「傷だらけの英語習得術」内田雅さん

インタビュー&構成:徳橋功
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Masashi Uchida
英語辞典編集者

英語も他の教科と対等であるはずなのに、人々の英語教育への期待が異様に高い。ちょっと不思議です。

My Eyes Tokyoによる”英語人”インタビュー「」。3人目の今回は、まさに”言語のプロフェッショナル”である内田雅さんです。英語辞典の編纂に従事する傍ら、ボランティアとして外国人への日本語教育を行っています。

私たちが内田さんに初めて出会ったのは、1年ほど前に私たちの友人が開いた難民支援関係者のミーティングでした。その後も難民支援関連のイベントでたびたび顔を合わせた私たちは、プライベートの時間を日本に住む難民への支援に充てる内田さんの本気度に、心を打たれました。

そしてもうひとつ心を打たれたのは、彼の英語力でした。今年1月末にMy Eyes Tokyoが開催したプレゼンテーション大会で、内田さんは自身のボランティア活動について見事な英語でプレゼンされました。かなり流暢な英語で発表されたので、内田さんにお聞きしました。「留学経験があるんですか?」。答えは「No」でした。海外在住経験もありませんでした。そこで、いかにして海外経験の無い人が、英語で10分間のプレゼンが出来るまでになったのかを、一風変わったお料理をいただきながら伺いました。

*インタビュー@実の里(西早稲田)

 

英語は本当に”世界の共通語”?

私が難民支援協会(Japan Association for Refugees,、略称JAR)でボランティアを始めたのは、2011年の秋頃です。その前年にJARの存在を知り、活動説明会に行きました。私はそれ以前の2005年から、外国人への 日本語教育ボランティアに携わって来ましたので、JARでもその経験が生かせると思い、ボランティア活動を始めました。もっとさかのぼると、私が社会に出てからずっと仕事として言語教育関係に従事していたことが大きいです。

約8年前に始めた日本語教育ボランティアは横浜で行っていたのですが、そこでミャンマー人の難民に出会いました。最初はそうと知らずにお話していたのですが、ある時「私は難民申請をしているんです」と言われて、初めて“日本に難民がいる”ということを知ったのです。日本の難民の状況について調べようと思ってインターネットで検索したら、最初に出て来たのがJARでした。それで説明会に行き、今日に至ります。

私が今携わっている難民支援ボランティアでは、相手の人たちは必ずしも英語を話せるとは限りません。例えばJARが発行している「防災ハンドブック」は英語以外にトルコ語、アムハラ語(エチオピアの公用語)、ビルマ語でも書かれています。もし本当に英語が世界の共通語なら、それ以外の言葉で書く必要はないはずです。でも実際、例えばクルドの難民たちは英語が理解できない方も少なからずいます。もちろん、私はトルコ語は話せませんが、トルコ語の会話帳を参考にしたり、日本語がある程度話せるクルドの難民に助けてもらったりしてコミュニケーションをしています。

とはいえ、難民支援協会のボランティアや職員は英語が話せる人が多いです。その上でフランス語など他の言語を理解できる人もいます。



難民起業サポートファンド(*詳しくはこちら)が支援するミャンマー・カチン料理店「実の里」のメニュー。カチン族はミャンマー北部の少数民族で、多くの難民が国内外にいるのが現状です。その難民の方々が腕によりをかけて作った、茶葉のサラダや腸詰など日本人の口にも合うお料理で、内田さんとの会話も弾みました。

 

外国人コンプレックス@青春時代

2012年に休みを取ってミャンマーに旅行に行くなど、今は難民の出身国にも強い関心がありますが、JARでの活動に携わる前は、休みが取れたら迷うことなくヨーロッパに行っていました。それは、私が大学でドイツ語を専攻していたからだと思います。

高校で選択した世界史では、中でもドイツの歴史が面白く、また先生から「英語の学部以外でも英語は勉強できるから、英語以外を専攻してみては」と言われ、ドイツ語を選択しました。でも他の社会科学系などの学科を受けずに外国語学部に入ろうと思ったのは、元々言語に関心があったからだと思います。

中学や高校での英語の成績は悪くなかったですが、私は留学経験がなく、英語を勉強したのは大学受験のためでした。私の地元では外国人はほとんど見かけませんでしたし、初めて外国に行ったのは大学2年の頃です。高校時代は”外国人コンプレックス”丸出しで、ごくまれに学校に来ていた外国人と話す時は、すごく緊張しました。まだ今のように、どこの学校でもALT(外国語指導助手)が当たり前のようにいる時代ではありませんでしたから。

大学入学後はドイツ人の先生に習ったりしたので、ようやく外国人と話すことに臆さなくなりました。しかし英語に関しては、好きではありましたが、話すことには苦手意識がありました。それは間違えることを恐れていたからでしょうし、理屈ばかり覚えても話せるようにはならないことに、遅ればせながら気がつきました。

 

ドイツ語?それとも英語?

私が入学した上智大学外国語学部は、とりわけ専攻言語の言語指導がキツく、毎日の予復習をしっかりやらないと追いつかないほどでした。なので大学2年頃まではドイツ語漬けでした。

しかしその後、就職か大学院への進学かを熟考した末、いずれにも対応できるように英語の勉強も意識し始めました。それが大学3年の秋くらいでした。

今でこそビルマ語も勉強したりしていますが、やはり非英語圏の人たち同士が話すのには、英語が必要なケースが多いと思います。私はドイツ語専攻で、 大学院に進んで言語学・ドイツ語学を専攻していたほどですが、心のどこかで「英語を勉強しなければ」と思っていました。それは、やはり就職のためです。

博士課程に進むという選択肢もありましたが、ドイツ語学や独文学専攻で研究職に就くことはきわめて難しい状況だったので、私は一般企業に就職する道を選びました。ドイツ語を使った仕事というのも無いことはないですが、やはり英語は避けて通れない要素だろうと判断したのです。

 
日本語、、ドイツ語に続く第4の言語としてビルマ語を勉強。今では「実の里」の店員さんともビルマ語で談笑するほどに! 

 

仕事が英語力を上げる

修士課程を終え、私は予備校の英語講師になりました。高1と高2を受け持ちましたが、英語の先生として知識や運用能力が十分なのかについて漠然とした不安もあったので、週1回英会話スクールに行くことに決めました。

そのスクールでのプレースメントインタビューの結果、上級クラスに入りました。そのクラスではディベートやディスカッションの課題も出されて、その準備のための勉強もしました。先生を相手にきちんと論理的に自分の考えを伝えなくてはならないからです。そのクラスで鍛えられましたね。

英会話スクールに通っている人は多いと思います。でもなかなか上達しないという声も多く聞きます。もしただ週1回の授業に行くだけなら、それは当然です。授業は自分の英語能力を披露する”発表会”なのです。その週1回の授業のために必死になって予習し、準備する。それが必要だと思います。

また、私は通勤時間中、ずっとシャドウイングをしていました。当時の通勤手段は車で、本を読むことができなかったので、その代わりに、運転中CDの音声を口ずさんでいました(もちろん安全運転優先で!)。また参考書も、1冊または2冊に絞りました。

それに私の場合は英語を仕事にしていたので、英語力を上げる必要がありました。言うなれば、仕事が私の英語力を上げたとも言えると思います。

 

英語学習は必要に応じて

日本は英語教育において、とても恵まれていると思います。今の時代は小学校から英語学習が始まり、書店に行けば英語教材がたくさん並んでいます。英会話学校もたくさんあります。さらに都市部においては、外国人に接する機会も比較的容易に得られます。もはや、留学する必要が無いくらいです。

そんな環境で、英語を使えるようになるために必要なこと –- 月並みな言い方かもしれませんが、「モチベーション」だと思います。私は、誰もが英語を話せるようになるべき、とは全然思っていません。もし英語に興味が無くて、実生活や仕事で英語を使う機会が無いのであれば、勉強する必要は無いと思います。

昨年(2012年)訪れたミャンマーで、小さなお土産屋さんに行きました。お店の人は 40ページ足らずの薄っぺらい英語のテキストだけしか持っていませんでしたが、結構英語を話せました。英語教育の環境としては、劣悪とさえ言えます。それなのに彼女が英語を話せるのは、テキストで学んだ上に、海外からのお客さんとの実践で学んだからだと思います。「これはどういうふうに言えば良いのか」と疑問に思い、調べたり人に聞いたりして、それをメモし、実際に使ってみることの繰り返しで身につけていったのだと思います。

 

日本語訛りの英語もOK!

あとは、自分とは違うバックグラウンドの人たちに興味を持つことも、モチベーション維持につながるかもしれません。自分とは違う考えや価値観に触れてみたいという思いがある、だからこそボランティアで携わっている日本語教室で日本語を教えながら外国人や難民の人たちと接し、それが“難民問題”について考えるきっかけになりました。ただし先ほども申し上げたように、英語を話せない人は世界中にたくさんいます。だから、英語が全てでも無いとは思いますね。

そしてもうひとつ、“ネイティブ至上主義”からも脱却した方が良いと思います。 言語学や言語教育の世界では「interlanguage(中間言語)」という概念があり、自分の母語でもない、また習得しようとする言語でもない、その中間に位置する、途中段階の言語のことを言いますが、この発想は学習者にとって大切かもしれません。例えば「日本語訛りの英語でもいいじゃん」 と発想を転換するのも時には良いのではないでしょうか。

もちろん、それがきちんと相手に通じるかを確認することは大事ですが、日本語訛りの英語を話すことに過度に臆する必要は無いのです。

 

なぜ人は英語教育にばかり期待する?

よく考えてみれば、英語も他の教科と対等であるはずなのです。例えば数学を勉強したところで、実生活で使わなかったら忘れますよね。「学校で“接弦定理”を習ったはずなのに、それを忘れてしまうなんて、どういうことだ!」 と数学科教育を批判する人はいるでしょうか。「何回練習しても逆上がりができない。体育科教育はどうなっているんだ!」と批判する人もほぼ皆無でしょう。人々の英語学習に対する期待値が異様に高い。ちょっと不思議です。


日本語教室にて生徒さんと。

だから英語も同じはずなのです。覚えているか覚えていないか、話せるか話せないかは、実生活で使う必要があるのかないのかなど、全て自分次第。ただそれだけだと思いますね。

 

内田さん関連リンク

難民支援協会:http://www.refugee.or.jp/
*内田さんがボランティアとして携わられています。 

アムネスティ・インターナショナル日本:http://www.amnesty.or.jp/
*内田さんがビルマチームのメンバーとして携わられています。

 

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