中村あやさん

構成:徳橋功
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Aya Nakamura
即興女子

私たちMy Eyes Tokyo(以下MET)がリアルに出会った素敵な”コスモポリタン”をリアルにご紹介するトークイベント「」。第7回目のゲストは、“日英バイリンガル即興コントグループ”パイレーツ・オブ・東京湾” (Pirates of Tokyo Bay: 以下”POTB”)で現在唯一の日本人女性メンバーの中村あやさんです。

METの読者であれば、このグループの名前は一度は耳にしたことがあるかもしれません。今年1月に、当グループのリーダーであるマイク・スタッファーさんをお迎えしての公開インタビューを、MET主催で行わせていただきました(マイクさんとのインタビュー記事はこちらから!)。恵比寿や新宿御苑でのショーでは、英語と日本語で際どいジョークを即興で繰り出しながらステージを作り出していく彼ら。マイクさんは「このグループは、遠く故郷を離れて日本で暮らす人たちにとっての家族のようなものなんです」と言いました。だからでしょうか、コントグループにも関わらず、ある種の”気品”を感じます。

私たちMETは、日本人と外国人が交わる空間を生み出す彼ら”海賊”たちに敬意を払っていました。そしてMET主宰の徳橋はリーダーのマイクさんにアプローチして英語公開インタビューを実現。一方でMET People企画者の山崎千佳は、今回のゲストであるあやさんに関心を抱きました。その背景について、山崎よりお伝えします。

 

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私はPOTBのステージを見る度に、会場のお客さんからいきなり投げられたお題に、アドリブで英語と日本語で答えるという技術に驚きを隠せませんでした。お笑いは世間にいくらでもあるけれど、”+バイリンガル”というのが私にとってはすごく斬新でした。それはまさに、異文化理解力・情報処理力・瞬発力・語学力などといった、究極のコミュニケーション力の宝庫。そして何よりも、言葉の壁も国境も越えて、人を笑わせよう、人を喜ばせようとする。「人の笑顔を見るのが私たちのhappy!」というホスピタリティに溢れています。

そんな即興コメディグループの中で数少ない日本人、しかもコメディエンヌのあやさん。美人のお姉さんから突然おばあちゃんになったり変顔したりして「この人、恥ずかしくないのかな?」とすごく気になりました(笑)。”バイリンガル”というバックグラウンドと、POTBで汚れ役も難なく演じるあやさんの姿に、私は一気に惹かれたのです。そこで思い切って今回の「MET People」のゲストスピーカーをお願いしたら、快諾して下さいました。

あやさんがこれまで歩んできた、私の想像を遥かに超える人生の軌跡を、飾ることなく皆様にお伝えできればと思います。

*インタビュー:山崎千佳
*会場:フロマエcafe & ギャラリー(荒川区西日暮里)2014年5月17日
*撮影:佐久間寛朗
*協賛:セレナイト(詳しくはこちらをご覧下さい)

 

下の下から目指した海外留学

私が地元の公立中学を経て入学した高校は、海外からの帰国子女が多く集まるところでした。当時の私の英語の成績は下の下と言っても良いくらいで、「何でみんな、こんなにうまく話せるんだろう?」と、彼らに対していつも劣等感を感じていました。でも一方で、当時流行っていたNHK海外ドラマ「ビバリーヒルズ青春白書」がすごく好きで、このドラマを吹き替えなしで見てみたい、理解できるようになりたいと思いました。そのうちに「そのためには海外に行ってしまうのが一番早いんじゃないか」と考えるようになりました。

将来の進路を決める高校2年。私は小さい頃からタカラヅカが好きでしたし、叔父が演劇関連の仕事をしていた影響で、海外で演劇を勉強したいと思いました。ただ一口に演劇と言っても、演出家や俳優、脚本家など様々な仕事があります。日本だと将来の道を決めてから専攻を決めなければなりませんが、海外だとあらゆる科目を学びながら専攻を考えることができる。だから私は海外の大学を目指しました。

親の反対や経済的危機を乗り越えて、晴れて米オハイオ州クリーブランドにある大学に入学。でも現地では、相変わらず英語が話せませんでした。「勢いで来てしまったものの、本当に英語がうまくなるんだろうか?」と不安になりました。最初の1~2年は全然英語力が伸びず、親に電話をかけては「しゃべれねえ!(会場爆笑)何でアメリカに来たのにこんなにしゃべれないんだろう?」とボヤいていました。

それでも私には”演劇を学ぶ”という、その先の目標がありましたから、私はひたすら大学と図書館と自宅を往復しました。人と話す時も、とにかく単語をつなげて思いを伝えました。あの時期は”これまでの人生で一番勉強した”と自信を持って言えます。

 

”アジア人”は不利?

クリーブランド時代は、舞台に立ったり舞台裏を務めたりといろいろやりました。そして私は、ダンスや演劇で舞台に立つのが一番好きなんだと感じました。

そんな中、ニューヨークのミュージカル学校のオーディションがクリーブランドで行われるという知らせを、私の先生から聞きました。その学校は、世界中から各国のトップクラスのパフォーマーが集まるところでしたが、面接・演技・課題曲を練習してオーディションに臨み、その学校に合格しました。

大学では、発声方法やコミュニケーションなどの舞台の基本は学びました。でもミュージカルでは歌・踊り・演技のどれか一つが欠けていても良いミュージカル役者とは言えません。私が新たに入学したニューヨークの学校では、それら3つを毎日繰り返し練習しました。幸いなことに私は小さな頃からバレエをやっていたので、ダンスは多少楽でしたが、歌に関しては最後まで大変でした。しかも私はアジア人ゆえに、不利な状況に立たされました。

今でこそ”オープンキャスト”と言って、白人の役をアジア人や他の人種が務めることは稀にあります。でも反対に”タイプキャスト”という、例えば”アジア人””黒髪””黒目””身長155センチ以上””細身”と特徴が決まった役柄があります。それはオーディションを受ける前に分かるので、もしその役柄に自分が合わなかったら、オーディションに行ったところで99.9%落ちます。私がその学校にいた間にあった、アジア人も対象になるオーディションは10以下だったと思います。しかもアジア人役は、韓国系や中国系などの人たちとの競争ですし、ましてアジア人で主役なんてブロードウェイではまずありませんから、脇役だったりチョイ役が良いところでした。それでも、たとえ”170センチ以上”の役柄でも、アジア人役のオーディションは行きました(笑)でもダメなんですよね・・・オーディション会場に行ったら「はい、あなたとあなたは帰って」と、名前を言うチャンスさえくれませんでした。

それでもあきらめずにオーディションを受け続ける日々が、3〜4年続きました。そんな中で、日本の忍者や侍が登場するミュージカルや、”ストレートプレイ”という歌のない舞台に出演するチャンスをいただきました。


モダンダンスプロフェッショナルコース卒業公演のリハーサルにて
2009年6月

 

突然襲った病

私は、ほとんどホームシックを感じませんでした。海外での生活が楽しくてしょうがなかったんです。周りの人たちもすごく良い方ばかりで、何も文句はありませんでした。それに、寂しいという感情が出る暇もないくらい、目の前に積まれた課題をこなすのに一生懸命だったのも事実でした。アジア系にもチャンスのあるバックダンサーに活路を見出そうと、モダンダンスのレッスンを受けました。

そんな矢先、体調を崩しました。

他の人たちが元気に踊っている時に、自分だけ踊れない。「何かおかしいな」と思いました。それでも「今までストイックに頑張り過ぎたから、疲れがたまったんだろう」と思ってそのまま生活を続けていました。私はそれまで病気にはほとんどかからず、骨折もしたことがない、自分で自慢できるほどの健康体でした。不正出血がありましたが、忙しかったりストレスがたまると生理が遅れるから、それなのだろうと思っていました。

その状態が1ヶ月以上続いて、いよいよ「これは本当におかしい」と思い、病院に行きました。初めに近所の婦人科系の病院に行って検診を受け「大きな病院に行きなさい」と言われました。私はすぐアポを取り、大学病院で検査を受けました。

”子宮頸がん”でした。

しかもかなり悪いステージまで進行していました。初期のステージなら、割と簡単にがん細胞を取り除くことができるのですが、私の場合は子宮の外側にもがんが広がっているかもしれない状態。「すぐにでも治療しないと危険」という状況でした。

家族は日本にいるし、持っていた保険ではとてもカバーできる治療費ではない。アメリカではすごく医療費がかかります。だから私は、日本に帰ることにしました。しかも迅速な対応が必要だったので、荷物をニューヨークに置きっぱなしで帰国しました。ニューヨークの大学病院が紹介してくれた日本の病院に、姉がすぐにアポを取りました。両親が慌てる中、気丈にも姉は、私が帰国する前に全ての手続きをしてくれました。そのおかげで、私はすぐに入院することができました。


治療のため日本へ帰国する前日、友人たちと
2009年8月

 

闘病中の出会い

一番生存率が高まる治療法として、アメリカでは抗がん剤+放射線がスタンダード治療として確立していました。しかし日本での私の担当医師は私がまだ若いことを考慮して、抗がん剤のみの治療法を提案してくれました。抗がん剤だけでの治療はスタンダードではないから、あくまで「そういう選択肢もある」ということでしたが、アメリカでは一切言われないことでした。私も、そのような選択肢が与えられるなら、放射線なしで治療を受けてみようと思いました。抗がん剤治療は、効果のある人もいればそうでない人もいるとのことですが、自分でそれを受けると決め、医師にその気持ちを伝えました。

まずは抗がん剤の投与を3回受け、それでもし腫瘍が取り除けるほどに小さくなったら手術をする、もしそれでも小さくならない場合は抗がん剤の投与を続けるということになりました。

幸いなことに、投与を始めてから3ヶ月で、手術ができるくらいにまで腫瘍がキューッと小さくなりました。本当に抗がん剤が効いてくれて、担当医師も「奇跡だ」と驚いていました。そして子宮全摘出の手術に臨み、手術後も転移の可能性のあるがん細胞をやっつけるために、抗がん剤の投与を続けました。

抗がん剤には、吐き気など強い副作用がありました。それまでダンスなどを活動的にしていたのに、投与を受けてから最初の1週間は、起き上がるのがやっとでした。でも焦りはありませんでした。「今はこの治療に専念して、良くなりたい」と思って、体調が良くなったらやりたいことをたくさんリストアップしました。ニューヨークに帰ることも頭をよぎりましたが、とにかく今は体力回復に努めようと思いました。さらに当時は日本で友達が全くいなかったから、社会とつながりたかったし、英語力もキープしたかった。人との交流を持てて、英語力も維持できる、そんな活動を探していたところ、あるグループに出会ったのです。

 

社会とのつながり求め”海賊”に

ある日Facebookを見ていると、たまたま見た英語関連のページで告知が目に留まりました。「東京にある即興コントグループが、オーディションを行います!」。”即興コント”が何なのかすら知りませんでしたが、応募要項に”舞台に立ちたい人””人とのコミュニケーションが好きな人(英語力があれば尚可)”とあり、「これはいい!」と思って日程を見ました。何と翌日でした。

当時の私は帽子とマスクをして近所のスーパーに買い物に出かけていたくらいで、オーディション会場のある渋谷まで行く体力があるか分かりませんでした。でも告知を見た時に「行こう!」と思いました。何となく楽しそうだし、オーディテョンに受かろうという気持ちもなく、あったのは「これが社会と再びつながるきっかけになればいいな」という思いだけでした。

「外国の方ばかりで、大丈夫なの?」という心配性の母(笑)をよそに、私は渋谷に赴き、オーディションの門を叩きました。地下のバーという怪しさ満載の会場でしたが(笑)来ていた人たちは楽しかったので一安心。でもオーディションは3時間の長丁場、立っているのもやっとだった私はいろんなゲームをし、いろんな役柄を演じました。結果として約20名の応募者のうち、私を含む6人が選ばれ、晴れて私は”海賊”になりました。”パイレーツ・オブ・東京湾”(Pirates of Tokyo Bay, POTB)という即興コントグループの一員になったのです。


パイレーツ・オブ・東京湾での最初の練習日
2010年9月

 

みんなの笑顔が私の喜び

先ほども申したように、私は”即興コント”の意味を知りませんでした。グループの一員になったは良いものの、稽古では何も設定が無いまま、とにかく「やれ!」と言われる。それに違和感を感じました。稽古に行きたくなかったんだけど、それでも毎週行きました。そうするうちに楽しさを覚える瞬間が出てきて、少しずつPOTBの舞台に立つ機会が増えてきました。そして仲間も増えました。

舞台では時々、他のメンバーが即興で繰り出す、本当にアメリカで生まれ育った人でなければ分からないような英語のジョークに戸惑いそうになります。でも私がそれを自分流に解釈してリアクションすると、笑いが生まれたりするものです。

私が舞台に立つ理由。それは「人の笑顔を見るのが私の喜び」だからです。私が舞台の上で何かをやることで、それを見た人が楽しんでくれる。笑ってくれる。だからむしろ、舞台にいる私たちこそが、お客様から”元気を与えられている”のです。

それにPOTBでの活動は、今だからこそ言えることかもしれませんが、私にとって一種のリハビリだったと思います。嫌々ながら稽古に行っていたけど(笑)実際に行くと私は笑っていたし、稽古が終わると「楽しかったな~」と素直に思えた。”笑い”と”癌”は対極のようでいて、実はつながっているんじゃないかと思いましたね。


底抜けに明るい”海賊”たちと共に、皆さんに笑顔を届けています。

 

癌からの贈り物

今でも治療は続いています。毎月1回、大学病院で血液検査も受けています。でも私は、本業であるフィットネストレーナーの仕事で、1回60分のレッスンを1日に5本担当したりします。気力や体力は、もしかしたら皆さんよりもあるかもしれませんね(笑) 私は、癌にかかったことは全然悪いことだとは思っていません。むしろ”Cancer gift”と言って、癌にかかったからこそ見えてくるものがあったり、自分の命と向き合う時間ができたりしたことで、自分の生き甲斐や、自分が本当に取り組んでいきたいことについて考えるようになったのです。

これからは、現在癌にかかっている人たちに、体力面や精神面で、自分が知らなくて困ったことなどをシェアさせていただければと思っています。それは決してPOTBとは無縁ではありません。昨年(2013年)10月には”Over Cancer Together~がんを共にのりこえよう~“というキャンペーンに、POTBが協力団体にならせていただきました。

これからは”笑い”と”癌”をお互いにつなぎ合わせるような活動もしていきたいと思いますね。

METから・・・

ご自身の人生の軌跡、特に闘病さえも明るく、しかも笑いをとりながら語ってくれたあやさん・・・まさに生粋のコメディエンヌだと実感しました。

そして最大の敬意を込めて”ネアカ”な方だと言いたいです。

苦手な英語に向き合い、ストイックに夢を追い、立ちはだかる壁を越えていこうとし、そして実際に越えてきた強さと明るさ。ご自身に与えられた試練を”ギフト”としてとらえるその真のポジティブな生き様に感動を覚えます。

これからも、日本中に、いえ、世界中にポジティブでハッピーなメッセージを伝えていってほしいと思います!

 

あやさん関連リンク

パイレーツ・オブ・東京湾ウェブサイト:piratesoftokyobay.com
Facebookページ:facebook.com/TokyoImprov
ジャパン・フォー・リブストロング:japanforlivestrong.org/
(あやさんがボランティアでフィットネスリーダーを務める、癌を抱えて生きる人々の支援団体)

 

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マイク・スタッファーさん(即興コントグループ”パイレーツ・オブ・東京湾”リーダー)
MET People – session #1 「美しいがん患者でいよう」イベントレポート(さとう桜子さん)

 

One thought on “中村あやさん

  • 2014/10/21 at 07:44
    Permalink

    Cancer Giftなどというのものは、生き残ったからこそ言えることです。私自身もサバイバーですが、はっきり言えることは命をかけての闘病から得るものなど、そのリスクを考えると取るに足らないものだということ。
    だれもが余命5年以上あるわけではありません。中には1年未満で小さい子供のいる患者さんもいる。
    いくらでも自分自身の中で癌から教えてもらったことがあると思うのは良いと思いますが、不特定多数のみるメディアで言うと、そういう厳しい状況にいる人たちを傷つけるということを覚えていて欲しいです。
    癌患者と関わって行こうと思っているなら尚更です。

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