龍里宗一さん

インタビュー&構成:徳橋功
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Soichi Tatsuzato
全国通訳案内士

人生の半分近くをコンフォートゾーンの外で過ごしてきた。その経験があるから、この厳しい状況を皆さんと共に乗り越えられると信じています。

 

2020年は、皆さんにとってどんな年だったでしょうか。多くの方々にとって、これまでに経験したことのない、長く辛い年だったかもしれません。それでも、今こうしてMy Eyes Tokyoをご覧くださっている皆さんは、艱難辛苦を乗り越えられてきた、または乗り越えられようとしているのだと信じています。

そんな皆さんに、このインタビューを贈ります。自身の仕事を“エンターテイナー”と捉え、これまで世界中から日本にやって来た人たちに楽しい時間を提供してきた全国通訳案内士、龍里宗一さんです。

龍里さんは上場の執行役員という安定した地位を、2018年に手放しました。「自分らしい人生を、命尽きる瞬間まで生き抜く」という強い思いから、全国通訳案内士として独立。時は東京オリンピック・パラリンピック開催間近、龍里さんが自身で作った船は小さいながらも風を受け、勢いよく波を切りながら帆を進めていました。

世界規模で発生した、人類がこれまでに経験したことのないパンデミックにより緊急停泊を余儀なくされた、龍里さんの船。冬来たりなば春遠からじ – やがて来る再出発の日に向け、全く新たな航路を切り開くことも想定しながら、培ってきた経験や知識を活かす道を模索しています。

*インタビュー@東京都府中市
*英語版はこちらから
英語版校正:ホフ・ジェニファー・アンドレア

 

今こそ起業を目指せ

私は中堅専門商社を飛び出して独立しました。現在は新型コロナウイルスにより、全国通訳案内士としての仕事はほぼゼロになっていますが、それでも後悔は全くありません。昨年から今年にかけて大学に講師として招かれることがあり、そのたびに私は学生さんに言いました。「これからの先行き見えない時代こそ、会社に自分の一生を託すのではなく、起業を目指すべきだ」と。

一寸先が真っ暗闇である今、私はむしろその思いを強くしています。かつてのような「高級ブランド品をデパートで買いたい」から「誠意ある生産者から直接買いたい」というように人々の思考が変わり、小さな会社にもチャンスが巡ってきているからです。今回は若い人たちを始めとした、これから一歩を踏み出そうとする人たちのお役に立てばと思い、私のこれまでの経験をお伝えしたいと思います。

 

憧れの英語を習得し海外就職を実現

私は海外生活が長く、1年間のアメリカ時代を含め、通算で19年間いました。でも私は外国に染まるどころか、どこの国にいても心は日本にありました。おそらく私が全国通訳案内士という仕事を志した根本には、そのような私の想いがあったのかもしれません。そしてそのルーツは、幼少時代からの英語への憧れでした。

ただ、その理由は私にも分かりません。私の身の回りには、両親を含め海外に行ったことがある人が誰もいなかったし、私自身が洋楽や洋画など西洋の文化・芸術にほとんど興味を持っていませんでしたから。それでも小学校4~5年生頃に約2年間、地元の集会所で週1回開かれる子供向け英語教室に通い、その後故郷の福岡を飛び出して進学した関西の大学では英語を専攻。電車やバスなどの乗り物が幼少時代から好きだったため、それらを組み合わせた仕事として業を志すようになりました。

大学卒業後、かねてから興味のあった留学へ。アメリカのカレッジで旅行・観光学を学びました。在学中、日系旅行会社からお声がかかり、学校を中退して入社。本店での研修後、シカゴ支店に配属となりました。10人ほどの小さなオフィスでやがて支店長となり、その後郊外に別の支店を設立して双方のオペレーションを管理しながら、主に米中西部に拠点を置く日系の自動車企業や金融企業向けに旅行商品を販売していました。

 

日本に帰国 観光から出版へ

時はバブル期を経て90年代に突入。遠く離れた母国で海外向け日本語事業に国を挙げて取り組んでいたその頃、私はある人からの紹介で、日本語学習教材出版社に東京本社所属の北米担当セールスパーソンとして入社することに。自由度の高い社風、ひいてはアメリカでの生活から離れることへの迷いはありました。一方で日本に生活の基盤を移すことや、他業界への転職が退社理由であったため、会社からの強い慰留はありませんでした。

入社後は本社に勤務し、北米での営業活動は年に数回の出張時に実施。一方で日本にいるときは、主に外務省や国際交流基金、JICA(国際協力機構)などに向けて日本語学習教材の営業を行っていました。それらの公的機関が教材を買い上げ、海外の日本語学習者に積極的に配布したり、日本語教師の派遣を行ったりしていたことが、やがてアニメを筆頭とした日本のコンテンツの世界的拡大につながったことを考えると「その動きに大変微力ながら貢献できたかもしれない」というちょっとした感慨を覚えますね。

 

再び海外流浪の旅へ

その後、北米のみならず欧州や豪州など日本語学習が盛んな地域への日本語学習教材拡販に興味を持ち、その出版社とパートナー関係にあった、コンテンツ商材などを取り扱う専門商社へと移籍。出版社にとっても、私がパートナー会社に移ることにより、より広範に自社教材が行き渡ることが期待されたためか、引き留めにも全くあいませんでした。

その会社は海外に販売拠点を自前で持っており、私は入社翌月からオーストラリアへ。ちょうどオリンピックが現地で行われた2000年から、私はシドニー、メルボルン、ゴールドコーストにあった会社運営の書店のマネジメントを行うことになりました。

2004年に日本に帰国し1年間の本社勤務後、今度はヨーロッパへ赴任。在ロンドン日系百貨店の地下にあった書店の運営を手始めに、やがてパリ市内にある書店も併せて運営管理することになりました。私はロンドン・パリ両現地法人の役員として赴任しましたが、運営していた店舗のスタッフはいずれも私以外ほとんどアルバイトだったため、彼らに自分の背中を見て育ってもらおうと、店内清掃などの雑用も率先して行いました。

ロンドンとパリはユーロスター(イギリスと大陸ヨーロッパを結ぶ国際列車)でわずか2時間の距離のため、ロンドンに住みながら毎週末パリへも通っていました。しかし地理的には近くてもお客様の性質は全く違い、特にパリの方々は国民性を反映してか、個人の権利を強く主張する傾向があったため、ドーバー海峡を渡るたびにマセットを切り替える必要がありましたね(笑)

 

“おもてなし”はじめの一歩

パスポートの増刷を要するほど英仏間の往復を繰り返した日々が終わりを告げ、2014年に東京本社へ帰任。営業部門の執行役員を経て、管理部門の統括を担当することになりました。海外経験を活かす余地の少ない業務でしたが、それを通じて銀行や保険会社、各管轄省庁との折衝、不動産や会計の管理、労働組合対策などを経験し、日本の上場企業を支える仕組みを学ぶことができました。しかもバックオフィスに携わった経験は、私にとって起業や独立を考えるきっかけにもなったのです。

サラリーマンとして会社勤めをしていた2016年、訪日観光客相手のボランティアガイドを開始。英語スキルを維持させるのはもちろん、観光業界での経験があり、しかも海外生活において外国人として異文化の世界に身を置いてきたことから、ガイドとして彼らの求めているものを提供できるのではないかと考えたのが、その背景にありました。私はこれまで、に関心を持つ人たちに海外で出会ってきましたが、訪日観光客というのは、わざわざお金と時間を費やして日本までいらっしゃる、まさにコアな日本文化愛好者の方々。私は登録したNPOボランティアガイド団体を通じて彼らのような“日本が大好き!”な人たちに出会い、ガイドをしながら共に楽しい時間を過ごしました。

 

築いた地位を投げ捨て荒波に飛び込む

そのような体験をもとに、日本文化や歴史、地理、社会に関する広範な知識をもとに報酬を得て訪日観光客のガイドを行う“全国通訳案内士”という国家資格の取得を考えるように。説明会に足を運ぶなどして収入面などのリサーチを入念に行った結果「2~3年間頑張れば、食べていけるようになる」と判断しました。

一方で、先行きが見えない時代にサラリーマンとして会社に居続けることは、一般論としても安定ではなく、もはやリスク。どんなに好きな仕事であっても会社人である以上は、様々な制限を甘受しなければならない。やがてその会社人としての生活も終焉を迎える。私は定年など関係なく、できるだけ長く仕事をしていたい –

こうして私は、53歳の時に独立を決意し、2018年に全国通訳案内士としての一歩を踏み出しました。欧米系の訪日観光客を東京駅からお客様の滞在するホテルにお連れするという業務を初仕事として、その後も多くの旅行代理店に自分を売り込んだり、かつて私が仕事をしていた在米日系旅行代理店を含め様々なルートで案件をご紹介いただいたりしたおかげで、独立2年目の2019年は予想を上回るほど忙しい年に。長年の自分自身の海外生活経験により“訪日観光客と同じ目線で日本を見ることができる”“お客様の期待しているものが察知できる”“日本人でも気づかない日本の良さをお客様に伝えることができる”というユニークネスを強みに「さあ来年はオリンピックだ!」と明るい未来を描いていた、その矢先・・・

 


写真提供:龍里宗一さん

 

共に苦難を乗り越える

幼少の頃から人を笑わせることが好きで、大学時代は研究会に所属していた私にとって、全国通訳案内士の仕事は天職と言えるでしょう。出会った相手を好きになり、相手を観察し、その人が求めるものを察知してサービスを提供し、時には小道具を使って相手を未知の世界にいざないながら、楽しい時間を過ごしていただく – それは落語にも共通しています。自分自身も楽しみながら報酬までいただけるこの仕事に就けたことを、とても幸せに思います。

それだけに、全国通訳案内士としての活動がストップしているこの状況は、私にとって心地よいものではありません。しかし私は、大学進学時に故郷を飛び出して関西というアウェーに身を置き、その後母国を飛び出してアメリカやオーストラリア、ヨーロッパに赴いたように、常にコンフォートゾーンの外へ外へと自分を導いてきました。

 


写真提供:龍里宗一さん

 

たとえ観光業という、コンフォートに感じられる世界から外れていても、アフターコロナを想定しておもてなしの育成のお手伝いや、国内各地の隠れた観光資源の発掘などを今から行いながら、皆さんと一緒に現在の厳しい状況を乗り越えていきたいと思います。

 

龍里さん関連リンク

Discover Tokyo with Impressive Japan Tours:impressivejapan.com/en/
外国人旅行者が日本で行きたい店、知りたいこと(アルクplus):plus.alc.co.jp/2018/08/tfg/
不思議の国、ニッポン~外国人旅行者が驚くこと~(アルクplus):plus.alc.co.jp/2019/01/japan/
外国人ボランティアガイド育成研修会(栃木県 栃木市国際交流協会ウェブサイト):
tic-tochigi.jp/act/event_log2018.html#0321_volunteerguide

 

My Eyes Tokyo

Interviews with international people featured on our radio show on ChuoFM 84.0 & website. Useful information for everyday life in Tokyo. 外国人にとって役立つ情報の提供&外国人とのインタビュー

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