坂西優さん & 八楽

インタビュー&構成:徳橋功
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Suguru Sakanishi
コミュニケーションシステム開発者

様々なバックグラウンドを持った新しい人たちとのコミュニケーション。それが私たちのサービスの原点です。

 

今回の「Big Generators」は、ビジネスを通じていろんな言葉が飛び交う豊かで楽しい世界の構築を目指す男の物語です。

坂西優さん。皆さんのウェブサイトにちょっとしたものを加えるだけで、自動的にいろんな言語に変換されるシステム「ワールドジャンパー・ローカライザー」を開発しました。翻訳会社に依頼するより圧倒的に安いコストで、従来の自動翻訳には無い正確さで、しかも短時間のうちに皆さんのウェブサイトが英語・韓国語・語(繁体/簡体)に翻訳されます。

私はこの驚異的なサービスを、今年6月に参加した起業家プレゼン&交流会イベント「GTIC (Global Techno Innovation Cafe)」の席で初めて目の当たりにしました。大変関心を持ち、普段は人見知りな私もその場で質問をしました。その後の交流会で名刺交換し、かつて坂西さんが生き馬の目を抜く大都会ニューヨークで、様々な人種から成るチームをまとめあげてビジネスをされていたというお話をお聞きし「ぜひインタビューをさせてください!」とお願いしました。

それから約1ヶ月後、渋谷にある坂西さんのオフィスで、スウェーデン人やアメリカで生まれ育った日本人のスタッフさんを交えてという、東京の一般的なオフィスではなかなか味わえない多様なでお話をお聞きしました。

多様なコミュニケーションを一瞬にして可能にする魔法の道具の開発に至るまでの、国を越えての闘いのストーリー。異郷の地でビジネスをされようとする方や、バックグラウンドを異にする者たちとビジネスを始めようとされる方、ぜひお読みください!

*インタビュー@八楽株式会社(渋谷区)
*英語版はこちらから!

 

決してブレない軸

ワールドジャンパー・ローカライザー」の立ち上げは、2012年4月です。それまでは違う形のサービスをご提供させていただいていました。

ただしサービスの内容は違えど、それらを貫いていたのは「多言語コミュニケーション」でした。それは、世界のオンライン人口をにらんでのことでした。英語のネイティブスピーカーは、それらのうちのたった15%、極めて少数派です。一方で非英語圏のオンライン人口は、英語圏のそれをはるかに上回るという研究結果もあります。

にもかかわらず、非英語圏の人同士のコミュニケーションには未だ多くの壁があります。だから私たちは、多言語サービスの開発にこだわってきたのです。

 

世界中にグッズを販売

弊社の創業は2009年です。ただ、その前にも個人的に多言語のオンラインフォーラムを開発していました。10カ国語対応の自動翻訳システムを備えた旅行専門のフォーラムを、2008年にかつての同僚と立ち上げました。これが私たちのサービスの原点です。

私たちは、あるビジネスプランコンテストに応募して優勝。その結果、2010年には複数の投資家からの投資を受けることができました。

その当時、私たちは世界中のアニメファンを取り込もうと考えていました。そこで開発したのが「ワールドジャンパー・ストア」というアニメグッズのオンラインショップでした。完全なBtoCビジネスですが、残念ながら売り上げは決して好調とは言えない状態でした。

 

から国内へ

2011年夏、私たちはRice Forceというスキンケア・美容関連の企業様よりご要望をいただきました。その企業様は投資家からのご紹介からだったのですが、海外展開に苦心されていたRice Force様は、私たちの多言語コミュニケーションシステムを、自社のオンラインマーケティングに活用したいと考えられていました。

Rice Force社内には、英語を話せる方が何人かいらっしゃいました。しかし皆さんは、タイやインドネシアといった非英語圏に自社製品を販売することを考えていたのです。

そのご要望に応えるため、私たちはワールドジャンパーのFacebookアプリを2011年9月に開発しました。日本企業と世界中の人とのコミュニケーションを可能にするアプリですが、この開発を機に、私たちのマーケットは海外から国内にシフトしました。同時に、私たちの顧客は一般消費者から事業者へと変わりました。日本企業の目の前に立ちはだかる言葉の壁を取り払う、そのためのソリューションの提供を事業の柱に据えようと決めました。

 

「ワールドジャンパー・ローカライザー」完成

でも一方で、Facebookアプリはすぐにはビジネスにつながらないから、別の収益源を考えた方がいいという声も聞きました。また、Facebookアプリの市場規模は、ウェブサイトのそれより全然小さいとも言われました。なぜなら全ての企業がFacebookページを持っているわけではないからです。でもウェブサイトなら、持っていない企業を見つける方が難しいくらいですよね。

ある日、偶然知り合ったインド人とオンラインで話していました。そして彼が「今の君たちのサービスを応用して、ウェブサイトを現地の言葉に変換するシステムを作ったらどうだ?」と言いました。私は2011年の冬にインドに飛び、彼に会いに行きました。彼は、私たちの現在のシステムがどのように「ウェブサイトをローカライズする」という彼のアイデアと結びつくかを、図式化して示してくれました。彼はこの分野への参入の必要性を強く主張しました。さらに彼は、その時点でライバルはごくわずかだとも言いました。

言っていることはよく分かりました。しかも私の同僚も同じことを考えていて、私は彼からも説得されました。それで「ウェブ現地語化システム」の開発に着手しました。皆さんのウェブサイトを英語、日本語、韓国語、中国語(繁体/簡体)に自動的に翻訳するシステムです。私たちはビジネスを再び変更しました。

質の高い翻訳システムを開発するために必要な知識とされる、自然言語処理の専門家にも積極的に会いに行きました。また「Gengo」や「ヤックス」といったクラウド翻訳企業と共同で事業を進めております。私たちのサービスを使えば、皆様のウェブサイトがいとも簡単に、素早く、しかも正確に、4カ国語に翻訳されます。

 

 

ニューヨークで多様なチームを結成した理由

私たちのチームは、一人一人がユニークなバックグラウンドを持っています。一人はかつて東京で日本語を勉強していたスウェーデン人、もう一人はアメリカで生まれ育った日本人です。また私を今の道に進ませてくれたインド人は、契約ベースで私たちと一緒に働いています。それは、さながら私がニューヨークにいた頃のようです。

私は以前ニューヨークで会社を起こし、ユダヤ系やイスラム系、日系のアメリカ人と共に仕事をしていました。ニューヨークは街そのものがいろんな文化の寄せ集めのようなところですが、それが私が多様な人たちを雇った背景ではありません。

私のクライアントは、元々はニューヨークにある日系企業でした。私は彼らからウェブ開発を請け負っていました。しかし、日系のマーケットはニューヨークではすごく小さかったのです。ひとたび大企業がこのマーケットに進出してきたら、たちまち私はそこから放り出されるかもしれない状況でした。

だから、日系からアメリカのメインストリームへとマーケットを変える必要がありました。でも残念ながら、私にはメインストリームで顧客を開拓できるくらいの英語力がありませんでした。そのような理由から、まずはユダヤ系の人を雇いました。彼は日本語も少し話せました。私が多様な人種から成るチームを組んだのは、決して崇高なビジョンがあったからではなく、ニューヨークでの生存競争に耐えるためだったのです。

 

仕事選びの難しさ

「日本でも起業は難しいのに、どうやってニューヨークで起業できたのだろう?」と、きっとお思いになるでしょう。しかし、私はそれほど真剣には考えていませんでした。私の日本人の友人が現地で起業していたのを見て「オレの方が上手くやれる!」と思ったから起業した。 ただそれだけでした。

ロサンゼルスにある大学で会計を学び、就職活動の末にニューヨークで職を得ました。本社がロサンゼルスにある、おの卸会社に採用されましたが、すぐにニューヨーク支社勤務を命じられました。

ニューヨークへの赴任直後、私はその会社を辞めました。実際は就職ではなく、OPT(オプショナル・プラクティカル・トレーニング)という、に与えられる就労許可を利用して仕事を探していました。つまり、気になる会社があればそこで仕事をしながら就職するか否かを決めることができるシステムです。そのシステムを通じてお酒の会社で働いていた時に「これは僕のやりたい仕事ではない」と思いました。私としては、ITまたはオンライン関係の会社がより自分に合っていると思いました。ロサンゼルスで学生をしていた時に、その分野でインターンをしたことがあったからです。

そしてようやく、ニューヨークで仕事を見つけました。日本人の留学生向けのニューヨーク生活ポータルサイト「info-fresh.com」の運営会社です。私はそこで9ヶ月間働きました。仕事はとても楽しかったのですが、それ以上続かなかったのは、起業を考え始めたからです。

 

大都会での闘いの日々

ある夜、お酒を飲んで酔っていた私は、ネットで起業関係の広告をいくつも目にしました。「あなたもたった399ドルで起業できる!」酔った勢いで申し込んだのでしょう。その広告を見た3ヶ月後には、起業するためのキットが送られて来ました。取扱説明書には、起業する・しないに関わらず税金が発生するとありました。それなら起業した方がいいと思いました。

それから私は、弁護士に会いに行きました。でも誰もが口を揃えて、自分の会社が自分の就労ビザのスポンサーにはなり得ないと言いました。だけどラッキーなことに、一人だけそれが可能だと言ってくれた弁護士がいました。その人は「もし移民局が書類を通してくれなかったら、私は彼らと徹底的に闘う」とまで言ってくれました。そして彼女の言う通り、私は就労ビザを取得できました。自分の会社が自分のビザスポンサーになることが可能ということが、見事に証明されたのです。

だけど私は「ニューヨークで自分の会社を持ったぞー!」という気持ちにはなれませんでした。だって、会社設立の瞬間から競争が始まり、私はその競争に勝たなくてはいけないわけですから。私の仕事は、日系企業向けのウェブサイトを作ることでした。でも売り上げは芳しくなかった。私は現地で4年間会社を経営し、28歳の時に日本に帰って来ました。ニューヨークでの生活に、ほとほと疲れていました。

 

言葉の壁をビジネスの種に

福岡で生まれ育った私は、まず大学進学のために東京に出て来ました。そしてカリフォルニアに留学に行き、ニューヨークで職に就き、自分の会社を起こしました。こうして振り返ってみても、我ながら流浪の人生だったと思います。

私は新しい場所に引っ越す度に、その環境や言葉、考え方やライフスタイルなどに慣れるに苦労しました。東京では博多弁から標準語に変えるのに時間がかかり、ロサンゼルスでは英語が話せずにマクドナルドのハンバーガーすら買えませんでした。

でもその一方で、様々なバックグラウンドを持った新しい人たちとのコミュニケーションを楽しんだのも事実です。たとえ片言の言葉でも、それが現地の人たちに通じて一緒に笑い合えることがとてもエキサイティングでした。

私たちがこれまでワールドジャンパーの名の下に、試行錯誤を繰り返しながらも”多言語コミュニケーション”という芯をブレさせずに製品やサービスの開発を続けて来れたのは、このような原体験があるからだと思います。今後は翻訳可能言語を増やし、各企業様へのお問い合わせメールなども翻訳対象に加えるなどして、皆様に世界中の人たちとのコミュニケーションをもっとお楽しみいただけるように「ワールドジャンパー・ローカライザー」の機能拡充に努めて参りたいと思います。

 

 

坂西さんは、事業を通して何を実現させたいですか?

グローバルコミュニケーションを楽しいものに
したいと思います!

 

坂西さん関連リンク

ワールドジャンパー・ローカライザー:http://www.worldjumper.com/ja/
八楽株式会社:http://www.yaraku.co.jp/

 

My Eyes Tokyo

Interviews with international people featured on our radio show on ChuoFM 84.0 & website. Useful information for everyday life in Tokyo. 外国人にとって役立つ情報の提供&外国人とのインタビュー

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