平良美奈子さん(シンガポール~日本)
インタビュー&構成:徳橋功
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Minako Taira
起業家

”世界に出る””世界で学ぶ”という選択肢を若者たちに与えたい
私たちMy Eyes Tokyoは近年、海外に挑戦する日本人のストーリーを積極的に発信しています。「日本で活躍する外国人を紹介してきた私たちだからこそ、異国で“外国人”として生きる日本人の挑戦も応援したい」- そんな思いから、これまで主に長期留学経験者や、海外で活躍する方々にお話を伺ってきました。
そんな中、学生時代に経験した留学で“社会を変える”という使命に目覚めた一人の女性に、私たちは出会いました。企業をはじめとする多くのステークホルダーを巻き込みながら走り続ける起業家・平良美奈子さんです。
学生時代、好奇心と「後に続く人のために道を拓きたい」という想いに突き動かされ、シンガポールへと飛び立った平良さん。そこで直面したのは、故郷である沖縄とのあまりに大きな差でした。
「自分と同じように海外で学び、その経験を地元に還元する若者を増やし、沖縄を元気にしたい」- そう強く願った平良さんは、地元で行動を起こし、やがてその想いを全国に広げるべく上京。企業と留学生をつなぐ奨学金プラットフォーム”スカラシップパートナーズ”を立ち上げ、日本の若者たちの挑戦を後押ししています。
「労働人口の20%が海外経験を持つ社会をつくりたい」という壮大なビジョンに、私たちは心から共感。ささやかながらインタビューという形で平良さんの活動を応援させていただくことにしました。
奨学金を得た第一陣の留学生たちがまもなく世界へと旅立つ – そんな大切な時にもかかわらず、平良さんは快く取材に応じてくださり、その情熱の源を、少女時代までさかのぼって語ってくれました。
*インタビュー@CIRCLE by ANRI(港区)
奨学金で留学生を世界へ送る仕組みを作りたい
弊社は、企業からお金を提供いただき、それを返済不要の奨学金として海外に留学する学生にお渡ししたり、また企業からのお金を運用し、その運用益を奨学金に充てたりするためのプラットフォーム”スカラシップパートナーズ”を運営しています。お手本にさせていただいているのが、Sansan(名刺管理サービス)創業者の寺田親弘さんが理事長を務める”神山まるごと高専”。企業からの出資を資産運用し、その運用益を奨学金として学生に提供している学校で、私たちも同じような仕組みづくりを目指しています。
そして間もなく、弊社が初めてご提供する奨学金で留学生たちが世界へ旅立ちます。今回は初の奨学金であるため、私たちが資金を提供しました。今年(2025年)2月に開始した学生の事前登録に非常に多くのご応募があり、その中から書類選考や面接選考を通過した10名の学生さんに、計300万円の奨学金を提供することが決まりました。
その運営元である”RyuLog”の社名は、”留学”のプロセスを記録する”ログ”(記録)という意味。また”Ryu”は、私のアイデンティティである”琉球”の”琉”でもあります。私が沖縄高専に在籍していた頃に文部科学省が展開する”トビタテ!留学JAPAN”からの奨学金のおかげでシンガポールに留学したことや、それにより自分の”使命”を感じたという、私の歩んできた道が反映されています。
“やる気スイッチ”は世界のために
「いつか海外へ行ってみたい」という気持ちは、小さい頃から私の中にずっとありました。生まれ育った沖縄の土地柄も影響していたのかもしれません。アメリカに住んでいる親戚がおり、毎年沖縄に来るたびにお土産をくれて、海外を身近に感じていました。
一方で「社会的に良いことをしたい」という思いもありました。小学校2年生の頃に「世界で3秒に1人、子どもが餓死している」と授業で学んだとき「その子たちを救うために寄付をしよう!」と思い立ってコツコツ小銭を貯め、中学2年生のときにそのお金の半分を募金したりしました。
ある日、テレビで地球温暖化の特集を見て衝撃を受けた私は「温暖化を止めるスイッチを作りたい」と思いました。その問題はスイッチ一つで解決するはずだと、信じて疑わなかったのです。まるで『ドラえもん』の世界ですが(笑)。そんな私に親は、当時間もなく開校する沖縄工業高専について教えてくれました。高専では中学卒業後から課題研究に取り組むことができるため、父が勧めてくれたのです。
それから数年後、なおも持ち続けていた「スイッチを作る!」という熱意で高専に入学。支給された白衣に心躍るも、数ヶ月で「自分には研究が向いていないかも」と気づきました(笑)。研究室に籠って、肉眼で見えないものを顕微鏡で覗いたりするよりも、校外に出て自分の目で広く世界を見ることに喜びを感じていました。
実際に九州・沖縄地区の他の高専の学生会と交流して情報共有を行ったり、全国高専体育大会の地区予選に参加したりするために、県外に行かせていただきました。所属していたバスケ部の活動でも大会のために本州まで遠征したこともあり、自然と「次は世界を見てみたい」と思うようになったのだと思います。
そんな時、私にチャンスが巡ってきました。
次につなげる初めの一歩
沖縄工業高専の専攻科1年、大学で言えば3年に相当する年のこと。恩師の後押しで、カナダで開かれた国際学会に参加。その後同じく恩師から文部科学省主催の留学促進プロジェクト”トビタテ!留学JAPAN”(以下トビタテ)について聞きました。
募集要項を読むと、TOEICのスコアではなく”熱意と留学計画”が評価対象とのこと。私は、それまで海外経験がほとんど無かった自分に出来ることを考えました。
高専の子たちはとても優秀です。しかし彼らは、人里離れた場所でコツコツと技術力を身につけながらも、自分の価値をきちんと把握しないまま企業に就職していく – 非常にもったいないと思いました。トビタテの話を聞いた時に「日本語しか話せない自分が海外に出て道を拓けば、後輩たちも挑戦しやすくなるのでは?」と思いました。語学が苦手でも、技術力や専門性が活かせる海外インターンシップ先を開拓すること、そしてそこで後輩たちがインターンを行い日本や世界を知るメンターたちによる多面的な評価を受けることが大事だと思いました。留学先の候補がいくつかある中から、私は人材への投資を積極的に行っているシンガポールを選びました。
「若者が世界に出なければ、沖縄も、日本も発展しない」
シンガポールへは、わずか2ヶ月の留学でした。しかしその間、現地で活躍されている約100人の日本人経営者・ビジネスマンを訪ねて、お会いする経験をしました。それはつまり”世界的ビジネスハブ”を体で感じる機会でもあり、衝撃を受けました。
建国からわずか50年にして、日本を含め世界中から人が集まる大都市に成長したシンガポールと、東アジアの中心としてのポテンシャルが唱えられたまま”年収全国ワースト1位”の地位に甘んじている沖縄・・・
「沖縄も、シンガポールのような都市になれていたのでは?」と、深く考える機会になりました。「これは仕方ないこと」「沖縄では稼げないからみんな東京に行くのは当たり前」- そんな価値観が崩れた瞬間でした。「これは変えられる問題なのでは?」「若い世代が世界を見に行かなければ、沖縄の今後の発展も、日本の発展もない」と気づいたのです。そして「今やらないと、本当に沖縄がダメになるかもしれない」という危機感を持ちました。大好きな場所だからこそ、変えたいと思ったのです。
しかし沖縄に戻ってみると、留学前とは変わらない日常が流れていました。自分が海外での体験で得た強烈な気づきが、ただの”良い思い出”として色あせていく感覚 – それがものすごく怖かったのです。だからこそ「この気づきが、日常に埋もれて消えてしまわないうちに行動しなきゃ!」と強く思いました。
留学に発つ前、すでに東京で就職も内定していて、住むアパートまでも決まっていました。しかし帰国後、沖縄に残るか東京に行くか悩み、恩師にも相談し、卒業式の前日に腹を決めました。
就職を捨て 使命を選ぶ
私は父に話しました。「東京には行きません。私は沖縄で、留学生支援事業に取り組みます。成功するかも、きちんと結果が出せるかも分かりませんが、まずは2年間、時間をください」
私はその少し前、ある女性に出会いました。彼女は私と同じ沖縄出身で、同じくトビタテに参加し、同じように沖縄に課題を感じていました。「若い子たちがより多くの選択肢を持てるように、私たちがトビタテや奨学金制度の存在を知らせるべきだよね!」と意気投合し、海外留学情報を一挙に集めたイベントを共に企画。最初は1ヶ月後に小さな規模で実施することを考えていましたが、構想がどんどん膨らみ、時間をかけて準備することにしました。
琉球の”琉”と留学の”留”から名付けたイベント”RYU×RYUフェスタ”を企画・運営するために、協力してくれるメンバーを集めた学生団体を立ち上げました。。そして2017年3月、沖縄コンベンションセンターで第1回を開催を実現しました。約1,000人の若者たちやそのご父兄、留学関連企業や語学学校、一般企業、大学などが集まり、多くの支えの中で成功を収めました。
第1回RYU×RYUフェスタ(2017年3月)写真提供:平良美奈子さん
沖縄 or 留学?
その後も2018年、2019年と2回にわたりRYU×RYUフェスタを開催。その原動力は「沖縄が東アジアのハブになれば、その効果は日本中に波及する」という私の信念に他なりません。その実現に向けて「留学前・留学中・留学後の一貫したエコシステムを沖縄で作り、それを全国に広げていく」という構想を描き、イベント開催に加えて、海外にいる留学生を活用した企業向けマーケティングリサーチを提供するなどの形で実践していきました。
しかし一方で「留学から帰国した人たちを受け入れる企業が沖縄には少ない」という実態も見えてきました。そこへやってきたのが新型コロナウイルス感染症の拡大です。
自分たちの試みが壁にぶつかりかけた頃、東京から沖縄に移住していた2人の経営者の方とお話しする機会がありました。さくらインターネットを創業した田中邦裕さん、マイネットを創業した上原仁さんです。
お二人と話をしていくなかで、私は問われました。
「あなたが本当に取り組みたいのは、沖縄の課題の解決なのか、それとも留学の促進や支援なのか?」
私は、それらが一体で不可分のものだと思っていました。沖縄の若者たちに留学の機会を提供することが、沖縄や日本全体にとって価値あるものなのだと。深く考えた末に、私は”留学”を選ぶことにしました。
こうして私は2021年6月「誰もが海を超え 世界へ挑める時代を創造する」をミッションに掲げ、株式会社RyuLogを東京に登記し、起業しました。
奨学金がつくる未来の架け橋
企業が留学生に奨学金を出資する – これは言い換えれば”奨学金を通じて企業と留学生がつながる”ということ。留学生に対してはその企業の魅力を伝え、彼らに十分に知ってもらう機会となる一方、留学生が将来の採用候補者にもなり得ます。ただし奨学金が留学生の意思を束縛するものであってはならず、出資企業に入社するか否かを決めるのは、あくまで留学生側です。
このような形での企業と留学生のマッチングにご興味を示してくださっている企業は「国籍問わず優秀な人材を採用したい」とお考えです。一方で、採用イベントに企業が参画する場合、人件費や出展料で数百万、さらに大規模なものだと数千万円かかることもあります。スカラシップパートナーズは、それに変わる選択肢に十分なり得ると考えています。
留学の価値を若い人たちに伝えることも、変わらず続けていきます。しかしその上で、意識するべきことがあります。私がRYU×RYUフェスタを立ち上げようとしていた頃、父は言いました。
「あなたのやろうとしていることは意義あることだと思う。でもお金がない家庭にとっては、留学が新たな“火種”を生む可能性もある。これまで”高校を出たら働く”と言っていた子どもが”やっぱり留学したい”と言い出したら、その家庭はどうするのか?」
その当時は「それでも応援するのが大人なのでは?」と思っていましたが、今では本当に様々なご家庭や状況があることを知り、父の言葉の意味を非常に痛感しています。だからこそ私たちは選択肢を用意し、学生さんたちが安心してチャレンジできる仕組みを考えていかなければならないのだと思います。それが”奨学金支援”で海外留学できる若者を増やすというビジネスにつながっています。
子どもたちよ 熱く夢を語れ
私が理想とするのは”子どもたちが無謀な夢を大声で語れる世界”です。「イーロン・マスクみたいになりたい」「億万長者になりたい」「日本から世界を変えたい」など、大人が少し心配になるような(笑)夢を堂々と口にする。そんな彼らが夢に向かって全力で挑戦し、たとえ転んで膝をすりむいても、その時に周りの大人たちがそっと手を差し伸べられる – そんな世界が私の理想です。
今の日本は、どこか無菌室のような雰囲気があるように感じます。子どもたちに危ないことをさせず、失敗を許さない風潮が、知らず知らずのうちに彼らの可能性を制限してしまっているように思うのです。
だからこそ、子どもたちの無謀な挑戦を止めず、むしろ推奨するような環境をつくっていく。先に生まれた者として、その責任を私自身が果たしたいと思います。私がエゴのように勝手に思い描いている(笑)この未来像を、奨学金を出資する企業や、奨学金を運用する企業、理念を広めてくれる人たち、留学生を支える人たちと共に実現していきたいですね。
RyuLogのコアメンバーの方々と
写真提供:平良美奈子さん
スカラシップパートナー”ズ”という複数形には、その願いを込めています。これからも、新たなパートナーとの出会いを楽しみにしています。
平良さん関連リンク
株式会社RyuLog 企業サイト:ryulog.com/
スカラシップパートナーズ:lp.scholarship-partners.com/
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