悲しみの中に、ささやかな幸せを – 日本在住セルビア人が語る洪水、戦争、311 –

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英文記事:藤原杏奈
語訳:(My Eyes Tokyo)

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今年9月5日、私たちMy Eyes Tokyo(以下MET)は、国際交流団体”The International Center in Tokyo”(ICT)さんと共に「被災地チャリティイベント」を開催しました(*このイベントのもようについてはこちらをご覧下さい)。その中でMETは、東京在住の2人のセルビア人にインタビューしました。お相手は料理講師のイェレナ・イェレミッチさんと、セルビア大使館員のネマニャ・グルビッチさんです。

セルビアと日本は、これまで共に助け合ってきました。2011年の発生後、セルビアは被災地に支援の手を差し伸べました。そしてそのご恩に報いるように、今年5月にセルビアで発生した洪水では、日本は被災地の救済に動きました。今回インタビューしたイェレナさんとネマニャさんは、震災を日本で経験し、そしてセルビアの洪水被災地支援にも関わりました。さらにお2人は、1990年代前半から約10年に渡り続いたユーゴスラビア紛争をくぐり抜けてきました。そんな彼女たちのお話には、一つの共通項がありました。「悲しい出来事の中に幸せを見いだす」というポジティブな姿勢です。

 

インタビューは、イェレナさんの幼少時代の紛争の思い出から始まりました。私たちは彼女が、胸の痛くなるようなエピソードを口にするものと身構えておりました。しかし実際は全く違っていました。

「確かに私たちは、セルビアの歴史の中でも辛い時代に育ちました。でもそんな時でも、私たちは苦しみを感じませんでした。むしろ戦火によってセルビアの国民同士の距離が近づき、家族の絆が深まりました。おかげで私たちセルビア人は、家族同士の結びつきがとても強いのです。私自身は母と毎日、時には2日に1回になりますが電話で話します。 友達も同じですね。友達同士の距離が近く、まるで家族みたいです。
そしてもうひとつ私たちが大切にするのは連帯感。その象徴が、東日本大震災被災地への支援です。震災発生してしばらくの間、セルビアがの中で最大の支援国でした。非常時は助け合う – これが私たちがいつも考えていることなのです」

そのように語るイェレナさん自身は、特殊な例ではないようです。セルビア大使館員のネマニャさんも、自身の思い出について語りました。

ネマニャさん: 「矛盾しているようですが、その当時は若い世代の人たちがリラックスできた時代です。なぜなら紛争になると授業が休講になり、友達同士が集まって遊んだりできたからです。ラッキーなことにそんなことは長くは続かなかったですし、空爆の対象は工場や軍事施設であって一般の建物ではありませんでした。しかも入試を受けずに高校に入れましたから、その意味でもラッキーだったと言えます。皆がそれぞれ行きたい学校に行くことができた時代です」

イェレナさんも、紛争時代について語りました。

「まず、子どもたちが試験の準備できるような状況ではありませんでした。想像してみて下さい。夜に空襲を告げるサイレンが鳴り、避難所に行きます。サイレンで起こされたから、寝るのは日中で、起きるのが夜。そんな生活です。確かに空爆は一般市民を狙ってはいませんでしたが、私たちが勉強できるような状況ではありませんでした。
子どもたちは、実際に何が起きているのかを知らずにいました。私たちにとって大事なのは学校や宿題、テストでした。両親は私たちが紛争の悲惨な場面を目にしないように守ってくれました。私の父は軍の司令官でしたので家におらず、テレビで父の姿を見たほどです。そんな環境でも、ストレスを感じることはありませんでした。両親が精神面でもすごく私を守ってくれたからです。
翻って洪水が起きた時、やはり入試を行うかどうかの議論がなされました。東日本大震災のことを考えれば、ご想像いただけるかもしれません。きっと震災の被災地の子どもたちも、入試のための勉強はできなかったと思います」

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右:イェレナ・イェレミッチさん 左:ネマニャ・グルビッチさん
セルビア洪水被災地復興チャリティイベントにて(2014年9月5日) *写真提供:ICT

惨事の渦中にある時”ポジティブ”という言葉はどこか別の世界の概念のようで、純真な子どもだけが信じるもののように響きます。しかしイェレナさんは、子どもの頃に彼女自身の目の奥深くにポジティブという名のレンズを埋め込んだから、大人になってから震災を体験した時も、同じように世界を見ることができたとのこと。震災が起きた時に体験した恐怖の瞬間について、口を開きました。

「サイレンの音を聞き、私はすぐに大使館に行きました。最寄りの避難場所だった有栖川公園に行く途中、パナソニックの販売店に並んでいたテレビを見ました。画面には、巨大な色い波が・・・家々を押し流していく様子が映っていました。私は日本語が読めませんでしたので、それがどこで起きていたのか、この東京にも大波が押し寄せてくるのか、全く分かりませんでした。そして思いました – ああ、私はこのまま死ぬんだ、と」

しかし、数々の困難を乗り越えてきた彼女は”ポジティブ”を忘れていませんでした。

「とっても悲しい出来事が起きたのは事実。だけど日本は普段から自然災害への備えをしている国です。そして復興のスピードも速い。たくさんの方が犠牲になった中、そんなことができるのは日本しかない。セルビアでも無理でしょう。日本はこれから、時間はかかっても復興していくと思います。
ただし一方で、ユーゴスラビア分裂を経た今、セルビアは未だに完全な復興を遂げていません。なぜなら紛争はセルビアの経済に大きな打撃を与え、そこから立ち直ろうとしていた時に洪水に見舞われました。技術が発展した日本のような国ではない場合や、日本のような強い経済が無い場合、復興まで日本の10倍の時間がかかります。
洪水の被害は、実は紛争被害よりも大きくなっています。信じられますか?今のところの洪水被害が、紛争での被害よりも大きいんです」

私たちが遠くの地で起きた自然災害や人的災害をを通じて見聞きした時、その事件と私たちを一体化させずに、ただ受け身になって目の前の映像や文章を眺めるだけになりがちです。でもネマニャさんは、惨事は決して遠くで起きるものではなく、私たちの身にいつでも降り掛かってくるものだと言います。

「日々の生活の中で、例えば交通事故について聞いた時、皆さんは”きっと自分たちには起きないだろう”と思うでしょう。実際に2011年、セルビアの人たちが日本での惨事を目にした時”セルビアは日本から地球半周分も離れているから、そのようなことはきっと起きないだろう”と思いました。でもどうでしょう?それから3年後、我が国に洪水が起きたのです。もし皆さんのご友人やご家族が被災地にいらしたら、惨事を体験した人たちの実際の日々の生活を耳にすると思います。その時ようやく、その事件が彼らに与えた打撃や影響を、肌身で感じることができると思うのです」

イェレナさんとネマニャさんとのインタビューを通じて私たちMETが気づいたこと、それは”まるで全然共通点が無いように見える日本とセルビアが、災害というネガティブな出来事によって結びつき、手を取り合って前向きさと兄弟愛を交わしたという事実でした。人がユーゴ紛争や東日本大震災、セルビアの洪水と同じような規模の惨事を経験し、人生そのものを変えられてしまうほどに苦悩した時、さらにその苦悩から完全に立ち直るのに長い長い時間がかかる場合、最後の拠り所は”前向きな心を保つこと”だと思います。惨事は遠くで起きる、ニュースが伝えるだけの出来事ではないということは常に心がけていたい – 私たちはそう考えています。

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イェレナさんとネマニャさんの、心揺さぶられるお話は、悲しい出来事が起きてもそれに打ち克つことができること、そして最悪の状況の中でもその価値を見い出すことが、悲しみの種から美しい花を咲かせることにつながるということを、私たちに気づかせてくれました。

 

関連リンク

セルビア大使館: http://www.tokyo.mfa.gov.rs/jpn/
The International Center in Tokyo (ICT): http://www.intlcentertokyo.com/(英語)  

 

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