伊藤太一さん & セルブリッジ

インタビュー&構成:徳橋功
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Taichi Ito

 

新たな一歩を踏み出すのに年齢は関係ない。

 

今回のお相手は、今年6月にお話をお聞きしたベンチャーキャピタリストの秋山智紀さんよりご紹介いただいた、起業家の伊藤太一さんです。ボーダレスに展開する写真投稿・共有アプリをプロデュースし、今後はEコマースを立ち上げて写真アプリとの完全な連動を試みます。それによりバックグラウンドの違う者同士が趣味を共有したり、物を介したコミュニケーションを楽しむ – そんなの構築を目指して、伊藤さんは日々奮闘しています。

伊藤さんのプロジェクトについてはこちらをご参照いただくとして、ここではIT起業家としては珍しい伊藤さんのご経歴と、”団塊ジュニア世代の起業家デビュー”に至るストーリーをお伝えします。

物事が今までにないほどのスピードで変化する今こそ、伊藤さんのように足元を確かめながら一歩一歩、未来を見据えながら前に進んでいくような人が必要ではないか – アパレル倉庫の一角、まさにガレージベンチャーを地でいく伊藤さんの”オフィス”で話を伺った私は、そう思わずにはいられませんでした。

*世界をもっとハッピーにする伊藤さんの試みについてはこちらをご覧下さい。
*インタビュー@代官山
*版はこちらから!

 

在庫に命を吹き込む新事業

私が弊社「株式会社セルブリッジ」を興した時、私には2つのアイデアがありました。1つは写真を通じて趣味を共有する「meshtiles」もうひとつはフラッシュマーケディングの手法を用いた物販でした。そこで私が最初に手がけたのが後者でした。無料のアプリは最初のうちはお金が出て行くだけで、収入に結びつけるには時間がかかると思ったからです。

私が独立した2010年当時は、”グルーポン”に代表されるクーポンを使ったフラッシュマーケティングが流行しました。でもその手法で自ら物販をしていたところは皆無でした。私にとってはそれが不思議だったし、それをやらない理由が無いと思い、やってみようと思いました。

世の中で最も非効率的なものの代表は”過剰在庫”だと私は思っていました。それをうまく処理できる仕組みを作ったり、世の中に埋もれている素晴らしい商品(地方の産品など)を効率よく世に広めていく手段として、フラッシュマーケティングは使えるのではないかと思いました。期間と数量を限定する代わりにお得、という手法ですね。

過剰在庫は、例えばファッション業界で言えば、ずっと売れないで残っていると、最後は焼却処分になります。その流れをい止めて少しでも在庫を現金化すること、そしてお得感を出すことにより在庫商品の潜在需要を掘り起こすこと。これらを事業目的として、昨年3月、ちょうど直前にフラッシュマーケティング事業を開始しました。

 

「画期的」なアイデア、失敗

このコンセプトを面白いと思ってくれた人が多かったのか、出品者を集めることはできました。しかしユーザー、つまり「購買者」が集まらず、非常に苦労しました。知名度が全くゼロの段階からユーザーを集めるのは難しいですが、サービスを立ち上げないとユーザーは集まらないし、ユーザーが集まらないとサービスは継続できません。実際には世のフラッシュマーケティングサービスは、身銭を切りながら集客をしていたのですが、弊社にはそれをするための資金がありませんでした。

そこで私が下した結論は、そのサイトを閉めることでした。それでmeshtilesに専念するようになって今に至ります。

最初は無料のアプリを楽しんでいただいてユーザーを増やし、Eコマースに興味を持つ人たちが出て来たら、その人たちを相手に商売する。そのような形の方が、Eコマースの集客のために資金を割けないベンチャーに合っていることに気づき、立ち上げて4ヶ月後に方向転換しました。そして2012年初めには、サイトを閉鎖しました。ユーザーの皆さんには「きっとまた必ず、ECサイトを再開させます」と誓いました。

 

「5年後に御社を辞めます」

まだ20代前半の学生の頃から「いつか独立して自分を試してみたい」と思っていました。それは実家が和食屋であるのも大きいかもしれません。父方も母方も、代々商売人の家系でした。

大学を卒業して最初に入ったのが、繊維の専門商社でした。大には行きたくなかったのです。そこでの面接で私は「5年で辞めます」と言い放ちました。それは独立への夢があったからですが、実際には入社して4年で辞めました。私自身が立てた目標を達成したからです。

それからITベンチャー企業に入りました。独立するためにいろんなことを経験したかったし、商社のようなBtoBではなく、BtoC事業、つまり消費者に直接向き合う事業に携わりたかったのです。その意味で、流通のシステムを作るベンチャーであるその会社で働くことは、私にとって一歩消費者に近づくことでもありました。

そこは約1年で辞め、次に入ったのがかの有名なユニクロです。ようやく小売にたどり着きました。

 

柳井イズム

当時すでにユニクロは大企業でしたが、ベンチャースピリットにあふれていました。ユニクロの社長である柳井正さんは、私が初めて間近で仕事をさせていただいたでした。”柳井イズム”を思い切り叩きつけられ、体に刻み込まれました。今でも私の中に柳井イズムは残っています。

忘れもしないエピソードがあります。私がウィメンズ、つまり用衣料の責任者をさせていただいていた頃のことですが、ある主軸商品を値上げし、その分品質を高め、それまでの30代〜40代の女性のお客様から20〜30代の女性のお客様を客層の中心に据えていかないと、ウィメンズの商品ラインの将来が見えないと思いました。数字を用いての具体的な形での実証は、その時点ではまだ出来ませんでしたが、それでも実際に取りこぼしているお客様はいたし、もしその人たちに購入していただけるようになればこのくらいの収益が期待できるという仮説までは作れました。本社勤務ですが、各店舗には毎週末行っていましたし、店長たちとの意見交換は頻繁に行っていました。

しかし、私の立てた仮説に基づいたプレゼンは、柳井さんにダメ出しされました。でも私は本気で自分の仮説を信じていましたので、何度もブラッシュアップして柳井さんに伝えました。そして5回目のプレゼンでようやく柳井さんからOKをいただいたのです。

恐らく柳井さんの真意は「もっと考えろ」ということだったと思います。柳井さんにダメ出しされて、ひるんで自分のアイデアを引っ込めてしまう人もいると思います。もしそうなら、それは”本気じゃない”と柳井さんの目には映るでしょう。「もし本気なら何回ダメ出しされても、さらに磨きをかけて持って来るはずだ」と。だから柳井さんはアイデアを否定してダメ出しをしていたのではなく、その人の本気度を確かめていたのではないかと思います。

 

独立を断念

私にとっては、20代後半から30代初めまで在籍したユニクロこそが、BtoC事業の基礎を教えてくれた場所でした。しかし一方で、独立志向を失いそうになったのも事実です。

柳井さんと仕事をさせていただくうちに「生半可な気持ちで独立なんかしてはいけないんだ」と思いました。自分で言うのも変ですが、私は元来真面目なので、柳井さんの事業への真剣さを間近で見るうちに「中途半端な目標やビジョンを立てていてはダメだ。命を懸けるくらいでなければ、独立なんてしてはいけないんだ」と思うようになりました。自分がそこまで没頭できる何かがあるのかと自分に問うたら、見つからなかったのです。

 

”0から1”への挑戦

独立する以前のキャリアでは、全て既存の会社や既存の事業の拡大に取り組みました。”1”を”2”にしていく仕事です。しかし何もない状態から会社を作り、ヒトもカネもモノも何も無い状態から事業を起こしたことは一度もありませんでした。それは前職で会社の社長をしていた時でさえも、です。

その会社では、3年間社長としてその会社に務めました。アパレルの企画・製造・輸入販売を請け負う会社でした。社員数約30人、売り上げ約20億円の中小企業でしたが、財務関係の仕事や資金繰りといったことを初めて経験しました。特に輸入販売は、輸入先にお金を支払ってから販売でそれを回収していくわけですから、お金が出て行く方が先。その時に必要なお金は借り入れなければなりません。

そのような事業の陣頭指揮を執っていた3年の間にリーマンショックが起き、必死の思いで個人保証で金融機関からお金を借り、危機を乗り越えました。

そのような経験をするうちに、「自分でやりたいことがあるのなら、自分で責任をとれる範囲でやっても良いのではないか」と思うようになりました。あらゆる経営者と出会い、お話をお聞きする中で、あらゆるタイプの方々がいることを実感したのです。それで再び、独立への火が点き始めました。

 

社長でいる意味を見失う

その会社の社長を務めることになった元々の理由は、アパレルの企画・製造・卸という既存事業から脱却し、新しい事業をその会社の柱に据えていくというビジョンを私自身が持っていたからでした。しかしリーマンショックなどの逆風があった中で、そのようなことを実現するのは困難という結論を下さざるを得なくなりました。

しかし、そうなると私が社長でいる理由が見えなくなったのです。もし私がオーナー社長だったら、そんなことでやる気が失せるということは無かったと思いますが、自分が本当にやりたいと思っているわけでは無いことを、株主のことを考えながらやっていかなくてはならないとなると – 甘いのは十分承知ですが – エンジンがかからなかったのです。情けない話ですが、個人保証という手段を用いてまでお金を借りて資金繰りをするモチベーションも湧かなくなったし、何よりこの先自分が楽しめないと思いました。そのような気持ちをひきずったまま社長業を続けたら、誰よりも社員に申し訳ないと思いました。

そのことを親会社に話したら、了解してくれました。それに私には面白いアイデアがあったし、そのアイデアを発展させるとワクワクする未来につながるというストーリーがあったから、それを実現したいと思った。そんな思いで私は会社を設立しました。

 

年齢など気にせず一歩を踏み出せ

私は団塊ジュニア世代です。私たちが学生の頃や20代の頃には起業家はいなくはなかったけれど、少なかった。でも今ではが変わり、学生でも起業する人が多くなりました。それはすごく素晴らしいことだと思います。

では私たちの世代の人間はどうなのか。私たちは人口が多い分、大学受験や就職活動で厳しい競争を強いられました。それは企業に入ってからも続いたわけですが、そういう経験を持っていて、闘志があるはずですから、私たちの世代がもっともっと起業しても良いのではないかと思うのです。

これからの日本経済を引っ張っていくのは、私たち団塊ジュニア世代のはずだし、そうでなければいけないとも思います。起業するには遅いと思うかもしれないけれど、年齢を気にせずに、もっとチャレンジしていくことが、私たちの世代に必要とされていることではないかと思います。チャレンジする団塊ジュニア世代のモデルの一つに、私はなりたいと思っています。

ユニクロの柳井さんやソフトバンクの孫正義さんのような壮大なビジョンがあるに越したことはありません。しかし、必ずしも壮大でなくても良いと思います。

自分なりに起業後のビジョンやストーリーが描ききれて、それを実行する時期が訪れたと思ったなら、一歩踏み出せば良いと思います。

 

伊藤さんの汗と涙の結晶!「meshtiles」についてはこちらからどうぞ!

 

伊藤さん関連リンク

株式会社セルブリッジ:http://cellbridge.jp/
meshtiles:http://meshtiles.com/top

 

My Eyes Tokyo

Interviews with international people featured on our radio show on ChuoFM 84.0 & website. Useful information for everyday life in Tokyo. 外国人にとって役立つ情報の提供&外国人とのインタビュー

伊藤太一さん & セルブリッジ」への2件のフィードバック

  • 2012/12/11 @ 07:07
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    たきさん

    コメントありがとうございます。おっしゃっているのは、このインタビューについてか、それともMy Eyes Tokyoのことについてなのか、どちらでしょうか?(FBのリンクを記載しなかったのに調べられたとしたら、もしかしたらMETおよびその運営者のことかと思い、お聞きしている次第です)

  • 2012/11/25 @ 21:53
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    この人が何やってる人かよく知らないけど、
    綺麗事やデカイこと言うのは誰でもできるしさ、それにFBちょろっと覗いてみて、写真や友人欄みても無理して外面ばかり気にしている感じがしないでもないんだよな・・・・・・

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