百合田ビオレタさん(ルーマニア)

インタビュー&構成:徳橋功
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Violeta Yurita
数学者/教育家

小さな旧共産主義国から始まった私の旅。それは私の手が宇宙に届くまで続くことでしょう。

平成から令和へと、時代が変わりました。新時代の幕開けと共にお送りするインタビューは、令和と同じ「R」で始まる国から日本にやって来た方です。

東欧に位置するルーマニア(Romania)出身の百合田ビオレタさん。My Eyes Tokyo読者の台湾人女性がご紹介くださいました。彼女が職場のご同僚と高尾山に行かれた時に、偶然ビオレタさんと出会ったそうです。そのエピソードを聞き、私たちは物理的にも心理的にも日本から離れている国から来た方にぜひお会いしたいと思いました。

そしてビオレタさんと相対した私たちは、彼女の東京への深い愛情に心を打たれました。東京にはわずか1年と少ししか住んでいないにも関わらず、その知識は日本人でも地元の人しか知らないようなマニアックな地名から、それらの歴史にまで及んだのです。

自らへの教育も絶えることなく続けている数学教育者の、約2万キロに及ぶ道行きを皆さんと一緒に辿りたいと思います。

*インタビュー@品川
*英語版はこちらから
英語版校正:ジェニファー A. ホフ

 

共産主義国から資本主義の総本山へ

私は都内のいろんな場所に行くのが好きなんです。高尾山、鎌倉、神奈川や千葉のビーチ、公園や庭園、そして国分寺や美しい秋の紅葉の時期の深大寺といった多摩地域・・・しかも豊かな自然が東京の郊外だけでなく、都心にもあります。私にとっては、東京はとっても素敵な街。こんな素晴らしい街に私が来たのは、約1年前です。

私はルーマニアで育ち、地元の大学を卒業後、数学教師として高校に5年間勤務しました。大学では数学を専攻し、1989年に就職。共産主義が崩壊する直前のことです。当時の大卒者の多くは教育の現場へ送られました。共産主義政権崩壊後、何か良いことが待っている – そう人々は期待しましたが、実際に起きたのは経済の悪化。私たちのお給料はとても低かったのです。

そんな折、私は「アメリカなら奨学金を得て大学院に行ける」という情報を耳にしました。当時アメリカは、多くの才能を東欧から集めていたのです。私は数学の博士号を取得するためにアメリカへと渡りました。

しかし、それでも数学という分野で職に就くのは非常に厳しかった。だから私は研究分野を数学教育に替えることを決意し、ミシガン州にある大学院に行きました。そこで開かれていた、様々な国から来た学生たちが集まる朝食会に参加した時に、私は一人の日本人男性と出会いました。

 

想定外のグレートジャーニー

その男性は在米歴15年、歴史学と哲学を研究していました。私たちは恋に落ち、やがて結婚しましたが、まさか私が日本人と恋仲になるなど想像もしていませんでした。中国人は、母国でたくさん見かけました。なぜなら中国と同じ共産主義国家だったからです。アメリカに移住した後でさえ、インディアナ州にある私の1つ目の大学院には数人の日本人がいた程度です。

数学研究で博士号を取得後、私はマサチューセッツ州にある大学の助教授になりました。一方、夫にとっては彼の専門分野で仕事に就くのは難しく、私も職探しを手伝ったものの、私の大学にさえも募集が無い状況でした。

最終的に、日本の島根大学が夫に助教授のポストを用意。私は夫に、そのオファーを飲むべきだと進言しました。なぜならアメリカで彼が職を得られる可能性はほぼゼロだと思われたからです。こうして夫は日本へと帰国しましたが、私はその後も1年半アメリカに残りました。結婚後に何度か日本に来ていたにも関わらず、仕事や住み慣れた環境を離れたくないという思いが強く、日本に来ることに抵抗があったのも事実です。でもついに私は2008年、仕事を辞めて来日しました。だって夫は毎日、1日3回も私に電話してきたのですから(笑)

 

美しくもコンサバな地方生活

島根県は日本で最も人口が少ない県の一つ。とても美しく、歴史あふれる場所です。県庁所在地の松江市には美しいお城があります。そんな素敵な街ですが、今から10年前、松江で英語を話せる人は – 学校の英語の教師も含めて – とても少なく、外国人と話すことを躊躇う人ばかりでした。また学生たちも勉強に対する興味や、島根県の外で起きていることへの関心が薄いように見えました。なぜなら「変化しても良いことなんかない」という思いが蔓延していたからです。彼らはとても保守的でした。私にとって島根は、住むにも働くにも厳しい場所だと感じました。

私の日本での最初の仕事は、島根大学での英語教諭でした。大学の人たちにはそれまでに何度かお会いしていたので面識があり、夫と同様に私自身にも興味を持ってくれていました。しかし私が日本語を話せなかったため、数学教諭として雇用することができず、代わりに大学の英語教育プログラムの一員として私を採用したのです。私は島根大学附属中学校に配属され、中学校の生徒、さらには大学の学生に3年間英語を教えました。契約満了後1年間の休暇を取り、それから大学の数学教育プログラムに参加。私は学生に数学を英語で教え、数学教育者たちのグループと研究に取り組みました。「果たしてここで生きて行けるのだろうか」と不安ばかり抱いていた日本の片田舎で、私はとても楽しい時間を過ごすようになっていたのです。

ちょうどその時、私の母が体調を崩しました。私は家族でただ一人の子どもだったし、父はその3年前に亡くなっていたため、私が帰国して母のそばにいる必要がありました。数年間ルーマニアにいた間、夫は東京に移り、教職員支援機構という独立法人の上級研究員として新たな生活を始めました。私は2017年10月、ルーマニアの首都ブカレストから直接東京に向かいました。それ以来、私は夫と東京に住んでいます。

 

宇宙に手を伸ばそう

私は東京では、まだ特に活動していません。ここに来てから日が浅いこともあり、まずは様々な場所に行き、たくさんの人たちと出会いながらこの街のことを学んでいます。その一方で、夫を通じて宇宙産業に携わる人たちとの協業に興味を持ち始めました。夫は宇宙航空研究開発機構(JAXA)宇宙教育部門のオフィシャルアドバイザーとして活動しています。

多くの国々が独自の宇宙機関を持っています。私の母国も例外ではありません。私は宇宙研究や宇宙教育に携わる人たちと仕事をしてみたいと思っています。近年の宇宙教育は、宇宙科学分野の研究者と教育家を結びつけ、宇宙研究者が持つ専門分野や技能、知識を伝え、将来の市民を形成するプログラムを考案し策定するための教育概念および教育モデルを活用しています。宇宙教育は科学についてのみ、または科学が主体となるだけでなく、市民社会の発展について、ならびに宇宙開発時代における民主国家の市民が持つべきリテラシーについても扱います。これらは21世紀に必要とされる、社会や世界とつながるための能力であり方法です。

私はJAXAが行うこの試みを、教育家としてルーマニア宇宙局に紹介したい。それが今、私が一番やってみたいことなのです。


*撮影:張安琪さん

 

ビオレタさんにとって、東京って何ですか?

私が心から愛する場所です。東京はとても美しい街だと思います。

私にはたくさんの外国人の友達がいます。彼らは若い欧米人が好むような、例えば秋葉原やアニメ、ロボットレストランといった場所や物には関心がありません。また京都が観光客向けのショッピングモールと化した今、東京には今もありのままの、本物の生きた歴史が息づいています。東京は500年前からの日本の歴史を今に伝えていますし、東京で本物の温泉が楽しめることは、誰にも知られていません。

東京には本当に面白い場所があります。私は東京の真の姿を世界中の人たちに伝えていきたいと思います。

 

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