【手記】震災が人に与えた勇気と固い絆

翻訳:徳橋功
ご意見・ご感想は itokuhashi@myeyestokyo.com までお願いします。

 

タスヌーバ・タヒア(

2011年3月11日 –
地震、高層マンション、私は一人

 

東京のウォーターフロントにお住まいのバングラデシュ出身女性、タスヌーバ・タヒアさんが、私たちのラジオ番組へのご出演に先立ち、自らの震災体験をご寄稿くださいました。

*タヒアさん on MET Radio: 4月16日 4月23日  

英語版はこちらから!

 

「私はここで死ぬんだ」

私が住むマンションには緊急災害センターがあるのですが、そこからの警報を受けたのは地震発生の20秒〜30秒前でした。警報が鳴った時、私はちょうど帰宅したばかりでした。時刻は3月11日14時45分頃。警報には慣れていたので、いつものように特に気に留めず、それまでしていたことを続けていました。

そして地震発生。揺れはなかなか止まりませんでした。それどころか、どんどん大きくなるばかり。私のいたマンションは左右に大きく揺れました。

「世界はどうなってしまうの?私はここにいた方がいいの?それとも下に降りた方がいいの?」緊急災害センターからは絶え間なく放送が流れ、慌てずに落ち着いて、地震が収まるまでは安全な場所に留まるよう伝えていました。

部屋には物が散乱し、中には割れた物もありました。揺れが続いていた間、私は床に転がっていた写真立てやアート系のもの、ランプスタンドを元の場所に戻そうとしました。地震の時にそういうことをやるべきではない、ということは分かっていたんですが、それをせずにはいられなかったのです。

やがて地震は収まりました。私は神に感謝しました。そして夫や、日本に住む私の友人たちに、携帯電話と固定電話の両方で電話をかけてみました。しかし、つながりませんでした。さらなる恐怖が私を襲いました。

そして、再び揺れが来ました。さっきよりも揺れを強く感じました。私はつぶやきました。「これで終わりなんだ。私は死ぬんだ・・・」両親の顔を思い浮かべ、そして弟たちがこれから無事で生きるように願いました。

 

地震は永遠に収まらないの?

幸運にも、地震は止まりました。電気も止まっていなかったので、私はテレビをつけました。日本の北の方の街を津波が飲み込む映像が目に飛び込んできました。私は恐くなり、言葉が出てこなくなりました。私は自分が生きていることを、神に何千回となく感謝しました。そして携帯からFacebookにつながることができたので、私は近況を投稿しました。その瞬間、たくさんの人たちがコメントを残してくれました。その中には夫もいました。だからすごくホッとしました。夫は2時間半歩いて帰宅。私は彼に「お疲れさまでした」というのがやっとでした。

大きな揺れは収まりましたが、余震はその後も時々起こりました。その日の夜、そしてその後2日間は眠れないままでした。それも余震のせいです。私はすっかり、地震が起きていない時でさえも揺れを感じるようになりました。なんだか地面がひとつも落ち着いてくれないように感じました。

 

日本はきっと復興する

その一方で、この地震は日本人のすごさをまざまざと見せつけられる出来事となりました。彼らは効率的に、協力して作業に当たっていました。特に私が言葉にできないくらい感動したのは、彼らの協力ぶりです。震災は彼らの絆を壊すどころか、むしろ彼らを勇気づけ、国の復興に向けて人をひとつにしたのです。

 

その姿を目にするたび、私はそっとつぶやきます。 「頑張れ日本!私はこの国の復興を期待しているからね」

 

タヒアさんとのインタビュー *震災前:www.myeyestokyo.jp/70  

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です