シビウ国際演劇祭 国際交流基金賞 受賞記念講演会「文化外交」(講演:コンスタンティン・キリアック総監督)

取材&構成:徳橋功
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学術、芸術その他の文化活動を通じて、国際相互理解の増進や国際友好親善の促進に、長年にわたり特に顕著な貢献があり、引き続き活動が期待される個人又は団体を顕彰する「国際交流基金賞」
43回目を迎えた今年は、王勇氏)、冨田勲氏(日本)、シビウ国際演劇祭)に授与されました。

My Eyes Tokyoでは、すでに王勇氏による講演「此の時、声無きは声有るに勝る―東洋的文化交流のスタイル―」の模様をお伝えいたしました。今回のレポートでは、シビウ国際演劇祭で総監督を務めるコンスタンティン・キリアック氏による講演「文化外交」をお伝えいたします。

もともと俳優だったキリアック氏は、EUの「欧州文化首都」プログラムへの参加をきっかけに文化・芸術が持つ力を実感し、故郷であるルーマニアのシビウで演劇祭を立ち上げることを決意。1994年3月に3カ国の参加と8つの上演で始まったシビウ国際演劇祭は、2015年には参加国数70カ国、427の上演、1日あたりの参加者数6万5千人に達し、世界最大級の演劇祭へと成長しました。

この演劇祭は、日本とも深いつながりがあります。第2回の1995年から継続的に日本の劇団を招聘し、過去に故・十八代目 中村勘三郎さん野田秀樹さん野村萬斎さんなども参加しています。

キリアック氏は、これまでのシビウ演劇祭の歩みや世界各地の教育機関とのコラボレーション、演劇祭の地域経済へのインパクトなどに言及する一方、2006年に始まった日本の演劇界や教育機関との共同プロジェクトについても熱く語りました。

実はシビウ演劇祭立ち上げよりも前の1990年ごろ、日本との友好を深めるための財団設立に関わった背景を持つキリアック氏。当記事では、故・十八代目 中村勘三郎さんの演劇祭への招聘でのエピソードを中心に、シビウ演劇祭と日本との共同事業についてお伝えします。

講演@東京芸術劇場(2015年10月23日)
撮影:Kenichi Aikawa

 

*キリアック氏によるご講演を、内容を要約させていただきご紹介いたします。

 

1億2000万ユーロと飛行機3機

演劇祭立ち上げから6年を経た西暦2000年、私はシビウにある劇場の監督を務めるようになりました。この大変栄えある劇場を4年間で大幅に変えることができ、おかげさまで今やこの劇場は「国立劇場」という名称をいただいております。当時、日本政府から素晴らしいご支援をいただきました。日本政府の行っていた事業のおかげで、私たちは50万ドルをいただき、それをもってこの国立劇場を改装することができました。

2007年、まさに演劇祭の10年の取り組みを経て、シビウそのものが欧州文化首都の称号を得るまでになりました。それを想定して2006年、私たちは記念事業を実施したいと思いました。

私は2000年ごろから、歌舞伎俳優の十八代目 中村勘三郎さんにシビウにお越しいただきたいと、ずっと思っていました。

初めて私が中村さんにお目にかかった時、彼は「私のことはご存知ですか?」とおっしゃいました。私は「もちろんです」と答えました。すると彼は「私の日本での立場はどのようなものかご存知ですか?」と聞かれました。私は「すみません、存じません」と申し上げました。彼は「私は日本の文化国宝なんです」とおっしゃいました。

「だから、私が出演するなら1億2千万ユーロという保証が無いと、日本を出られないのです」と。しかも「飛行機は1機ではなく、3機に分かれて移動しなくてはなりません」と言われました。要するにリスク分散ということで、3機のうち1機に何かあっても、2機は残るので事業は継続できるという趣旨の発言でした。しかも中村さんのグループは総勢80名いるとのことでした。

中村さんの公演は、4〜5ヶ月前には1700ある劇場の席が満杯になるほど売れ行きが良いということでした。しかも毎日200〜300枚のチケットを販売し、一晩のチケット収入が60万ドルとおっしゃいました。もし海外に出る場合は、演目は1つではなく、必ず4つ出す。そのような形でニューヨークやロサンゼルスでも公演してきたとおっしゃいました。

このお話を聞いて、私は頭の中で予算の計算を必死にやりました。普通の人なら「こんな人を招待するのは無理だ」と思うでしょう。でも私は「絶対に中村さんをシビウにお連れしよう」と思いました。

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歌舞伎役者、“工場”での上演を希望

2007年、今までに無いスケールの舞台を上演しました。旧共産圏時代にあった工場を改装して、120名の俳優が出演する大規模な舞台を行ったのです。その時は残念ながら、中村さんはご都合がつかずお越しいただけなかったのですが、中村さんの劇団のマネージャーである田中さんという方と、監督の串田和美さんが足を運んでくださいました。

初演のあとに大きなパーティーがあり、そこに田中さんと串田さんをお招きしましたが、彼らは「パーティーも良いのですが、もう少しこの劇場の空気を味わわせていただけないでしょうか?」とおっしゃいました。私は劇場の技術監督に同行させ、私は彼に「お2人が何を聞いてきたのか、あとで教えてほしい」と伝えました。お2人は1時間ほど劇場をご覧になったあと「10分ほど時間をいただけないでしょうか」と私に尋ねました。お2人は「十八代目 中村勘三郎と話をしました」とおっしゃいました。そして聞かれました。「もし私たちがこのシビウ演劇祭に参加するなら、この工場で上演させていただけますか?」と。

私は「良いですよ」と答えました。ただし私からは「日本で資金調達をお願いします」とお伝えしました。それに対してお2人は「3日以内にお返事します」とおっしゃいました。

そして3日後、連絡が来ました。「1ヶ月後、東京タワーで行われる記者会見に参加しませんか?」というご招待をいただきました。私にとっては信じられない瞬間でした。その会見にはトヨタや三菱、日立など、日本の最大手企業のトップの方々が100名も揃っておられたのです。そのような方々がいる中、私が会見場に入り、その3〜4分後くらいに中村さんがお1人で会場に入られました。

そのような場で、私はご挨拶をさせていただきました。

 

日本人ボランティアのその後の活躍

シビウ演劇祭では、73もの日本の劇団に参加していただいています。そして2006年以降今に至るまで、プログラムの一環として、127名ものボランティアの方々に参加していただいています。

このプログラムが非常にユニークなのは、演劇祭の10日前から現地入りしていただき、演劇祭が行われている10日間はもちろん滞在し、さらに演劇祭終了後も10日間残ってもらい、演劇祭が評価を受けることになっていることです。

日本からは毎年最低でも15名、2007年は25名、ボランティアとして参加してくださいました。彼らはルーマニアの一般家庭に寝泊まりすることになります。同じような世代同士で友情を育み、ルーマニアの文化や生活に対する理解を深める機会にしていただきたいと考えたからです。

このボランティアの中には、後に日本国内外で著名なアーティストになられた方や、ある映画祭で非常に栄誉ある賞を受賞したボランティアもいます。その中に、日本から参加していただいた安田雅弘さんというアーティストがいるのですが、彼は国際交流基金の支援を得て、シビウ演劇祭である重要な劇を上演しました。

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日本の演劇人、シビウに名を刻む

3年ほど前から、舞台演劇の世界における著名人の存在について考えるようになりました。例えばハリウッドには、映画スターたちを讃える「ハリウッド・ウォーク・オブ・フェイム」があり、通りに手形が飾られます。それと同じことを私が、きちんと権利を取得し、演劇、、音楽の世界でできないだろうか、と考えました。そのようにして生まれた「シビウ・ウォーク・オブ・フェイム」には18名の著名舞台人たちの名前が刻まれており、その中にはペーター・シュタインピーター・ブルックなどの著名舞台人が受賞しています。

大変嬉しいことに、この「シビウ・ウォーク・オブ・フェイム」に十八代目 中村勘三郎さんや串田和美さんの名前を刻ませていただくことができました。*関連記事はこちら

 

日本の高等教育機関との文化交流

私たちは、高等教育プログラムも行っています。大学に演劇や文化マネジメント講座を設けることはすでに話しましたが、今回考えているのは舞台演劇ならびに文化マネジメントにおける博士号のためのプラットフォームです。今では全世界の大学が参加してくださっています。

そして今回の来日中、日本大学の方々と本当に有意義なミーティングを行うことができました。その時のご参加者も、この会場に何名かいらっしゃいます。

また、野田秀樹さんが教授を勤めている多摩美術大学の方々にも会いました。早稲田大学は4名の教授の方々にお会いし、日本女子大学や鳥取大学の人たちにもお会いしました。このような交流を進めながら、それと同時に博士課程を進めるためのたたき台を整備していきたいと思っています。

このようなプラットフォームを作る理由は、舞台芸術における博士課程の概念を変えたかったからです。つまり、より実務的なプログラムにしたいと思ったのです。そうすれば、例えばヨーロッパの偉大なアーティストと野田さんのような人が一体どのような対話をするのかを、ヨーロッパや日本の学生たちが理解するきっかけになると思います。このような取り組みを進めることができれば、より実務的かつ実用的に、劇場で何が起きているのかなどの知識を深めることができます。

その他にも様々なプログラムがあります。全世界にある重要な機構とのやり取りが行われています。例えばヨーロッパにおいては、パリ「オデオン座」やブリュッセルの国立劇場、トリノの国立劇場などとの戦略的なパートナーシップを構築しています。

シビウ演劇祭の質を向上させるため 、上演物については非常に厳密な選抜を行ってきました。その結果、93ものレパートリーを持つ私たちのシビウの国立劇場の上演物全てチケットが完売するまでになりました。これは毎年です。しかも、我々は新たな観客層を生み出しました。これが、私たちが最も重視する成果です。

 

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この講演では、キリアック氏からは十八代目 中村勘三郎さんの演劇祭への実際のご出演の様子については語られませんでした。そのため、この場をお借りして補足させていただきますと、2008年5月にシビウ演劇祭で歌舞伎を上演し、大好評を博しました。そのときは、キリアック氏が講演でおっしゃっていたように“工場”での講演でした。

串田和美—
「ルーマニアのシビウの会場は、工場の跡地でしたから、隙間だらけで(笑)。舞台が午後10時頃にやっと暗くなるんです。」
(歌舞伎公式総合サイト「歌舞伎美人」海外講演レポート “「平成中村座ヨーロッパ公演」第1回 ”より抜粋)

大変悲しいことに、中村さんは2012年12月、57歳という若さで亡くなられました。その翌年の2013年に行われた「第20回シビウ国際演劇祭」で表彰され、同年6月にはシビウ市内で記念式典が行われました。そして「シビウ・ウォーク・オブ・フェイム」に中村さんの名前が刻まれた星型のネームプレートが、シビウ市内の歩道に埋め込まれました。

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中村さんや串田さん、野田秀樹さん、野村萬斎さんなどの後に続くように、シビウ演劇祭に出演する日本の演劇人が増え、演劇祭と日本の演劇界のつながりがますます深まることを、My Eyes Tokyoも期待しています。

 

関連リンク

https://www.jpf.go.jp/j/about/award/
国際交流基金:https://www.jpf.go.jp/

 

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