山口絵理子さん&マザーハウス Part1

インタビュー:徳橋功・山浦日紗子
構成:徳橋功
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Eriko Yamaguchi
バッグデザイナー/CEO

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辞めたら本当に一生、人を信じないで終わるんだなって。だから最終的には、夢を見た自分を信じよう、もう一回だけ頑張ろうって思った。

周りにも大きな影響を与えるほどの、ものすごいエネルギーを放ちながら、世界を変えていくための挑戦を続けている人たちのインタビューをお送りいたします。今回は、バッグブランド「マザーハウス」を経営する若き実業家、山口絵理子さんです。

マザーハウスのお店で扱うバッグの特徴は、バングラデシュの素材である「ジュート」が使われていること。これまでもジュートバッグは日本国内でも販売されていましたが、山口さんの作るジュートバッグが画期的なのは、「かわいくて、おしゃれ」なところです。

マザーハウスの商品パンフレットには、堂々と書かれています。
「”途上国”という言葉で一括りにされた場所にも素晴らしい資源と可能性があることを伝えたい。それが、マザーハウスの使命です。」「よりよい社会をつくるために情熱をかたむける一企業の活動が、今まで”貧しさ”という暗闇の中で見過ごされてきた途上国に、希望の光を灯すことを証明したいと思います。」 インタビューは2部構成です。第1部は、山口さんがこれまで歩んできた道、そして第2部では、現在のマザーハウス、そしてこれからのマザーハウスの目指す道についてお送りします。

 

*山口絵理子さん
1981年埼玉県生まれ。小学生時代に壮絶なイジメを経験する。中学時代に柔道を始め、高校では県下有数の男子柔道部に唯一の女子部員として在籍。全日本で7位の成績を修める。政治家の道を志し、柔道部引退後3ヶ月間の猛勉強の末、慶応義塾大学総合政策学部に合格。大学時代に米州開発銀行でインターンを経験し、それをきっかけに「途上国の現状を自分の目で見てみたい」と思い、バングラデシュへ。その後、バングラデシュのBRAC大学院に、外国人唯一の学生として入学。その時に出会ったジュートで、「かわいいバッグ」を作ることを決意し、孤軍奮闘の日々を送る。2006年3月に株式会社マザーハウス設立、2007年8月、東京都台東区入谷にマザーハウス直営店第1号店を開店。
現在は戸越(品川区)や代官山にも直営店を置き、また三越など国内有名百貨店でも独自ブランドのバッグ・小物を販売。『情熱大陸』など多くのメディアが熱い視線を送る、今最も注目されている起業家の一人。

*インタビュー@マザーハウス入谷店(台東区)
* インタビュー:徳橋功・Hisa
*第3回ロハスデザイン大賞2008ヒト部門大賞受賞!詳しくはこちら
*『情熱大陸』ホームページによる山口さんのプロフィール:こちら
*山口さんの著書『裸でも生きるー25歳女性起業家の号泣戦記ー』(講談社)のご紹介:こちら

*英語版はこちらから!

 

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山口さんはブログを日々つけている。そのブログの中で、こんなことが書いてあった。マザーハウス直営店第1号が開店する約8ヶ月前の、2006年12月10日の山口さんの日記。 「お店もつっていいなぁって改めて思った。知っている人も知らない人もお店に訪れて、自分達が作った商品を生で見てくれて、そんなお客様を生で見れるなんて絶対に幸せ・・・・。早くそんな日がこないかなぁー。」 この記念すべき第1号店が開店した時、山口さんは何を思っただろうか。

お店に限らず百貨店に卸して販売するとか、たくさんの方たちに知ってもらうとか、ひとつひとつの夢っていうのは起業する前に全部スケッチブックに書いていたので、それらをひとつひとつ達成するたびに、嬉しいというよりかは、「やっと一歩進んだんだな」っていう。

このお店ができたのが2007年8月21日で、販売側の挑戦としては一番大きいものだったんですけども、お店ができた瞬間も「やった!」というよりかは「これから本当の戦いだな」という気持ちの方が強くて、たくさんの課題もすぐに見えてきたし、でもやっぱり実際にお客様と触れ合う場所というのは、その当時はここが唯一だったので、商品開発も非常に改善できたし、接客サービスひとつとっても弊社の販売員の教育・・・私たちはコンセプトブランドなので、ストーリーを伝えるというのが非常に重要だと。そうなった時に人作りっていう面で、この場所は非常に活用できてるな、というのは感じますね。

だから他の「吉田カバン」さんとかもそうなんですけど、やっぱりお店を持って変わるんですよね、ブランドっていうのは。そういう意味で自分たちで作り上げたこのお店、100%手作りで作ったんですよね。そういった意味でオペレーションも全部自分たちで作って回して、2号店に適用して3号店となってきて、やっと本当に「お店を作るというのは自分たちでできることなんだ」っていうのがわかってきた、という感じです。

 

山口さんは慶応義塾大学時代に開発学に出会い、その研究に没頭した。そして、・ワシントンにある米州開発銀行でインターンを経験する。しかし、ラテンアメリカ諸国に援助や融資を行うその銀行のスタッフの中には、発展途上国には一度も行ったことがないという人が多く、山口さんは違和感を感じた。そしてある日、「アジア最貧国」というキーワードを検索エンジンに打ち込んで見つけた「」という国。山口さんは、2週間の予定でバングラデシュに飛んだ。

初めてバングラデシュに行ったのは、2003年9月です。私が国際機関にいた時に、やっぱり現場を見る必要があると思ったのがきっかけです。

バングラデシュは、思ったよりかは貧しかったですね、自分がイメージしていたよりかは。で、貧しいと同時に、すごく個人的にも「怖いな」とか、恐怖心も非常にありましたね。だから想像以上だったというのが全体的な印象です。

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撮影:山口絵理子さん

 

2週間では何もわからないと思い、もっと現地の様子を見るために、山口さんはバングラデシュの大学院に入学する。

その頃は、自分のやりたいことはまだ明確には分かりませんでした。そこから一年以上分からなかったです。でも、目標が見つからないうちは帰らないぞ、ていう(笑)意地はありましたね。やっぱり皆の反対を押し切ってバングラデシュに行ったわけだし、みんな心配してたし、自分もホームシックで「日本に帰ろうかな」と思ったり、そういうこともあったんですけど、やっぱり行ったからには、ていう意地が最後は・・・

その1年間の悩み度合いは本当に半端なかったですね。ノイローゼになりそうなくらい。一時期はリキシャ(人力車に似た、自転車で引く乗り物)で学校に行く時に「もうそのまま、事故に遭っちゃえばいいのに」って思ったくらい悩んでいて、苦しかったんですよね。何していいかわからない、でも何かするべきだよなぁって、こんな幸せなんだからって。そういうのが大変でしたね。

かと言って相談できる同い年の人もいなければ、日本人も国全体で数百名っていう程度だったし、電話も全然つながらなければ手紙も届かないっていう中で、ずっと自分と話していたんですよね。

一番辛かったのは、やりたいことが見つからなかったこと。物理的な辛さはいろいろありましたけどね。水が飲めないとか。

だから私もバイトさんの面接とかして思うんですけど、やりたいことが見つかっている時点で素晴らしいと思うんですよね。本当に、それすらもわからない人たちがたくさんいる中で。

 

そしてある日、当時のインターン先だった三井物産ダッカ事務所の命を受けて視察に行った中小企業フェスティバルで、ボロボロのジュートバッグを見つける。ジュートについて調べてみると、丈夫でしかも環境に優しい素材だとわかった。「この素材で、かわいいバッグが作れない かなぁ・・・」それが、全ての始まりだった。

確かにそれ以前も、援助以外の方法というのを自分の中でものすごく考えていたというのもあるし、自分の中でビジネスというものが成長の原動力になるべきだというところまでは行き着いていたんですね。ただその先、一体何をすれば良いのか、という方法が全然わからなくて、悩んでいたポイントではあったんですね。だからジュートのバッグを見た時に、「何だろう?」とは思いました。

ただ、フェアトレードっていうのが従来の手法として確立されていたけれども、そういった現場を見て、実際フェアトレードの商品を、自分がお客さんだったら買うかな、と言ったらやっぱりイヤだなとか、まあ1000円くらいだったら買うけどそれ以上は出せないな、というのが正直な感覚だったんですよ。で、実際ふつうに、私自身もこの世代の女性としてお買い物が大好きだし、そういう中の選択肢として入ってくる物が途上国で作れたら、それって一番ヘルシーというか、何かすごく気持ちいいなって思ったんですよね。その受け皿になりたいなって。

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マザーハウス入谷店内に置いてあるジュートバッグ。
あの日感じたインスピレーションを忘れないためのものだろうか。

 

「かわいいバッグを作りたい」その思いは強かった。だけど、バッグデザインの経験は皆無。

でも、「絶対にかわいいものを作るんだ!」って思っていましたから(笑)。デザイナーさんがデザイン学校を卒業していなきゃいけない理由も無いし、あんまりそういうのって気にしないんですよ、常識とか前例とか。逆にそういうのを疑ってかかる方なんですよね。新しい可能性って、そういうのを一回取っ払わないと何も生まれてこないし、「途上国からブランドを作る!」と言った時点で、もう誰も信じてくれないし。だったらそんな小さなことなんて・・・「やってやろう」っていう感じの方が強い。

 

苦難の日々が始まった。山口さんはデザインスケッチを抱えて、工場を回り始めた。

バングラデシュでビジネスを立ち上げるまでで一番難しかったのは、やっぱり信頼関係を構築することですね。工員に対してとか、工場に対して自分がいかに信頼してもらえるか。最初はやっぱり、思いさえあれば、その思いは通じるんだって思っていたんですよ。で、自分としてはやっぱり、工場にとっても良いことをしているというような意識が強すぎて、失敗したんですよね。信頼されるためには、信頼を勝ち取るためには実績を出すしかないし、結果を出すしかない。だから自分はバッグを売らなきゃいけない。「バッグを売りました」って言ってバングラデシュに帰ること、それが全てなんですよね。だからもう必死で売ったし、どんな百貨店だって自分で営業をかけたし。そういうのが無いのに口だけで「信頼して下さい」「良いものを作りましょう」って言ったって、そういうのは本当に薄っぺらい、チープな言葉なんですよね。

みんなやっぱり明日が大切だし、彼らにとって一年後は大切じゃないんですよね。明日を生きるために頑張っているみんなにとって、「売れましたよ!」という言葉が一番ハッピーなのは当たり前で、それを先進国の感覚で、長期的視野に立って人生をもっと前向きに頑張りましょう、と言ったって、本当に下らないし、間違ってる。私たちとか、国際機関のエリートたち含めて、そんなのは本当に・・・。自分だって、一日100円で生きろって言われたら、明日のことの方が大事ですよ。そういうのを本当に心から許す、認める。そこからやっと、本当のコミュニケーションが始まったな、という感覚ですよね。

日本人は余裕がありますからね、全体的に。こういう企業があるということですごく応援して下さる方もたくさんいて、その人たちは本当に、お金関係なしに良い意味で助けて下さる、アドバイスをくれるっていう方がいますけど、バングラデシュではそんな余裕は全くない。

 

ある日、山口さんがバッグ作りをしていた工場で、パスポートが盗まれた。工場のみんなを信頼していただけに、そのショックも大きく、工場に対する疑念が深まっていった。そしてついに、その工場と訣別。他の工場を探し当てるも、ある日その工場に行ったら、もぬけの殻になっていた。

絶体絶命かな、という時は、それまで何度もありましたね。でも、バッグ作りを辞めたいと思ったのは、工場に裏切られた一度だけです。

世間体とかは全く考えてない、そんな状態で始めたので、失敗した時は周りの目は全然気にならなかったんですけど、それより先に、辞めないと自分が人間として生きていけないんじゃないかな、というか、自分自身も信じることができないというか、「他人を信じることは本当に難しいな」っていうのをすごく思ったんですよ。

精神的に人を信じられないで生きていくんじゃないかなっていう、そんな怖さが非常にあって、ただ一方で信じないと何事も動かないっていうのも自分の中にはあって。だから自分が壊れちゃう前に辞めなきゃいけないんだなっていうのがあったんですよね。

ただ、辞めたら本当に一生、人を信じないで終わるんだなっていう・・・それはすごくありました。 だから最終的には、そういうふうに夢見た自分を信じないと、もう一回だけ頑張ろうって思った。本当に悲しいですからね、自分を信じないで生きるというのは。

だから柔道をやっていた時もそうですけど、どうせダメでも、あと一歩、もう一歩前へ進もうって・・・。もう本当にその時点で失うものは無かったですから。お金も盗まれれば素材も無いし、もうキャリアもクソもないですよ。そういう強さもありましたね。 だけど、本当に涙が止まらない一週間でした。

 

「もう2度と裏切られたくない」そのために、山口さんはマザーハウスの現地スタッフを雇用することを決める。しかも、日本人の感覚や価値観を理解でき、バングラデシュの工場と良好な関係を保つことのできる人で、なおかつバッグについて高い専門性を持ち合わせている人。思い当たる人はただ一人、「デザイナー養成学校」所長で、かつてバングラデシュでトップの革工場で輸出マネージャーを務めていた、アティフ・デワン・ラシッドさんという人だった。

本当に、アティフさんがいてくれたから助かったし、それにその時、本当に何の文句も言わずに心配してくれた日本のスタッフがいて、本当に数少なかったんですけどね。メールや国際電話で。「生産現場が無い!」っていうのって、もう致命的じゃないですか。バイヤーが待ってる、百貨店のみんなが待ってる。そんな中で、何一つ責めることなしに「君の身の安全は大丈夫か?」とか、「頑張れ!」「無事に帰って来い」って言ってくれたスタッフのみんな・・・もう最高ですよね。 そんな中で、もう一歩を踏み出さないっていう選択肢は、どう考えても無かったなって思うんですよ。

アティフさんと初めて出会ったのは、もう少しさかのぼるんですけれども、その時は全然普通に。ただ当時も、起業しようっていうことは伝えてあったんですけど、やっぱりその時は全然信じてもらえなかったわけですよ。それも工場と一緒で、結果を出さないと信じてもらえない。だから2度目に会った時に、私が載った「日経アソシエ」という雑誌を持っていったんですね。で、実際にバッグも載ってたんですよね。だから信じてもらえた・・・

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アティフ・デワン・ラシッドさん *(現マザーハウス現地法人ディレクター) 

 

アティフさんが紹介した工場で、国内ナンバーワンの型紙職人とともにバッグ作りを再開。商品のラインナップはどんどん増えていった。2007年3月には、マザーハウス再出発を飾る商品発表会を行い、大成功を収める。そして、2007年8月に、マザーハウス直営店第1号店がオープンする。

2007年3月に結構商品バラエティが増えて、その後の4月ぐらいから日経新聞の「春秋」のコラムに取り上げられて、それから卸先が一気に増えて。そういう事態はあまり想像していなかったんですね。で、去年の春くらいに、なかなかお客さんの顔が見えなくなってしまった、それもまた想像できなくて。だからその時に初めて「お店を持つ意味があるんだ」っていうふうに気づいて、それで6月から物件探しを始めて、8月にオープンしました。

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型紙職人のソエルさんと。

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マザーハウス商品発表会
2007年3月10日

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開店に向け、スタッフの皆さんで突貫作業。

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2007年8月21日、直営第1号店が開店。08年3月には第2号店(戸越店・写真右)オープン。

 

私たちが何よりも驚いたのは、山口さんの行動の速さと集中力だった。例えば高校時代は柔道一色で、勉強らしい勉強は何一つしなかったのに、引退後わずか3ヶ月で、慶応義塾大学に合格するまでに学力を伸ばした。
一方で「生き急いでいるのでは?」と思うエピソードも。大学入学後に、英語コンプレックスを払拭するためにカナダへ渡り、「2ヶ月半で英語をペラペラにする!」と意気込んで、一日の 睡眠時間が2時間というくらいに勉強。ついに倒れてしまった。

・・・でも自分の中ではそれが普通なんですけどね(笑)振り返っても、確かに一生懸命勉強はしていたけれども、そんなに倒れるくらいにやった覚えはないし。でも結果的に倒れちゃったんですけど(笑)。
だから柔道も、一生懸命やってましたけど、結果的に全日本の舞台に立てたけれども、本当にイジメから脱するためだけに、肉体的な強さを得るためだけにしかやっていなかったし。そして慶応に入る時も、普通に「落ちるだろうな」と思って代々木ゼミナールの資料とか取り寄せてたし。でも慶応に入れたんですよね。

だから自分としては普通に、マイペースにやってるだけ・・・だから本当はもうちょっとやりたいことがあるくらいなんですよ。今の時点でも、「もうちょっとできたかな」と思うことがたくさんあるし。

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2007年11月、バングラデシュをサイクロンが襲った。
山口さんは被災現場に飛び、人々に毛布やポットを配った。

 

第1部の最後に、山口さんにこんな質問を。

Q. 山口さんの中に「見返してやる!」っていう気持ちはあったんですか?小学生時代にいじめられたことが根底にあって・・・
(山口)その人をですか?いじめた人を?いやいや、無いですよ。

Q. でも、バングラデシュに自分が向かっていったのは、自分はイジメが原因で学校に行けなかったという思いがあって、でも世界には社会的な事情で学校に行けないという人たちがいる。そこに端を発して今まで来ているということは、さかのぼるとそういう思いがあるのかなと、僕は思うのですが。
(山口)でも自分の性格とかを形成する上では非常に重要な期間だったんですよね、小1から小5。

だからビジネスでいろんな辛いことがあっても、あの時に比べたら辛くないな、とは思います。

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写真提供:株式会社マザーハウス

 

 

第2部に続きます。こちらから→クリック!

 

山口さん関連リンク

マザーハウス:http://www.mother-house.jp

山口さんのブログ:http://www.mother-house.jp/ceo/

『情熱大陸』HP(山口さんプロフィール):
http://www.mbs.jp/jounetsu/2008/03_16.shtml

山口さんの著書『裸でも生きるー25歳女性起業家の号泣戦記ー』(講談社):クリック!

 

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