イーココロ!」の運営を開始。2007年2月、商号を「ユナイテッドピープル株式会社」に変更。同年9月、第2回ソーシャル・ビジネス・アワード「マイクロソフト奨励賞」を受賞。2009年には映画配給事業にも進出する。2010年、チェンジメーカー(社会起業家)育成を目的とした旅プロジェクト “BADO!” を開始

 

*インタビュー@ ユナイテッドピープル株式会社(横浜市中区)
*イーココロ!を始めた経緯の詳細はこちら(「イーココロ!」HPより)
*関根さんの著書『ユナイテッドピープル – 「クリックから世界を変える」33歳社会起業家の挑戦 -』(ナナロク社)のご紹介:こちら
*英語版はこちらから!

 

 

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募金サイト「イーココロ!

 

関根さんが大学の卒業旅行の途中で、何の気なしにガザ地区に初めて足を踏み入れたとき、「僕は大きくなったら爆弾を作ってたくさんの人を殺すんだ」という夢を語る少年に出会って大変衝撃を受けた。それが「イーココロ!」を設立する大本のきっかけだとお聞きしています。

1999年1月のことですから、今からもう11年も前になりますが、その日のことは今でも完璧に思い出せます。西日の射す光景やコーヒーの香り、テーブルクロスの色など、今でも鮮明に記憶に焼き付いています。
「世界の戦争や紛争を解決して平和な世界を構築していく」という夢の種を、その少年に会った時に心に植え付けられたんだと思います。その後、行動を始めてからその夢をあきらめようと思ったことは一度もないです。うまく行かなくて辛いと思うことは何度もありますが、夢の実現のためにどんなに時間がかかろうとも、やれることはやろうという気持ちです。

 

その出来事があまりにも強烈だったからこそ、いろいろ上手くいかないことがあっても「イーココロ!」を続けてこられた、ということでしょうか。

確かに「イーココロ!」を立ち上げた当時はヒドかったです。半年間で2万円の寄付金しか集まりませんでした。社会の風当たりも強く、例えばスポンサーを募るために企業の広報部を訪ねても、イーココロ!のロゴを見て「出会い系サイトですか?」と言われたりもしました。

企業だけでなく、こちらから支援を申し出たNGOの方からも「”イーココロ!”じゃなくて”ワルイココロ!”なんじゃないの?」と言われたこともありました(笑)。「そんなもの、どうせ長続きしないよ」と言われたり、「やめた方がいい」「何かの事業で儲けてからやれ」などいろいろ言われました。それでも僕があきらめずに募金サイト事業を続けてこられたのは、ガザ地区に行ったこととはまた別の体験がきっかけです。

僕はあるIT企業で仕事をしていた時に、過労で倒れて病院に運ばれました。それ以前は漠然としか考えてこなかった、これからの自分の在り方や生き方、働き方、つまり「自分の一生を何のために費やすか」について、その時に初めて真剣に考えたんです。

人の命に限りがあることは、誰もが知っていることです。亡くなっていく人は身近にもいるわけですが、自分の身に重大なことが降り掛かってこない限り実感が湧かないものだと思います。でも僕は「命は有限である」というユニバーサル・トゥルース(普遍の真実)を身をもって知ったんです。

もし命に限りがあるのなら、自分の人生のうちの10年、1年、1ヶ月、1週間、1日、1秒・・・それらの時間を絶対にムダにしたくはない。今生きているこの瞬間を、自分が本当に心からやりたいと思うことに費やそうと、その時決めました。

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イスラエル・エルサレム郊外
04年11月27日 *撮影:関根健次さん

その時は具体的に何をやろうとは決めていなかったんですが、心の奥底では、パレスチナで出会ったその少年の夢を変えていくこと、「爆弾を作って人を殺す」という残酷な夢をその少年が抱かなくて済むような世界を作って行きたいという思いがふつふつと湧き上がっていたんです。

紛争を解決しなければ、常に憎しみを抱えて生きる子どもが生まれ、その結末として例えば「自爆テロ」をしてしまう人たちも出て来るわけです。そしてその原因である紛争を解決しないことには、常に憎しみと憎しみのぶつかり合いといった負の連鎖がずっと続いてしまう。それを断ち切らなければいけない。人の命が有限ならば、僕はそれに取り組もうと思ったんです。

過労で倒れた時に在籍していた会社は、比較的お給料が良かった。でも過労で死にかけたわけです。だから給料の高さとか会社のイメージのカッコ良さ、起業するための経験を積むこととか、そういうもののために命を使って死んでいってもしょうがない!そう思うと霧が晴れるように全てがクリアになって、ある意味裸の状態になれたんです。

病院に運ばれ、物置小屋の地べたに寝かせられました。ベッドが空いていなかったから、地べたに布団を敷いて寝るしかなかったのですが、それまで一生懸命働いた結果がその状態であることを思うと、すごく惨めな気持ちになりました。でも逆に、それより下に行くことはないだろうとも思ったのも事実です。

 

物置小屋で寝かされているという状態よりも下には行かない、ということですね。

そうです。だから今でも、例えば事業が失敗して経済苦に陥ったとしても何とか生きて行けると思っているんです。というのは失敗しても殺されることはないだろうし、いくらでもやり直せると思っているから。

民主主義で自由で、言いたいことが言えるというのはどこの国に行ってもできるというわけじゃないじゃないですか。でも日本はそういう国だし、僕は日本にいる。そう考えると、幸せなんです。やろうと思えばチャンスを掴める場所にいるから。だから「やってやろう!」という感じですよね。

 

「自分の命が有限である」ということに気づいてからは、紛争地域の子どもたちの命についても、やはり考えましたか?

生きているからこそ出来ることがある、だけどその一方で、自らがそれを選んでいないのに命を落とさなければならない人たちがいる。それはイラク戦争かも知れないし、アフガニスタンかも知れないし、ハイチかもしれない。それらによって亡くなることは、誰も自ら選んでいないんですよね。地震が起きました、とかミサイルが落ちてきました、となった時に、普通の、兵士でもなんでもない人の命が奪われていく。

天災は、仕方がない部分が多分にあります。だけど人災は防げると思うんですよね。例えばイラク戦争は、食い止めることができたかもしれない。これから起こる戦争を、自分がある枠組みを作ることによって防ぐことができるかもしれない。僕には今、命がある。だからこの命を使って「戦争が起こりにくい枠組み作り」をしたいんです。

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エルサレム郊外の分離壁。「我々はみんなと同じような生活が
したい」という強烈なメッセージが叩きつけるように書かれている。
04年11月27日 *撮影:関根健次さん

2008年末に、イスラエルによる過去最大規模のガザ地区侵攻がありました。この攻撃は、国連人権理事会が後日、ガザの武装勢力についても非難しつつも、イスラエル軍の行動は「国際人道法違反で、戦争犯罪に当たる」と批判しています。僕はその年末から年明けの2009年初めにかけて、ずっと泣きっぱなしだったんです。思い出すたびに人前でも涙するくらい、精神的に超不安定でした。

ガザ地区というのは僕の原点です。ガザ地区で僕は人や子どもたちと触れ合いました。「大人になったら爆弾を作る」と言っていた少年とは別の、全く普通に生活している人たちにも出会いました。その人たちの家が破壊され、家族や友人がどんどん殺されていく・・・当時はテレビのニュースでしか見ることができませんでしたが、本当にやり切れない気持ちでした。

1999年1月にガザ地区を初めて訪問して、「イーココロ!」を始めたのが2003年5月。ブランクは4年です。迷いながらも平和構築のために行動を始めたわけです。しかし、その後2008年末までの5〜6年を「イーココロ!」に費やしてきたわけですが、そこへガザ侵攻が起こりました。 その時思いました。「僕はこれまで5〜6年行動してきたにも関わらず、僕の原点であるガザ地区は最悪の事態に陥っている」と。

それだけでなく、「イーココロ!」が生まれる直前の2003年3月にイラク戦争が起こり、その前には911(米同時多発テロ)が起きています。東西冷戦が終わった1990年代以降の世界は、日本のメディアだけを見ている限りはなかなか気づきませんが、実際の戦争をずっとやってきているわけです。そして中東を中心に戦争がどんどん広がっているんです。そのような現実を見ると、暗くならざるを得ないですよね。

 

そこで「自分が今できること」として考えたのが、実際に人道支援や地雷撲滅、貧困問題の解決に取り組んでいるNGOやNPOへの支援をする仕組みをオンラインで作ること、すなわち「イーココロ!」の立ち上げだった。関根さんは、自身が考えたビジネスモデルが「イケる!」と思ったから行動に移したわけですよね。

そうです。そこは「ベンチャースピリット」ですよね。いわゆる起業家精神というのは、誰かに言われたから何かを始めるのではなく「やりたいからやる」ただこれだけなんです。他人が「その事業は99.9%失敗するよ」と言われても突き進むのがベンチャースピリットです。僕にあったのはその精神だけですね。

例えば洗濯機が登場することによって、主婦の方々に時間ができて外で働けるようになり、趣味に時間を充てることができるようになったことも、女性にとってはものすごい貢献になっているわけです。それが社会貢献の一つの形だとしたら、僕の場合のそれは、具体的な課題を解決するためのサービスの実現なんですよね。

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*撮影:林隆太

僕が取り組んでいるのは「生活が便利になる」「生活が楽になる」というところから一歩踏み込んで、紛争、貧困や地雷撲滅などより深い課題の解決ですから、そこが商業的な部分からずれるところではあります。
でも他の起業家の人たちとか、あらゆる課題の解決のために動いている人たちと、根本にある精神は全く同じだと思います。

 

第2部に続きます。こちらをクリック!

 

関根さん関連リンク

ユナイテッドピープル株式会社:http://unitedpeople.jp/
イーココロ!http://www.ekokoro.jp/
BADO!:http://www.bado.tv
イーココロ!TV:http://www.youtube.com/user/ekokoro

関根さんの著書『ユナイテッドピープル -「クリックから世界を変える」33歳社会起業家の挑戦 -』(ナナロク社): http://unitedpeople.jp/cms/news/post_42.html

 

 

 

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Interviews with international people featured on our radio show on ChuoFM 84.0 & website. Useful information for everyday life in Tokyo. 外国人にとって役立つ情報の提供&外国人とのインタビュー

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