どんなに離れても必ず一つに – 寿司が紡ぐ姉妹の絆

インタビュー&構成:徳橋功
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本間志穂美さん&アールト亜祐美さん
板前/寿司教室講師

 

寿司は日本そのもの。日本文化だけでなく、日本そのものを代表するものだと思います。

 

(※特集からの続き記事です)
先にご紹介した寿司教室、実は大変珍しいのです。というのも、女性の板前さんという存在そのものが極めて少ないからです。私たちMy Eyes Tokyo(以下MET)は10年近く前、板前さんが全員女性という寿司店「なでしこ寿司」を取材しましたが、それ以来、女性の板前さんには出会ったことはありませんでした。

そこへ、この寿司教室「Japan Cross Bridge」の情報が飛び込んできました。METが最も惹かれるのは、活動の独自性。ただでさえ希少な女性の板前である上に、その板前さんが双子の姉妹で、しかも日本語のみならず英語でも(今後はフランス語でも?)指導するという、他に全く例を見ない教室であることがMETの好奇心をくすぐりました。

クラスを終えた後、私たちは先生である本間志穂美さんとアールト亜祐美さんに、世界でも類のない非常にユニークな寿司教室を開講するまでのストーリーをお聞きしました。

*インタビュー@Japan Cross Bridge(目黒区)
*撮影:土渕正則
*英語版はこちらから!
英語版校正:ダニエル・ペンソ

 

スキル、知識、経験、全部乗せ

志穂美:私たちは今年(2018年)初めにこのクラスを始めました。開講前、私たちはスイスのジュネーブや東京で計10年の板前経験を積みました。亜祐美が2016年に子どもを身ごもるまで、虎ノ門の日本料理店で一緒に働いていたのです。

亜祐美:そう、私がお店を辞めた後、志穂美も私の後を追うように辞めました。

志穂美:私一人がそのお店で働くことは考えられませんでした。なぜなら私たち二人はいつも一緒でしたから。それに私自身、何か違うことがしたかった。私は自分の人生を変えたかったんです。それで私は英語とパソコンを勉強しました。もちろん私は英語を話せましたが、英語の先生になりたかったのです。さらに将来2人でビジネスするときに備えて、ウェブサイトの作り方を学びました。その時は私たちの次のプランを考えていませんでした。自分たちのレストランを持つことも考えましたが、東京は極めて競争が激しい。せっかくお店を持ってもつぶれるリスクが高いと思い断念しました。


本間志穂美さん

そして去年、私たちはこの事業を立ち上げました。外国人向けの寿司クラスというアイデアを思いついたのは、これまでに私たちが培った技術や知識、得た経験全てを活かすことができると思ったからなのです。

 

姉妹 別々の道へ

亜祐美:私たちの経歴をご覧になった皆さんは「スイスで板前!?」と、きっと思われたことと思います。でも私たちでさえも、そんなことになるなんて全然思っていなかったのです。スイスに引っ越す前、私は新潟県内にある市の市役所に勤めていましたが、公務員として10年以上働くうちに、仕事も人生も変えたいと強く思うようになりました。故郷で人生を終えたくなんかない!という思いで、私は職場を辞め、オーストラリアに飛びました。1年の滞在を経て、英語でのコミュニケーションに自信をつけて帰国しました。


アールト亜祐美さん

その後私はスイスのジュネーブに住んでいた友人に会いに行き、そこで話されている言葉に惹かれました。ジュネーブはフランス語圏で、英語を話す人は少なかったので、私はフランス語を学ぼうと思いました。フランス語は私にとって全く新しい言語だったから、まるで赤ちゃんに戻った気がしました。新しい言葉を覚えるのがとても楽しかったですね。

フランス語を勉強しながら、私はジュネーブにある日本料理屋さんで働き始めました。私は小さい頃から料理が好きで、大きくなってからは時々懐石料理を作って友人に出していました。それでも料理の世界に入ることなんて考えたことがなかったのですが、レストランではとっても楽しく仕事していました。オフィスワークに比べて体を動かすことが増えましたが、それが好きでしたね。

志穂美:私の社会人生活は新潟県庁から始まりました。5年間の契約職員として勤務した後、英会話スクールに転職。大学では英語専攻だったにも関わらず、英語を話せなくて、自分の語学能力に自信が持てなかった。だから英語の環境に身を置くことで、語学スキルを伸ばそうと決めたのです。私は新潟と東京 – 東京で仕事をすることも私の夢でした – にある複数の英会話スクールに勤務しました。

その間も私は時々亜祐美に会いにジュネーブに行きました。私はジュネーブが好きになり、住んでみたいと思うようになりました。

 

同じ道を歩みだす

亜祐美:ある日、私はお店から「誰か板前として働ける人はいないか?」と聞かれました。一人、お店を辞めることになったからです。私自身はすでにホールスタッフのチーフになっていたため、その人の後を継ぐことは無理。そこで私は志穂美に声をかけました。なぜなら私は、いつか彼女と一緒に海外で暮らしたいと思っていたからです。東京に寿司づくりが学べる学校があることはすでに知っていたので、そこの集中コースで学んでみたら?と志穂美に提案しました。お店のオーナーは、すぐにでも板前が必要でした。そこは小さいお店でしたが、ジュネーブには良い日本料理店がわずかしかなかったので、とても忙しかったのです。

志穂美:亜祐美が私にお店に来るよう頼んできたとき、私は二つ返事でOKしました。だって私は亜祐美と同じく料理が大好きでしたから。私はフレンチとイタリアン – 和食ではなかったんですけどね(笑)- を作るのが好きで、時々友人を家に招いてコース料理をふるまっていたほど。それに私はすでにジュネーブの雰囲気を知っていました。だから彼女の誘いに乗ったのです。

私は東京の寿司スクールで1か月の集中コースを受けました。極めて短期間でしたが、毎日学校に通って寿司づくりの基本を学びました。

ジュネーブの料理店に入った後、私は寿司や刺身、玉子焼き、そのほか和食メニューの作り方をさらに深く学びました。亜祐美が言ったように、お店はランチもディナーも忙しかったのですが、全てのお客様に料理を提供できるほど早く作ることができなかったのです。私は早朝から深夜まで全力で働いたので、板前としてすごく辛い時期でした。立っていられなくなるほど肉体的に疲れ果てたこともあれば、精神的なストレスから泣いたこともありました。でもオーナーが「君ならきっと板前になれる!」と励ましてくれたおかげもあり、お店に入ってから約1年半後、お店でただ一人の板前になりました。その頃には忙しさにも慣れ、一人で全ての作業を手際よく行うことができました。でも手は2本しかないので、結局お店を辞めるまでハードな日々は続きました。

でも誤解しないでくださいね。私は「ジュネーブに私を呼び寄せさえしなければ、こんなに忙しい日々を送ることなんてなかったのに!」などと亜祐美のことを責めたことは一度もありません。私は亜祐美とジュネーブでの仕事や生活を心底楽しんでいました。私たちはいつも一緒だった、だから困難を乗り越えることができたのです。

 

悔しさと喜びと

志穂美:私がジュネーブに来てから3年後、私たちは日本に帰国することにしました。それは外国人である私たちにとって、ジュネーブでのアパート探しがとても大変だったからです。

亜祐美:そのうえ、ジュネーブのお店のオーナーが引退し、他の人に後を引き継ぐことになり、お店の方針も変わるかもしれないという話が出ました。それも日本への帰国を決めた理由です。

志穂美:帰国後、ちょうど東北から東京に進出したばかりの、活魚専門の和食店に2人で板前として働き始めました。私たちは板場(刺場)を任され、活魚をさばき、刺身を作り、寿司を作りました。約240席もの席数を誇る大きなお店でしたが、メインメニューである刺身や寿司、活魚料理を作る刺場の板前は私と亜祐美の二人だけでした。

亜祐美:そのお店のお客さんの9割が、そのお店のある虎ノ門付近の官公庁などに勤める男性でした。それゆえに私たちは東京のお店にいた間、多くの日本人男性が持つ”偏見”にさらされました。

日本では、板前は男性の仕事だと考えられています。多くのお客様 – その大半が男性 – が、魚をシメたり寿司や刺身を作っている私たちに「いつになったら板前になるの?」と聞いてきました。その度にがっかりしましたね。

若い男性店員が私たちのアシスタントとして入った時さえ、お客様は彼が板前で、私たちは彼から寿司つくりを学んでいるものだと思い込んでいました。彼は寿司が作れなかったにも関わらず、です。

志穂美:そのようなことがありましたが、虎ノ門のお店ではとても充実した日々を過ごさせていただきました。そのお店では活魚を調理してお客様に提供していたため、私たちは大きないけすに上って魚を網で取り、生きたままシメていました。出刃包丁を魚の尾で飛ばされないよう常に緊張を要する、それはそれは体力勝負の仕事でしたね。

亜祐美:ジュネーブのお店で扱う魚の種類は数少ない限られたものでしたが、虎ノ門では豊富な種類の魚の仕入れを任されました。また同時にメニュー考案も任されたため、原価を計算しながら仕入れる魚やメニューを考えました。いずれもジュネーブ時代には経験しなかったことです。

志穂美:ジュネーブ時代があったからこそ、虎ノ門のお店で働かせていただくことができましたし、また虎ノ門で様々な仕事を任され、経験させていただけたからこそ、寿司つくり教室を妹と二人でさせていただけているのだと思いますね。

 

寿司の先にあるもの

亜祐美:私たちは2人とも外国人と結婚しているため、夫との日常会話は英語です。でも英語をもっと使いたいし、日本文化を外国から来た人たちに伝えたいのです。寿司だけでなく書道や和楽器、着物など・・・私たちは日本文化がすぐそばにあるような環境で育ち、書道の先生だった祖父母から10年以上書道を学んでいたこともあります。そのうえ、私たちの母は琴や三味線を教えていました。


志穂美さんの筆による美しき作品

それに私は子どもの頃から、筑前煮やきんぴらごぼうなど寿司以外の和食も好きでした。一方で志穂美は、いつも焼き鳥のことを話しています(笑)そのようなお料理の作り方も教えてみたいですね。

志穂美:そしていつか、田舎にある古民家で教室を開けたら良いなと思いますね。

 

お2人にとって、寿司って何ですか?

志穂美:寿司は日本そのもの。日本文化だけでなく、日本そのものを代表するものだと思います。

私はこのクラスを始める前、日本料理店で働いていたにも関わらず、寿司のことをあまり知りませんでした。寿司の歴史、寿司の種類、寿司と他の食材との関係性など、料理店で働いていたころよりも、今のほうがむしろ寿司について学んでいるくらいです。それはクラスに来る人たちに教えるため。寿司の起源や、なぜ寿司は””と呼ばれているのかなど、クラスを立ち上げてから考えるようになったのです。

そして私は日本に目を向け始めました。昔の私は海外ばかりに目を向けていましたが、今は寿司を通じて日本を見ています。おかげで日本の良さが見えてきました。

私にとって、寿司はただの食べ物ではありません。寿司は日本に向かって開かれている窓なのです。

 

亜祐美:寿司は私が夢中になっている食べ物です。

板前として働き始める前から、私は「いつもお寿司を食べていたい!」と毎日考えていました。しかし板前になってからは、私は常に寿司を”感じて”いたいと思うようになったのです。寿司を作り終わった後は、寿司を食べたくないとすら思ったことがあるくらい。食べなくても良い、私は毎日寿司に触れ、寿司を感じていたい!と本気で思っていました。だからお店がお休みになると、心の中で寿司を求めていたほどです(笑)こうなると、もはや”寿司中毒”ですね(笑)

そんな私は”寿司ホリック”です!(笑)

亜祐美さんの愛娘・愛理(まり)ちゃんと一緒に

 

志穂美さん&亜祐美さん関連リンク

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