ハーシュ奈々さん

インタビュー&構成:徳橋功
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Nana Hirsch
サウンドエンジニア
(2001年1月に渡米)

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自分から動かなければ、誰一人助けてなんかくれない。

 

今回は ”My Eyes Tokyo” 初の試み。アメリカ在住の日本人へのインタビューです。

ハーシュ奈々さんは、前回インタビューしたジェフリー・ハーシュさんの奥様です。奈々さんはジェフリーさんとロサンゼルスでお知り合いになり、そして2005年2月に、めでたくご結婚されました。

奈々さんは現在、ロサンゼルスでサウンドエンジニアとしてご活躍されています。今に至るまで、奈々さんは小さな体で一生懸命、夢に向けて並々ならぬ努力をしてきました。アメリカで活躍するサウンドエンジニアという夢を、一時は断念して日本に帰ったこともありました。

だけど彼女はあきらめませんでした。海外で活躍したいという方は是非ご覧ください。

*インタビュー@カフェベローチェ横浜駅西口店
*英語版はこちらから!

 

夢をつかむために

2001年1月にアメリカに来ましたが、途中1年半ほど日本に帰ってきています。そして2005年10月に、アメリカに戻りました。

私の夢は、アメリカでサウンドエンジニアになることでした。私が初めてアメリカに行ったのは、私が19歳の時です。あるコンサートに行ったんですが、その時私は「絶対にまたアメリカに来よう」って決めました。

そして25歳の時に本格的に渡米し、夢を実現するための勉強を始めました。最初は語学学校で勉強し、そのあとサウンドエンジニアリングの勉強をするためにカレッジに入学しました。

 

アメリカのことを簡単に考えられなくなった

アメリカに一人で住んでいた頃は、アメリカが嫌になったらいつでも日本に帰ろうと思っていました。でも彼(ジェフリーさん)と結婚すると決めた後は、以前のようにはいかなくなりました。もしアメリカが嫌になっても、ここにいなきゃいけない・・・ということはないかもしれませんが、確実に以前とは気の持ち様が違ってきています。

(ジェフリーさん:「僕のことも考えなきゃいけないんだよね」)

そう。だから以前のように簡単にアメリカのことを考えるわけにはいかなくなりました。自分の欲求だけでなく、夫のことも考えなくてはならないんです。

 

一生懸命やっていれば、必ず誰かが救いの手を差し伸べてくれる

私は日本でもサウンドエンジニア関係の学校に行っていました。でもアメリカに来てからも音響関係の学校に入り直しました。その方がアメリカで仕事を見つけやすかったからです。

学校に行けば、実際に現場で働いている人もいるし、サウンドエンジニアリングを教える教授もいます。だから職が見つかりやすくなります。もし学校に行っていなかったら、仕事を見つけるのは難しいでしょうね。どこかのクラブに行ってサウンドエンジニアをつかまえて「ここで働きたい」と言ったところで、それで働けるほど簡単なことではありません。

私は、アメリカで仕事を見つけるという思いを常に持ち続けていました。だからたくさんの人に会いました。自分から動かなければ、誰一人として助けてなんかくれません。仕事を得るために、誰かに電話する。人に会ったら「人、足りてる?」と聞いてみる。私は基本的に人と話すのが苦手なんですが、そうも言っていられません。やるしかありませんでした。

今の師匠である、伊東容子さんというベテランサウンドエンジニアに出会う前は、「ハウス・オブ・ブルース」というアメリカでも有名なライブハウスで働いていました。私のクラスメートがそこで警備員として働いていて、彼が店の人に話してくれたんです。

その後、今度は日本人女性と結婚したある男性に会いました。その男性はサウンドエンジニアでした。彼は私に名刺を渡しながら「もし仕事が欲しかったら電話して」と言いました。すかさず私は電話しました。彼は私にたくさんの人を紹介してくれました。その中に、今の師匠がいたんです。

そうやって、全ては繋がっています。本当に、たくさんの人が助けてくれました。一生懸命やっていれば、必ず誰かが救いの手を差し伸べてくれるものです。アメリカの学校は日本の学校と違って、「はい、あなたはこの会社を受けなさい、そちらの人はこの会社を受けなさい」なんてやってくれません。自分で仕事を見つけるしかないんです。

 

仕事を楽しむアメリカ人

アメリカでは至るところでライブ音楽が楽しめます。バーとかコーヒーショップとか、あと博物館なんかでもライブがあったりします。日本にはなかなかありません。音楽は私の仕事であり、趣味でもあります。だからそういう環境は良いですね。

あと、職場環境。私は日米双方の会社で働いたことがありますが、アメリカは日本と全然違いますね。アメリカ人は、ゆっくり仕事をします。仕事中でもスマイルで、雑談なんかもしますね。もちろん彼らだって真面目に仕事しますよ。だけど真面目の種類が日本と違うんです。日本では、いつでも定刻通りが要求されます。そして短時間で仕事を済ませなくちゃいけない。そのうえ上司が厳しいから、部下はいつも「すみません」って言って小さくなってる。

アメリカでは、もっと心地よく仕事ができます。仕事にもっと時間をかけますしね。日本人からすれば、仕事が遅いとか真面目に働けとか言われかねないですが、私にはそれが心地良いんです。アメリカ人は、自分たちの仕事を楽しんでいます。それに比べると日本人は、ただ働いているだけのように思えます。

でも日本で仕事すれば、どこへ行っても通用する人材になれるでしょうね。だって、ちゃんとした訓練を受けるから。日本には、あまり怠け者はいませんよね。だから日本人が海外に行ったら、だいたい他の人よりも仕事ができると思います。

 

私が食べていたサンマを見た夫「気持ち悪い」

アメリカの食事は、大丈夫ですよ。ただ、毎日外食というのはキツいですね。たまには家で食べたいし。食事に関しては、私にとっては日本の方がはるかに良いです。私は肉よりも魚が好きですからね。特にお刺身が好き。日本食全般が好きです。でも、多分アメリカでも生きていけます。

でも食事のことでショックなことがありました。サンマを夫の横で食べていた時でしたが、彼が「気持ち悪いよ」って言ったんです。サンマには頭もしっぽも、骨もついてるでしょう。私が子供の頃は、両親から「魚は頭もしっぽも骨も付いている方が健康に良い」って教わったし、それは日本人の習慣です。でも彼は「気持ち悪い」なんて言う。すっごく嫌そうな顔をしていたのを、今でもはっきり覚えてます。だから私は「じゃあ、こっちを見なければいいじゃん」って言い返しましたけどね(笑)

 

簡単に人を信用できないアメリカ

アメリカは好きだけど、犯罪が多すぎます。人を簡単に信用できませんし、一人で暗がりなんて歩けません。とっても危険です。もし日本にいる時と同じような気分でアメリカにいると、痛い目に遭います。

だいぶ昔に、私の車の中にあるものをゴッソリ盗られたことがあります。当時私はステーションワゴンに乗っていて、ちょうど引っ越しのためにあらゆる荷物を車に積んでいました。でも誰かが窓ガラスを割って、中から荷物を引っ張りだしたんでしょう。手元に残っていたのは服と教科書とサーフボードで、あとはだいたいいらないものでしたが。

ラッキーだったのは、車が盗られていなかったこと。キーは私が持っていましたが、キーがなくても車なんて盗めますよね。古い車だったから盗まれなかったのかも・・・。

 

不可能なことはほとんど無い。

もし何かをしたい、もしくは何かを実現させたいなら、まずはやってみることです。一生懸命やっていれば、そのうち必ず思いは実現します。「不可能なことなんて無い」とまでは言いません。ただ「不可能なことはほとんど無い」と断言できます。

夢をつかむまで、一生懸命がんばってください。それでも実現しなければ、あきらめることも決して悪い選択肢ではありません。この私だって、一度日本に帰ってきた時は、夢をあきらめたんです。「もうサウンドエンジニアの仕事はやめよう」って。

でも、またアメリカに戻りました。サウンドエンジニアの仕事に、もう一度チャレンジしようって思ったんです。

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東急ハンズ横浜店にて

 

奈々さんにとって、アメリカって何ですか?

アメリカは私にとって「夢」に過ぎませんでした。

でも今は夢だったアメリカに住み、そして夢だったアメリカで仕事をしています。さて、次に来るのは何でしょう?

私は「成功」だと思います!

 

My Eyes Tokyo

Interviews with international people featured on our radio show on ChuoFM 84.0 & website. Useful information for everyday life in Tokyo. 外国人にとって役立つ情報の提供&外国人とのインタビュー

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