為末大さん @ GTIC ③ 世界で勝つということ

取材&構成:徳橋功
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どういう道を歩んでいくかで
過去の”失敗”の意味は変わる。

 

侍ハードラーこと為末大さんによるスーパープレゼンテーション『世界陸上選手権 銅メダルまでの軌跡 & 競技人生の中での葛藤』。最後の第3部は「世界で勝つということ」です。一度勝ったら人生バラ色・・・と思っていたら目の前にどんどん高い山が待ち受けていた – それが世界に足を踏み入れたアスリートの宿命だと為末さんは言います。その過酷な運命を受け入れ、さらなる試練に挑んだ為末さんが掴んだものは何か?スーパープレゼンの最終章です。

**為末大さん
2001年世界陸上エドモントン大会・2005年世界陸上ヘルシンキ大会の男子400mハードルにおいて銅メダル獲得の快挙を達成。またオリンピックには、2000年シドニー・2004年アテネ・2008年北京と、3大会連続出場。2001年世界陸上は、五輪・世界選手権を通じて日本人初の短距離種目の銅メダル獲得の快挙。
現在はスポーツコメンテーター・タレント・指導者などで活動中。株式会社R.project取締役、一般社団法人「アスリートソサエティ」ボードメンバー。

*写真提供:

 

第2部からの続き)

メダリストからどん底に

その後、私は有名人になりました。どのくらい有名人になったかと言うと「徹子の部屋」に出演させていただいたくらいです(笑)元々「スターになりたい」と思って競技をやっていたので、本当に最高の気分でその年(2001年)を過ごしていました。テレビなどでは「素晴らしい成績でした。銅メダルおめでとうございます」からインタビューが始まったりしました。

しかし年をまたぐと、質問が変わりました。「去年は素晴らしい結果おめでとうございます。さて、今年は何色のメダルですか?」。私は何とかして世界3位の銅メダルを獲ったのですが、世間の期待には”慣性の法則”が働きますので、良い時はさらに良くなるだろう、悪い時はさらに悪くなるだろうと、当然スポーツの世界に対しても思われるわけですね。銅メダルならその次は銀、銀を獲ったら次は金・・・というふうに思われていたのですが、こうした世の中の評価と、実際に自分ができることに大きな差ができていくことを、この時に感じていました。

そして徐々にその”差”がトレーニング内容にも表れました。金メダルを獲るための練習をして、無理をしたらケガになって返ってくる。そんな感じでどんどん調子を崩して、スランプにはまっていきました。その前まで思っていたのは「メダルさえ獲れば自分の人生は全て報われて、その後はハッピーになる」ということでしたが、メダルを獲ったらまた新たな目標ができるわけです。「あの山の山頂まで行けば、自分は報われる」と思うんですけど、山頂から見えていたのが次の山頂なんです。さらにその向こうにもどんどん高い山が見えている。つまり現役で居続けるというのは、ずっと山登りをすることなのだ、と思いました。それから「山頂に到達するために頑張る」という世界から「どうやってこの山登りを続けていくか」ということに自分の意識がシフトしていきました。

 

「市場価値なき者に出す金は無い」

そしてもう一つ、この時に思ったことがあります。カリブ海の選手が私といつも競走していたのですが、彼が毎回私に先んじてゴールしました。私が4位の時は3位、私が5位の時は4位で、それが悔しかった。でも彼とは仲良くなっていたので、いろいろと話をするようになりました。その中で彼が言っていたのは「僕は故郷に家族が残っていて、夏に稼いだ賞金で – 陸上の賞金は多くても数十万くらいですが – 家族を食わせているんだ」でした。

もしかして自分は、賭けるものが小さいからスランプにはまっているのではないか、と思うようになり、だんだんやるせなくなって、結果として会社を辞めてしまいました。この当時は”大阪ガス”という会社にいて、お給料をもらっていたんですね。でもそれが自分の覚悟の無さにつながるのではないかと思い、プロに転向しました。

ちょっと下心もありました。「メダリストなら、スポンサーはたくさん付くだろう」と思っていたのですが、実際には全然付きませんでした。スポンサー探しも苦労して、中には面と向かって「君の今の値段は・・・」と言って提示された契約書には”0円”と書いてあったことがありました。その代わりインセンティブは付いていて、もう一度メダルを獲った時の契約金も書いてありました。その時にスポンサーに言われたのが「2年前の君は有名人だったけど、今の君のことを知っている人はほとんどいないんだよ。我々は商売をしているので、市場価値が無いものにはお金は出せないんだ」ということでした。

 

全てを捨ててゼロに戻る

その時は悔しい思いで家に帰ったのですが、どこか自分の中にあった「僕はメダリストで、世の中にとって価値ある人間なんだ」というプライドの最後のかけらさえも無くなったような気がしました。悔し涙は流しましたが、逆に言えばこれで全部無くなったから、もう一度1から積み上げればいいんだという妙な清々しさを覚えました。次の日からはすごくスッキリした気分で、自分の生活をゼロにして、学生の時と同じような安いアパートに住んで、そこから頑張ろうという気持ちになりました。

アスリートの苦しみの多くが、実は”なりふり構わない自分に戻れない”ということに影響されます。あの時輝いていた自分が忘れられなくて、今の”こんなものでしか無い自分”を受け入れられないという悩みが、アスリートの中で非常に多いのです。しかもこれは、過去の成功体験にかなり比例してしまう。それが厄介なわけです。あんなことを達成した自分だから、こんな惨めなことなんて受け入れられない、という落差に耐えられなくて、本当にどん底からやり直せば抜けだせられるはずのものが、なかなか抜けられなくてStruggle(格闘)するという例が結構多いです。

私自身もそのような側面が強かったんですけれども、本当に最後、もう無くても良いようなプライドを大事にしながら行きていったのだと思うと、今となればそのスポンサーさんからの一言は有り難かったと思います。

 

人生2度目のメダル

そして2004年はアテネオリンピックにチャレンジしましたが、100分の2秒差で決勝に行けず、準決勝で敗退しました。ただプロなので賞金を稼がなければならず、その翌年の2005年に、フィンランドの首都ヘルシンキで行われた世界陸上に出場、カナダ・エドモントン大会から4年ぶりに決勝に進出しました。これがその時の映像です。

<2005ヘルシンキ世界陸上 男子400メートルハードル>

実はこのレースで、私は8位で準決勝を通過したので、一番後ろのタイムで通過しているんですね。なのでメダル獲得は到底難しいと言われていたのですが、意外にもメダルを獲ってしまったので、実況アナウンサーも興奮して「金メダル!」と言ってしまったんですけれども(笑)そんなレースでした。見てもお分かりの通り、悪天候だったんですね。雨が降って、風が強く吹いていて、おまけに決勝に残った選手たちは、みんな若い選手が多かったんですね。私と最後に競り合った選手は19歳のアメリカの選手でした。

若い選手が悪天候に直面した時に、どういう心理状況になるのか、というのは私は身にしみて分かっていました。それはシドニーオリンピックの時に、当時は雨はなく風だけでしたが、私はどういうふうにして良いか分からないままスピードを飛ばしてしまい、転倒してしまったというのが私の経験でした。そんなことは一番やりたくないわけです。転倒というのはハードル選手にとって一番嫌なことなので。
そうするとどんなレースが良いのかと言うと、比較的転倒するリスクがあることをするよりは、イーブンペース(同じペース)で1周グルッと回って、最後の直線で残ったエネルギーを出すことです。私自身も、もしシドニーの予選を走れるならそういうふうに走ろうと思っていました。

反対に、レースで他の選手にやられたくないことは何かと言うと”かっ飛ばされること”なんですね。ハードルというのはスタート地点からハードルまでどの選手も同じ位置にありますが、スタートしてハードルを超えた瞬間に、相手から何歩遅れているかが分かり、それにより自分がどのくらい出遅れているかが分かってしまうわけです。レース中、僕は他の選手に背中を見せられる位置にいたのですが「もうチャンスは無い」と思い、スタートして1台目のハードルを超えた瞬間に、他の選手に1度で良いから焦ってほしいと思いました。ハードル選手は焦ると、ピッチが速くなったりストライドが大きくなったりと選手の癖が出てしまい、そうなるといつも足を踏む場所に足を合わせられなくなります。そうすると高く飛んだり、ハードルの前でチョコチョコと足踏みをしたりし、結果的に体力を消耗します。

だから1台目のハードルでしか他の選手を焦らせるチャンスは無いと思い、スタートから1台目までは思い切りかっ飛ばして、残りはいつものペースで走るという作戦を、この時に取りました。それが上手くいったのかどうかは分かりませんが、結果的に5人抜いて3位に入り、銅メダルを獲ることができました。

 

その後の生き方が”失敗”の意味を変える

何が言いたいのかと言うと、シドニーでの転倒はそれまでは人生での”失敗”だと捉えていたのですが、ヘルシンキの決勝が終わった時に「あのシドニーでの経験が無かったら、果たしてこのメダルを獲れていただろうか?」と思いました。失敗と成功はそこまで切り離されていて、それぞれが別個のものなのだろうか?というのが、この頃に僕の中に生まれたアイデアです。なので成功も当然、失敗のタネになりますが、失敗も成功のタネになると思います。成功か失敗かを決める唯一のものは「その後、どんな姿勢で人生を生きていくか」だと思います。どういう道を歩んでいくかで、過去の”失敗”の意味は変わるのではないかというのが、この時に学んだことです。

25年の競技人生は「失敗したから成功した」「成功したから失敗した」という浮き沈みの歴史でした。でも唯一「世界一になるんだ!」という思いで何かにコミットし続けると、時々神様が過去の失敗を生かすチャンスを与えてくれて、そのチャンスを掴めるかどうかというのが私の競技人生ですごく大事なことでした。そしてそのチャンスが2回来たのではないかと思っています。
これで、講演を終わりにしたいと思います。ありがとうございました。

 

この後、アスリートと投資家のガチンコトークバトルへと続きます。
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