デビッド・シンデルさん(アメリカ)

インタビュー&構成:徳橋功
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David Sindell

 

 

お互いを知り、言葉を交わせば、戦争は起きないと思います。

 

今回ご紹介するのは、日本とアメリカの架け橋としてこれまで約20年活躍している弁護士、デビッド・シンデルさんです。少し前にMy Eyes Tokyoでご紹介した、ベンチャーキャピタリストの秋山智紀さんが主催する起業家プレゼン&交流会イベント「GTIC (Global Techno Innovation Cafe)」で、プレゼンをしていた起業家さんに流暢な日本語で質問されていた外国人の方がいたので、その後の交流会で声をかけてみました。それがシンデルさんでした。

シンデルさんはサンフランシスコ・ベイエリアに事務所を持つビジネス専門の移民弁護士で、日米間を往復した回数は数えきれず。そんなシンデルさんが最近、日本の外国法事務弁護士の資格を取得し、ついに東京にも事務所を構えました。 特筆すべきは、彼のサンフランシスコオフィス。実はにあります。つまり、シンデルさんが日本のベンチャー企業と「イノベーションの聖地」シリコンバレーをつなぐ橋になるのです。

そんなシンデルさんが日米の橋として活動するのは、ビジネスチャンスが日本にあるからだけではありません。どうやら彼の根底にある、日本人や日本そのものに対する深い愛情が、彼を突き動かしているようなのです。

*インタビュー@自由が丘(東京都目黒区
英語版はこちらから!  

 

日本にライバルはいない

私は今後日本でも活動するわけですが、そのために最低でも1年の半分は東京にいなくてはなりません。たくさんのベンチャー企業が東京で生まれ、そしていくつかは子会社をアメリカに作る。でもそれらのベンチャーが生まれるのは東京です。

私たちの事務所は、月に数社からお問い合わせをいただきます。その大半が日本の会社からです。日本で新たに立ち上げるベンチャーに限らず、日本で何十年もの歴史がある企業でも、アメリカで子会社を立ち上げ、ゼロから現地でビジネスを始める場合、アメリカではベンチャー企業扱いです。

サンフランシスコやニューヨークに進出することを決めた会社は、だいたい東京にオフィスを持ち、アメリカで事業展開するというパターンです。私がここにいる限り、彼らが日本を離れる前に的確なアドバイスができる。これが、私が東京に事務所を置いた理由です。

私は東京でつい最近、外国法事務弁護士として認められ、東京で事務所を開きました。つまりは私自身もここ東京ではベンチャーなのです。ただし、この東京で私と同じようにアメリカ移民法を専門とする外国人弁護士は、私の知る限りではもう一人しかいません。アメリカに行く日本の会社というのは、規模で見たらすごく小さなマーケットに過ぎません。でもそれらを相手にする弁護士もすごく少ないのが実状。そんな中で、多くの企業や個人のお役に立ち、アメリカの東西いずれでも彼らのニーズを汲んで活動する能力を持つのが私です。

私が移民弁護士をしていて一番楽しい瞬間は、結果が出る時。大半のケースにおいて、私は彼らの人生を変える場面に立ち会うことができ、個人や会社がアメリカでビジネスを開始することに、私自身が貢献できる。日米交流で私は大切な役目を負っていると自負していますし、だからこそ、私はこの仕事が大好きなんです。  

 

日本人といるとホッとする

私の家は代々弁護士の家系です。祖父や両親が弁護士でした。特に父は日本が大好きで、中でも文化と言葉が好きでした。父は30年前に日本語を勉強し、私が高校を卒業した時に日本に連れていってくれました。私は日本とすっかり恋に落ち、それから25年間、ずっと恋しっぱなしです(笑)あのは、人生の中でも大きなターニングポイントでしたね。それから私は、日本語や日本文化を学ぶために日本に来ました。ベンチャーとか法律に携わるずっと前の話です。そのあたりが、仕事目的で日本に来る人とはちょっと違うかなと思います。

高校を卒業してニューヨーク大学に入学し、2年生の時に日本語の勉強を始めました。私は大学でフランス文学と日本語を専攻しました。

しかし、大学の授業だけでは物足りませんでした。当時すでにフランス語を話せましたので、語学の勉強のコツはつかんでいました。語学習得の最良の方法は、その言葉が話されている場所に住むことです。

私はニューヨーク大学の日本語教授である野呂先生に、日本でお勧めの先を聞いてみました。先生は、名古屋にある南山大学を勧めました。名古屋は人口200万人を超える大都市ですが、80年代後半当時の名古屋の外国人人口は取るに足りないレベルでした。つまり、日本語を勉強するのに最高の環境だったのです。

ニューヨーク大学を予定より半年早く卒業した私は、社会に出るまでに時間があったので、再び名古屋に戻って約1年間英語とフランス語を教えていました。25年にわたる日本とアメリカの往復生活は、そこから始まりました。

今は、何週間も外国人と会ったり話したりしなくても全然大丈夫です。私の友人には中から日本に来た人たちが多いですが、それでも特に外国人に限定して会おうとは思いません。90年代、私がまだ若かった頃にニューヨークで作った友達の多くは日本人でした。その彼らが日本に戻ったので、ニューヨークよりも東京での方が親友と呼べる人は多いですね。長いことニューヨークを拠点にしていたのに、です。しかも面白いことに、日本では英語を話す機会が無いんです。多分英語を練習する相手が必要かもしれません(笑)

私は日本が大好き。日本の人たちが大好き。初めて日本に来てから25年経った今、何だか自分のキャラがアメリカ人よりも日本人ぽくなっている気さえします(笑)

 

移民法を専門に

ニューヨーク大学やロースクールを経て、1994年に弁護士になりました。なりたての頃は、不動産から信託、遺産、家庭問題、果ては訴訟まで担当していました。でも移民法が一番自分にとって意味あるものに思えたんです。

私が独立して小さな事務所を構えた時、私に移民法について訪ねてくる方々がいました。でも私が弁護士になった1994年当時、移民法についてはロースクールではほとんど教えておらず、情報もそれほどありませんでした。しかもインターネットが世に出る前です。私は出身校、フォーダム大学ロースクール(ニューヨーク州)で移民法の授業を一つだけ取っていましたが、それを仕事にするまでの知識は得られませんでした。

当時、私の友人のジョンが大きな法律事務所に勤務していました。彼は今東京にいるのですが、事務所が彼に移民法の本を買い与えました。一方で私はお金がありませんでした。そんな私に彼が言いました。「僕はこの本をもう使わないから、ランチをおごってくれたらこの本をあげるよ」。それで移民法の本を手に入れて、少しずつ移民法を学んでいきました。10回は読んだと思います。

それから少しずつ移民関連の仕事も受けるようになり、それに伴って移民関連の相談をしにいらっしゃる方も増えました。これこそが私のやりたかったことであり、米国移民法を専門に仕事をしようと決めました。1990年代後半のことです。それまでの間に、私は事務所をシアトルやロサンゼルスにも開きました。それらの事務所はやがて閉めてしまったのですが、その後シリコンバレー(正確にはヤフーが本社を置くサニーベール市や、サンフランシスコ湾東岸のユニオンシティー市)にオフィスを構えました。これにニューヨークと東京の事務所が加わる形で現在に至ります。

 

「シリコンバレー弁護士」になる

2011年の暮れまでは、私のクライアントの95%は日本企業や日本からの個人のお客さんでした。そして2012年の年明け、私は友人とパートナーシップを結びました。彼女は移民法専門の事務所をいくつか経験し、その後カリフォルニアの事務所を担当していました。彼女の友人である別の弁護士も今年5月に私たちの事務所に合流しました。そんなわけで私たちはサンフランシスコ・ベイエリアのITベンチャー企業をクライアントに持つようになりました。それらの企業は中国人、インド人、東欧人など世界中から人を雇用していました。もちろん日本人もです。

カリフォルニア州では、新たなベンチャー企業がたくさん生まれてきています。中でもシリコンバレーでたくさんのビジネスやベンチャーが生まれている気がします。日本のベンチャーでさえもシリコンバレーで起業する人が現れています。私たちは、シリコンバレーに集まってくる人たちを移民関連の側面からアシストしています。シリコンバレーは今、とってもアツい場所ですね。

 

お金は追うな

かくいう私も20年前はベンチャーでした。開業当時の資金はわずか4000ドル(約40万円)でした。私はマンハッタンでオフィスを見つけました。そこはある会社のスペースの小さな一角で、私は家賃を支払う代わりにその会社への法律サービスを無料で請け負いました。

そして今、再びベンチャーです。なぜなら私は東京では新参者であり、ビジネスパーソンをそれほど多く知っているわけではないからです。私は人との出会いが好きですから、いろんな日本のベンチャーに関するセミナーや交流会にはなるべく出ようと思っています。

私がニューヨークで弁護士を始めた1994年、ニューヨークで日本関連のイベントに参加したり、自らニューヨーク在住の日本人のためのイベントを開いたりしました。すごく楽しかったですね。私はそれを、純粋にお互いの文化をシェアしたいがために行っていました。つまり、仕事を得るためでは決して無かったんです。むしろ私には、仕事目的だけで何かをするほうが信じられません。関係を築いた末に、1年後とか5年後に仕事につながるかもしれない。そんなものです。実際に最近、私はある人から電話を受けたんですが、その人は私が10年前に出会った人の友達だったんですよ!

もし皆さんが「お金がほしい!」と思ったら、お金は得られません。皆さんが自分の好きなことをし、人のお手伝いをし、ポジティブな空気を醸し出し、自分の仕事を好きでいられたなら、お金はに皆さんの方に流れてきます。お金を無理矢理動かす方法なんて存在しない。なぜなら、皆さんの大好きなこと、大好きなものからでしか最高の満足感は得られないからです。

12年ほど前、私はフランスのお城を購入しました。そしてそこでB&B(ベッド&ブレックファースト)とレストランを経営したのですが、膨大な額の損失を出し、結局は売るハメになりました。でも今思えば素晴らしい経験をさせていただきました。また私は、飲食業好きが高じてニューヨークやニュージャージーにあるレストランの経営にいくつか携わっているのですが、3年前にフランスやアルゼンチンからの輸入販売業も始めました。

人生とは、自分の大好きなことをして、自分のすることに情熱を傾けることなのではないかと思います。私が私の人生や活動、私の周りにいてくれる人たちに情熱を燃やせるかぎり、私は満足と究極の幸せを手に入れられると思います。少なくとも、それが私が心から欲しいものですから!

 

自らの独自性を大切にしつつ、他の文化も受け入れよ

日本はとてもユニークな国です。日本人は他のアジア諸国の人たちと見た目は似ていますが、内側は全然違います。これは日本の歴史の独自性が関係しているように思います。

日本はかつて鎖国政策を執り、外国人を日本に入れないようにしていました。150年前までの話です。だから鎖国をしていた間、日本にユニークな風土や国民性が形成されたのでしょう。このことがネガティブに働いた一方で、鎖国は絶対に良い方向にも作用したはずなんです。トヨタを見てみてください。トヨタがアメリカに進出した時も、彼らは「カンバン方式」を崩さずに現地で生産し、結果として世界一の自動車メーカーであるGM(ジェネラルモータース)に肉迫するまでになったんです。

私が経営に携わっているレストランはいずれも和食で、うち1つはNYでも有名な「Hakata Ton Ton」というウェストヴィレッジにあるレストランです。私たちは試行錯誤を繰り返しながら店作りをしていきました。開店当初はどのにも豚足が入っていたのですが、他の博多料理もメニューに加えていきました。今は豚足だけでなく九州の郷土料理も提供しています。お店は人気のあまり、お越しいただく1週間前に予約を取らないと席を確保できないくらいです。

もしアメリカ人に、日本人にお出しするものと全く同じものを提供していたら、アメリカでの成功は無いでしょう。日本人の倫理観や文化を大事にしながら、アメリカ人の味覚に合わせることが必要です。両方の文化を掛け合わせれば、より良いものが生まれる。それが外国で事業を行う際のカギですね。

同じような文化のミックスは、公私ともに試してみたいことです。  

 

日本にいる本当の理由

私が日本にいる理由は、一言で言えば日本が大好きで、日本がもはや私の一部だからです。 仕事上の理由も同じですね。私は日本の会社や日本の人たちがアメリカに行く前に、彼らに役立つアドバイスを与えたい。それを通じて彼らの活動を支援したいと思っています。私のアメリカ文化と日本文化の知識を生かせば、アメリカでは全くの新参者であり、かつ米国移民法になじみのない日本企業や日本のビジネスマンを助けることができます。25年にわたり日米の橋として活動してきましたが、米国移民法という暗く澱んだ海を何としてでも渡りきってやるんだという勇気を持った人たちの航海を手助けするという仕事は、私にふさわしいと思っています。

アメリカと日本は、70年前は戦争をしていましたが、今では親友同士です。日米双方の文化にこれからも関わり続けるには、まずは両国がお互いの文化を理解し続けることが必要です。いつの時代も、平和と協調を実現する最高の方法は対話です。私は日本とアメリカが、これからもそのための努力を続けて欲しいと思いますし、私自身もささやかながら、日米間の文化的ギャップを埋めることで、これからもそれに貢献したいと思います。


Hakata Ton Tonの共同経営者、ヒミ・オカジマさんと  

 

シンデルさんにとって、日本ってなんですか?

私の一部です。

 

シンデルさんにとって、東京ってなんですか?

とってもワクワクする街ですね。まだまだ見つけていないものがたくさんあります。東京に住むのは私にとって冒険なんです。

 

シンデルさん関連リンク

シンデル法律事務所: http://sindelllawjp.com/
Hakata Ton Ton : https://www.facebook.com/HAKATATONTON  

 

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