王勇氏 国際交流基金賞 受賞記念講演会「此の時、声無きは声有るに勝る-東洋的文化交流のスタイル-」
取材&構成:徳橋功
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学術、芸術その他の文化活動を通じて、国際相互理解の増進や国際友好親善の促進に、長年にわたり特に顕著な貢献があり、引き続き活動が期待される個人又は団体を顕彰する「国際交流基金賞」。
43回目を迎えた今年は、王勇氏(中国)、冨田勲氏(日本)、シビウ国際演劇祭(ルーマニア)に授与されました。その中から、まずは王勇氏による講演「此の時、声無きは声有るに勝る―東洋的文化交流のスタイル―」のもようをお伝えいたします。
王勇氏は浙江工商大学東亜研究院院長/教授であり、中国の日本研究と日中間の文化交流の発展に半生を捧げてきました。中でも王勇氏が着目したのは、日中間の文化交流がシルクよりも書物を通じた知的交流が特徴的であったこと。王勇氏はこれを「シルクロード」になぞらえて「ブックロード」と名付けました。
物資の交流を主とする「シルクロード」に対し、知的交流をメインとする「ブックロード」。西洋の聴覚コミュニケーションに対して東洋の視覚コミュニケーション – それぞれを対置した上で、白居易「琵琶行」の詩句「此の時、声無きは声有るに勝る」を借りて東アジアの筆談の特徴を表現しました。
講演@国際交流基金本部(2015年10月22日)
撮影:Kenichi Aikawa
*王勇氏によるご講演を、内容を要約させていただきご紹介いたします。
「ブックロード」と「筆談」
中国から西域を経てヨーロッパに通じる道を「シルクロード」と呼ぶ一方、中国と日本をつなぐ道は「海のシルクロード」と呼ばれることがあります。しかし、それは本当でしょうか。
唐を代表する詩人である王維は、中国と陸続きである西域の間に存在する地理的な近さと心理的な遠さを「送別詩」で詠いました。一方で同じく王維は、奈良時代に遣唐使として中国に渡った阿倍仲麻呂への別れの詩の中で、中国と日本との間にある地理的な遠さと心理的な近さを表しました。
これらの違いは何によって生まれたのだろうか – その疑問が「ブックロード」という概念を生み出すきっかけでした 。
日本が中国に書籍を求める動きは、遣隋使の時代にすでに起きていました。その後、先述の阿倍仲麻呂などに代表される遣唐使が唐に派遣されますが、遣唐使は日本から、当時東アジアで通貨として流通していたシルクを携えて唐に渡りました。そのシルクは日本製だから、その対価として中国製のシルクを持ち帰っても、何の意味もありません。そこで遣唐使たちは、唐から本を持ち帰ります。だから私は、中国から日本に至る道を「ブックロード」と名付けたのです。
西洋は中国にシルクを求め、日本は中国に書籍を求める – このような東西の違いは、それだけに留まりません。中国との交流の仕方も異なっていました。その典型が「筆談」です。
「千年の筆談史」
飛鳥時代に遣隋使として中国に渡った小野妹子をはじめ、千年におよぶ中日交流の歴史の中で、筆談は数多く行われました。中にはお互いが会話ができるにもかかわらず、筆談が用いられたケースもあります。また、詩を交わすなど文学的なコミュニケーションをするために、筆談が用いられたこともあります。さらに筆談は、結果的に交流を記録・保存することにもなりました。
筆談は近代になっても続き、1871年(明治4年)の中日修好條規(日清修好条規)でも行われました。同条規の第6条には「両国の交渉には漢文を用い、和文を用いるときには漢文を添える」とあります。この場合の「漢文」は中国語ではなく、東アジアの言葉という意味ですが、ここにも古来より伝わる筆談が生かされました。
しかも筆談は、種子島への鉄砲伝来の際、ポルトガル人に同行していた中国人との間でその威力が発揮されました 。もし筆談が無かったら戦争になっていたかもしれませんし、鉄砲が日本に伝わることも無かったかもしれません。
筆談は日本と中国の間だけで行われたわけではありません。朝鮮と日本、ベトナムと日本、琉球と日本、琉球と福建、琉球と台湾での筆談も記録されています。さらには中国人同士の間でも方言の違いの大きさなどから筆談が用いられますし、若き日に日本に留学していた孫文や周恩来と日本人学生とのコミュニケーションも筆談でした。
西洋人が筆談を理解し得ない理由
西洋人には理解し難い筆談。私はかつてアメリカに1年間滞在していましたが、アメリカ人にいくら筆談について説明しても、理解していただけませんでした。「筆談というのは口や耳が不自由な人同士がするもの。なぜ五体満足な人同士で行われるのだろうか」- おそらく、西洋世界では存在しないコミュニケーション方法だと思われます。
西洋では、文字が存在する唯一の理由は「音声を表すため」。つまり、音声が無ければ死んでしまう存在です。音声は「肉体」であり、文字は「衣服」。これが西洋での文字と音声の関係であり、文字だけでは存在する意味がなくなります。
これは東洋の実状に合わないと私は考えました。東洋の人同士で行われたのは「静話」や「無声の対話」、つまり「Silent Dialogue」でした。音声でのコミュニケーションはなくとも、筆談では詩の唱和を含め、実に活発で多種多様の対話が行われていたのです。
交流の妨げを突き破る筆談
東洋人の共通認識としての「言葉」は、①音声は聴覚で捉えるものであり、時間とともに消え、空間的にも流布しない②文字は視覚で捉えるものであり、時間的には古今に伝承し、空間的には天下に達する – だから東洋人は文字を重んじるわけです。
筆談はまさに東アジア諸国間のコミュニケーション方法。しかも「通訳を介しては深い話はできないし、スムーズなコミュニケーションもできない。だから重要な事柄は多く筆話を用いよう」と考えていた人たちが多かったのです。
筆談は、音声の差異が妨げる交流の壁を突き破る方法でした。それは、やはり漢字の持つ特徴によるところが大きいでしょう。漢字なら、音読できない文字でも目で見ると意味を理解できます。「読めなければ書けない」西洋の言語では考えられないことです。
西洋は「聴覚」 東洋は「視覚」
西洋人の中には5ヶ国語や10ヶ国語を操る「スーパーマン」または「スーパーウーマン」がいます。そのような人は聴覚で言語を捉えて言語習得をしているものと思われます。
一方で東洋人は、何百・何千もの複雑な図形のような文字を解読し、しかもそれぞれの字の微妙な差異までも区別し、自由に操ることができます。
最後に王勇氏は、「私たちには長所もあり、短所もある。短所をクローズアップするのは愚かなこと」と述べました。
東洋人、西洋人それぞれに得意・不得意があります。不得意なことをクローズアップするのは愚かなことです。得意なことにクローズアップしていくと良いのではないかと思います。
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関連リンク
国際交流基金賞:https://www.jpf.go.jp/j/about/award/
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