イスラム教、なぜ遠く感じるの? ~講演会「日本とイスラームの出会い」レポート~

取材&構成:徳橋功
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昨年(2018年)冬、私たちMETがお届けしたある記事が世間の関心を集めました。国際交流基金アジアセンター主催の「東南アジア・ムスリム青年との対話事業(TAMU/Talk with Muslims)」に参加した若手ムスリムたちによる報告会のレポート「東南アジアのムスリムから見た日本社会と日本人」です。この記事が一人の著名ジャーナリストにより紹介され、その後ニュースアプリに飛び火し瞬く間に拡散していきました。

あれから約1年。今年も再び、私たちにイスラム教について深く考察する機会を国際交流基金が提供してくれました。「イスラームへのアプローチ:宗教から考える文化と社会」と題する連続セミナーで、東南アジアのムスリム社会や日本とイスラームの関わりをテーマとする講演会およびシンポジウムが、2019年12月から2020年3月にかけて4回にわたり開催されます。

今回はシリーズ第1回目、講演会「日本とイスラームの出会い」のもようについてお送りします。イスラーム学、特に聖典クルアーン(コーラン)の解釈史の研究を続けられてきた明治学院大学国際学部教授の大川玲子氏を講師に迎え、日本とイスラーム世界の出会いや交流の歴史を中心に、日本人がイスラームに抱きがちな距離感の要因や、イスラーム理解に向けたヒントについてお聞きしました。

講演@国際交流基金本部(2019年12月4日)

*大川氏によるご講演を、内容を要約させていただきご紹介いたします。

 

1. イスラームとは

私は自分のゼミの最初の授業で、ゼミ生に「イスラム教についてどのようなイメージを持っているか」を書き出してもらい、グループディスカッションをします。その時にキーワードとして出てくるのが“戒律が厳しい”“女性差別”“礼拝”“豚肉を食べない”“ベールを強制されている”“信仰心が強い”“テロリストが多数いるのではないか”といったもので、一般にイメージされているイスラム教像に通じるものがあると思います。実際にNHKによる「日本人が各宗教に抱くイメージ」調査でも、イスラム教に対して否定的、または肯定的でないイメージが日本人の間で浸透しています。

イスラム教の礼拝所であるモスクは、建物の様式は違えどイギリスやカンボジア、エジプトなど、世界中にあります。世界各地にムスリムが散らばっているという話はお聞きになったことがあるかもしれませんが、それぞれの地域で、各地の特性を持った彼らの生活が展開されていることを分かりやすく見ることができるのがモスクだと思います。日本でもムスリムが増え、モスクも増えていますが、日本家屋を少し改修して礼拝所にするなどの工夫が、地域に密着する形で始まっています。

 

2. 交流の歴史

ここで日本とイスラームの交流の歴史について簡単に触れたいと思います。

このスライドの右上にある本、タイトルはアラビア語のように右から左に読みますが「インドネシアの回教」です。若い方は回教という言葉を聞き慣れていないかもしれませんが、イスラームのことです。戦前に出版された本ですが、タイトルの上に“大東亜共栄圏”という用語が見て取れます。戦前の日本では、インドネシアにも回教にも大変関心がありましたが、その理由として大東亜共栄圏思想に基づく東南アジアやイスラームへの興味であったことが、この本のタイトルから分かります。ちなみに著書名がカタカナで表記されていますが、実はイスラム教に改宗した日本人のムスリム名です。戦前の日本ではこのような研究・調査が多くあったということが、この本からも分かると思います。

福沢諭吉など当時の知識人の多くが“脱亜入欧”“西洋化”を目指して一等国の仲間入りをするという意識から明治維新が始まりました。ヨーロッパへの視線が強いあまり、アジアやイスラームへの関心が低かったのが明治維新の出発点です。福沢諭吉自身も幕末にヨーロッパに視察に行っていますが、船で移動したため、途中エジプトのスエズ運河を通りました。その際にエジプトを少し見学したようですが、実際「かつてカイロは大変栄えた都だったようだが、今は零落してしまい、もはや見る影もない」ということを書き残しています。やはり当時の日本人にとって学ぶべき対象はヨーロッパや西洋文明、一方でエジプトは古い文明があった場所として、過去のものとして捉えられていた時代だと思います。

しかし、やがて少しずつイスラームへの関心が高まっていきました。大正時代、クルアーンの日本語訳が初めて刊行。ムスリムがほとんど日本にいなかった時代にクルアーンの翻訳が成されたのは、他国の翻訳事情と比較しても大変早いです。その理由はいろいろあると思いますが、「海外の様々な文物を学びたい」という当時の日本人の知識欲が強かったというのが挙げられると思います。もうひとつは国策による研究促進です。また“エルトゥールル号事件”というオスマン朝海軍の和歌山沖での沈没の際の地元住民による救護活動を機に、明治時代から少しずつイスラム教への入信者が現れたという経緯があるといわれています。

そして大東亜共栄圏という、日本を中心としたアジア圏を植民地的に作ろうとする政策を進める必要性からイスラームについて研究するという動きが出てきました。大川周明という、インド研究者として出発した思想家がイスラームに関する書籍も著しています。満鉄の研究所を設立してイスラム教の研究をし、また今でいうスパイを養成していたということが最近明らかになりました。私塾を作り語学を教え、インドネシア、マレーシア、カンボジアにスパイとして送り込み、現地の情報を集めさせたり、日本の味方になる人たちとの連携チームを作らせたりしていました。

先ほどいろいろな国のモスクの話をしましたが、日本で最も古いモスクは1935年(昭和10年)に建てられた神戸モスクだといわれています。これはインド系ムスリムの商人たちが中心となり建てられたもので、現在も残っており、見学も可能です。東京では1938年(昭和13年)タタール系ムスリムが中心となり東京回教礼拝堂が建てられました。タタール系とはトルコ系のことですが、彼らはロシア革命後に日本に亡命してきた人たちです。タタール系ムスリムと日本の軍人や政治家、財閥がネットワークを構築していたようで、回教政策の一環としてムスリムたちが支援を受けたと伝えられています。日本が中国を支配しようとしたことから、大陸のムスリムに日本の軍部や政府が強い関心を持っていたのが、戦前から戦中にかけての話です。この東京回教礼拝堂は、木造で古くなったため解体され、2000年に全く新しいモスクとして建て直されています。それがオスマン様式のモスク“東京ジャーミイ”です。

敗戦後、それまで国策により研究が進められていたイスラームへの関心が完全に断絶。日本国内にイスラームへの研究蓄積があったものの、GHQがアメリカに持っていってしまったといわれています。その後1970年代のオイルショックなどを経て“石油産出地域”という印象、また“戦争・紛争地域”“テロリストが跋扈”というネガティブなイメージも抱かれるようになってきました。一方でムスリムからの日本文化への関心が、若い世代の人たちを中心にアニメや食べ物に対して強まり、また日本の高い技術力もあり、日本に対し概ね好印象を持つ親日家が多いです。

昨今の大きな特徴として、日本国内にモスクが増加していることが挙げられます。これまではムスリムと言えば、日本の外にいる人たちが争っているというイメージだったと思いますが、日本の内なる問題としてイスラームを捉えるという時代がもう始まっています。正確な人口統計はありませんが、日本に住むムスリムは10数万人と考えられており、内訳は日本人の改宗者、海外から商用目的で日本に居住している人、留学生、特に東南アジアからの旅行者です。それに伴いハラールや礼拝施設などの対応を迫られる時代に突入しています。またクルアーンの日本語訳の翻訳も進んでおりますが、研究者に代わり“ムスリムの日本人による日本語訳”が増えているのが最近の特徴です。2019年は2冊のクルアーン日本語訳が出ています。さらに、新大久保駅前に“イスラム横丁”という、ムスリムが経営するレストランや雑貨店、食料品店などが集まる一角があり、日本に居住するムスリムの生活が構築されていることが分かると思います。

 

3. なぜ遠く感じられるのか?

これはムスリムの居住地域が緑色の濃淡で表されている地図です。緑が濃いほどムスリムの人口割合が高いのですが、ご覧のようにそれらの地域は地理的に日本から決定的に遠くにあり、歴史的なかかわりが少ないということになります。一方ヨーロッパは、地中海を挟んでムスリムの人口割合が高い地域と隣接しており、十字軍やレコンキスタなどキリスト教とイスラム教の攻防が繰り広げられました。またムスリムの居住地域がヨーロッパの植民地となった歴史があります。その中から独立を果たした地域にも問題は残り、特に旧宗主国への移民や難民の問題が深刻です。ヨーロッパと中東が地続きということもあり移動が可能であることから、偏見や敵対を含め地中海周辺に住む人たちがムスリムに触れる経験を持ち、イスラームへの知識を蓄積していきました。しかし日本ではそうはいきませんでした。

もうひとつ、かつての日本全体の傾向として明治維新以降、近代化や西洋化、戦後復興など国際社会への復帰を目指しましたが、その“国際社会”は西洋諸国を指していました。明治時代の岩倉具視の視察団などの写真にみられるように「西洋的なものを身に着けてこそ国として成り立つのだ」という意識が人々の間にあるのが日本です。ただしそれは日本だけにみられる現象ではなく、中東でも同じで、西洋をどのようにイスラームと折衷させるかということが長らく問題とされてきたわけですが、日本では西洋を重視してきたため、イスラームへの関心が抜け落ちていました。

3つ目の背景としては、宗教文化が違うことが挙げられます。イスラームは唯一神アッラーを信仰し、戒律が存在し、ムスリムの同胞意識が強いです。「日本人よりも彼らのほうがよっぽどフレンドリーだ」という声を多く聞くほど、異教徒に対し排他的な態度を取る人たちはごく一部に限られます。ですが、それでもムスリムが被害を受けるニュースに接すると、それ以外の地域に住むムスリムから何らかの反発が生じるほど、世界的な同胞意識が強く存在しています。一方で日本では、個人差はありますが多神教的で、ゆるやかな宗教習慣が根付いています。初詣など宗教的な行動がありますが、確立した宗教意識で行われているかどうか判断が難しいのが日本社会だと思います。このように緩やかに宗教と付き合う、もしくは宗教と付き合っていると思わずに宗教的なものを習慣として受け入れている日本人にとって、イスラームには確固としたものがあるように見え、理解しがたいと思うのだろうと考えます。

 

4. 理解へのヒント?

では私たちは、どのようにムスリムを理解すれば良いのでしょうか?私自身も「これが良いのだ!」という答えがあるわけではなく、試行錯誤を続けていますが、実際に私が考えていることを含めお伝えできればと思います。

まずは現状の確認です。グローバル化により人や物、情報の移動速度が極めて速くなり、遠くにあるものがすぐ近くまで来るようになりました。また“常に変化”しています。変化しているのが当たり前なので、それを“変化”と言うべきか分からなくなるほどです。これらの流れを絶対に止めることができないとは言えないかもしれませんが、よほど大きなことが起きてこの流れが止まらない限り、グローバル化の状況を認めたうえで生きていくほうが、生活しやすいでしょう。しかしその流れが良いことばかりを生み出すとは限りません。対立や摩擦が生じやすくなり、中でも最も残念なのが暴力による対立や摩擦の増加です。また貧富の格差も広がりがちです。グローバル化以前の時代であれば接触しなかったであろう人たち、知らずにいた情報かもしれません。ですが、今ではそれを無視して昔のままで安定していることが難しくなっています。

このような状況で、どのようにムスリムと共存すべきでしょうか?

まずは、ムスリム諸国や国内のモスクに行くなどの“行動”を通じて彼らの文化を体感することです。そして“受け入れてみる”。例えばムスリム諸国から来た留学生を自宅に招くなどは、国内でもできることだと思います。

あと“会ってみる”“知ってみる”。私のこの講演以降に国際交流基金さんが主催されるイベント、また国内で開かれるイスラームおよび中東の映画祭に足を運んだり、本を読んだりすることですね。イラン生まれエジプト育ちの日本人作家・西加奈子さんの小説『サラバ!』や、アメリカ留学中にルームメイトになった日本人女性とサウジアラビア人女性が抱く驚きや感動、友情を描いたマンガ『サトコとナダ』、イギリスのパキスタン系移民の家で生まれ育った、同性愛者かつムスリムかつファッションデザイナー、タン・フランス氏の自伝『僕は僕のままで』など、機会があれば読まれると良いと思います。『僕は僕のままで』はまずNetflixで若い人たちの人気を呼びましたが、この日本語訳が出版されたことで、日本社会の異文化の受け入れ方にも幅が出てきたことを感じました。イスラームやムスリムに関する情報が少ない日本では、まず“行く”“受け入れる”“会ってみる”“知ってみる”といった行動の段階が必要だと思います。

ただし、異文化をある程度知った後の課題である“ものの見方”が重要だと思います。いくら知識を吸収しても、その後の行動はものの見方に左右されるからです。皆さんにも経験があるかと思いますが、特定の集団の中にも様々な人たちがいます。自分と気が合う人もいれば気が合わない人がいます。ビジネスで不愉快な思いをすることもあると思います。そうなると「やっぱり〇〇は△△だからダメだね」と無意識に優劣をつけてしまいがちです。

それを“文化やアイデンティティの単一化・本質化”と呼びます。単一化は“ある事象だけに限定すること”、本質化というのは「それが彼らの本質なのだ」と捉えることです。敢えて極端な例を出すと「イスラム教徒はテロリストで、常に異教徒を攻撃している」という考えを抱いた場合、それはイスラム教の文化やアイデンティティの単一化・本質化といえると思います。これはある意味で楽で、本当は多様であるにも関わらず、ひとつのレッテルで括ってしまう。それはやがて“自他を分ける危険性”、つまり「自分たちはあんなことはしない。だから自分たちのやり方は優れており、正しい」と考える危険性につながります。そして“拘泥”(ひとつのものにこだわること)“偏狭”“他者否定”のように、自分の考えに執着してそこから抜け出せなくなります。例えば近隣諸国へのヘイト的な発言をした場合、たとえそれが部分的に正しいとしても、全部の内容を正しいと言い切ることはまずあり得ないと思います。しかし自他を分ける考えに執着してしまうと「正しくないことをしている人たちは、暴力でもって攻撃し、抹殺しても構わない」という発想に段階的・究極的に陥る恐れがあります。

このような議論は日本ではあまり聞かないように思いますが、世界的には盛んになっています。アジア初のノーベル経済学賞受賞者であるインド出身の経済学者、アマルティア・セン氏が著した『アイデンティティと暴力』に次のようなことが書かれています。文化(生活や行動、思考)はアイデンティティ(帰属意識)に大きな影響を与えるほど重要なものであるが、文化を不変的なものと捉え、1つの特定の文化のみにアイデンティティを依存させると暴力が生じる可能性がある、と。彼はヒンドゥー教徒ですが、インド国内のヒンドゥー教徒とムスリムの対立を子どもの頃から目にし、また国内の飢餓や貧困などの問題を解決すべく経済学の道を歩んだ人として、その関心の根には宗教対立や貧困問題があります。

もう一つご紹介するのが、レバノン出身のキリスト教徒で、フランスで活躍する作家・ジャーナリスト、アミン・マアルーフ氏の『アイデンティティが人を殺す』というタイトルの著書です。レバノンという、ムスリムとキリスト教徒が共存しながら作られた国に育った彼は、幼い頃から両者の関係性の中で過ごしてきたため、ムスリムについても精通しています。その彼の著書には、こう書かれています。「アイデンティティはただ一つの帰属しかないという考え方によって、人々は偏った、党派的で、不寛容で、支配的な、ときには自殺的な態度に陥り、殺人者や殺人者の支持者になってしまうことがしばしば起きている」。この部分はテロリストを念頭に置いて読んでいただけると分かりやすいと思いますが、その根本的な理由は、アイデンティティをあまりにも狭くとらえているからだ、というのが彼の主張です。

もちろんアマルティア・セン氏もアミン・マアルーフ氏もアイデンティティ、つまり「自分はここに立ち位置があるのだ、所属しているのだ」ということへの誇りや連帯意識が悪いとは言っていません。ただアイデンティティを、極狭いひとつのものに特化してしまうことの危険性を指摘しています。

ではどのようにアイデンティティを保っていけば良いのか?ということですが、“ゆるやかな自他”、つまり自分と他人の線引きを可能な範囲でゆるやかにしていくことが必要かと思います。自分と他人をはっきりと線引きすることで他人を否定することが可能になりますが、そうではなく、できるだけ自分と他人の境界線を緩やかにしていく。決して簡単ではないですが、その方向に進むほうが、このグローバル社会では生き易さに通じるのではないかと思います。

皆さんは家庭に所属され、学校などの背景がおありだと思います。ほかにも会社や趣味の世界など、個々の活動がおありだと思います。よく考えてみれば、たった一つのアイデンティティで生きている人などいません。いくつもの要素が入り混じって“自分”というものが形成されています。社会学者である上野千鶴子氏の著書『脱アイデンティティ』にもそのようなことが書かれていますが、社会が多様化し、人々の活動も多様化しているため、一つのアイデンティティ、一つの村に生まれてから死ぬまでずっといるような時代では無くなっており、様々な帰属先があります。それが“ゆるやかな自他”につながるのは、例えば先ほど挙げたタン・フランス氏のように、パキスタン系イギリス人でムスリムで同性愛者でファッションデザイナーであるという様々なアイデンティティを持っている場合です。それらを彼は自分の人生の中で使い分けてきた、または使い分けることを余儀なくされてきました。もし彼がそのような多様なアイデンティティを持っていなかったら、今の彼は存在していなかったでしょう。

このように“自分の中の多様性”を確認し、それが他の人たちとつながっていることに気づくと、自分とほかの人との境目がゆるやかになっていきます。例えば趣味を同じくする友人、信頼感を抱く職場の同僚、愛情を持つ家族など、皆さんが無意識のうちにこのような関係を構築していると思います。

そのような関係をムスリムに対しても同じように構築すれば良いだけではないでしょうか。相手はムスリムで、自分はムスリムではないと考えるかもしれませんが、相手の趣味が映画で、自分の好きな映画俳優をその人も好きだったりすれば、それだけで友達になれるでしょう。たくさん知識を身に着けるのは良いことですが、意外にそこまで身構えていない人のほうが、ムスリムなどにも友達が多いということはよくあります。自他を分ける線を一度外して付き合っていくというのも、ひとつの付き合いの在り方だと思います。自分を狭く捉えず、他者も狭く捉えない。また相手も同じように「何か自分のアイデンティティの1つとつながるものがあるのだろう」と捉えれば良い – このような生き方の提案が、今の日本にも入ってきていますし、その方が生き易いのではないでしょうか。「あの人は○○だから」「あの人たちは△△だから」と言って自分たちと分け隔てるのではなく、つながっているものを探したほうが生き易いのではないかと思われるのです。

それでも大きく前進してきました。私がイスラーム文化やイスラーム思想の研究を大学で始めた頃に比べ、日本社会がムスリムやイスラーム文化を随分と受け入れるようになったことは間違いありません。まだまだだと思われることもあるかもしれませんが、一生懸命、真面目にムスリムとの付き合い方を考え、試行錯誤することで経験が蓄積されているのではないかと思います。

だからあまり悲観することはありません。日本人が前向きにムスリムと付き合うことができるように進んでいくことを期待しています。

 

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当記事の冒頭でお伝えしたように、この講演から始まった連続セミナー「イスラームへのアプローチ:宗教から考える文化と社会」は、2020年も続きます。
・第2回「映画から読み解く東南アジアのイスラーム -マレーシアを中心に 」(2020年1月24日開催)
・第3回「多様なイスラームのすがたと日本の未来」(2020年2月27日開催)
上記イベントの参加申込を受付中。詳細は各イベントタイトルをクリックしてご覧ください。

 

関連リンク

国際交流基金:https://www.jpf.go.jp/
国際交流基金アジアセンター:https://jfac.jp/culture/

 

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