フダ・セラミさん(チュニジア)

インタビュー&構成:徳橋功
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Houda Sellami
チュニジア @ 埼玉県ふじみ野市
(2010年6月に来日)

 

食べ物を日本人の好みに合わせて作るのと同じように、日本で生活していくためには、私自身も日本の文化に合わせるべきだと思います。

今回の「MET x Niki's Kitchen」は、北の地中海を臨む国・チュニジアから来た先生のご紹介です。

フダ・セラミさん。とっても穏やかで、とっても優しくて、とっても物腰柔らかな女性です。を席巻した「ジャスミン革命」が起きた国から来た人とは思えない・・・と言ったら「実家に聞いたら”そこまでひどい状況じゃないよ”と言われました。メディアはいつも大げさにするものですよね」。ニュース番組では知ることの出来ないその国の真の姿を垣間みられるのがNiki's Kitchenです。

フダさんの本業は糖尿病専門ので、母国チュニジアとフランスで医学を学んだという超才女。でもそのようなそぶりは一切見せず、教室ではあらゆる仕掛けで生徒さんを楽しませていました。きっと、かのナイチンゲールはフダさんが生徒さんに向けるような眼差しを、傷ついた兵士に向けていたのではないでしょうか。

チュニジアという国をテレビで初めて知った方、チュニジア料理を食べたことが無い方、チュニジア人とまだお会いしたことが無い方・・・このインタビューを読んで、紀元前の昔から続くこの国を身近に感じていただけたら幸いです。

*インタビュー@埼玉県ふじみ野市
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家族で楽しむラマダン

今日私たちは「イフタール」という、ラマダン月のメニューを作りました。これをいただくのはラマダンの間だけで、とても古くからあるものです。普段はお父さんもお母さんも働いていて、家族そろって食事するのが難しかったりするのですが、ラマダンの間だけはそれができるんです。なぜなら、働いている人は普段よりも早く帰れるからです。だから私たちは、ラマダンをいつも待ち遠しく思います。

ラマダン月に行う断食ですが、食べ物を口にできる時間は場所や季節によって変わります。例えばチュニジアの夏の時期だと、私たちは朝4時から夜8時まで一切の食べ物や飲み物を口にしません。これがフランスだと、夜10時までになります。さらにラマダンは太陰暦(ヒジュラ暦)に基づいて行われるため、年によってその時期は変わり、長い年月で見ると全ての月で行われることになります。例えばある年は5月に行われ、またある年は12月に行われる、という感じです。場所や時期は違えど、私たちはラマダン月の間は様々なお料理を作ります。


フダさんお手製の超キュートなレシピ! *クリックで拡大

 

女子トークで先生力アップ

Niki's Kitchenでの私の最初のクラスは、2012年1月末でした。元々はNiki'sでフランス料理を教えていたソフィーさんから、昨年12月にこの料理教室のことを教えてもらいました。

ソフィーと出会ったのは、東京で開かれたフランス女性ミーティングでした。彼女は自分の作るマカロンのことに加えて、Niki'sのことも話してくれました。お料理に自信のあった私は、その料理教室に俄然興味が湧きました。なのでソフィーに、どうやったら自分のクラスを開けるのか聞きました。彼女は「まずは主宰者のNikiさん(棚瀬尚子さん)に連絡してみたら?」と言いました。ソフィーがNikiさんに出会ったのは2年前だそうですが、それにならって私もNIkiさんにメールを送り、お会いしました。2012年1月半ばのことです。

Nikiさんは私のお料理を召し上がる前に、クラス開講をOKして下さいました。Nikiさんに出会ってすぐです。お料理を作って差し上げる代わりに、私はNikiさんに私がどれほどお料理が好きで、どれほどの経験があるかをお伝えしました。私の家族はチュニジアの実家にお客さんをたくさんお招きしてきました。そしてその度ごとに私は母を手伝いました。Nikiさんはそんな私を信頼してくれたのだと思います。ただしNikiさんは、1回のクラスで教える料理やデザートの品目数については私にきちんと釘を刺しました。

私がNiki'sで教えた最初のお料理は、具を詰めた春巻きのような「ブリック」、トマトベースのスープ「フラーレム」、クスクス、そしてデザートの「マクルード」でしたが、私はそれらにもう1種類加えました。Nikiさんも来てくれたのですが、彼女からは「ちょっとメニューが多いですね」とクラス後に言われました。

Nikiさんは今でもいろいろ教えてくれます。特にメニュー作りについては、日本人の味覚に合うものを選ばなくてはなりません。だから私はクラスの前にいつもNikiさんや他のスタッフさんに、当日作ろうと思っているお料理を伝えています。それは今でもです。

このプロセスはすごく大切です。なぜなら私は日本人の口に合うチュニジア料理を作りたいと思っているからです。日本人が私たちの古くからのお料理を好まないということだってあります。だから困ったときはすぐにNikiさんに相談です。私は彼女と話すのが好きなんです。メニューとかレシピの話だけでなく、ガールズトークだってするんですから!(笑)

 
 
 
「イフタール」のお料理たち(タジン・マルスーカケフタシャクシュカバットボート、サラダ、マンチャ)
2012年8月2日

 

家族のためにお料理を作った少女時代

私がお料理を始めたのは10歳の時です。両親が用事で外出して、帰って来るのが遅くなると、私たち子どもがお料理をしなくてはなりませんでした。私は3人姉妹の2番目でしたが、お料理担当は私でした。「マルカ」というシチューのようなものを作ったのが、私の初めてのお料理体験です。材料がトマトと数種類の野菜だけという、とっても簡単なお料理なんですが、水っぽくなってしまいました。火事が恐くって、たくさん水を加えてしまったからなんですけど(笑)

私の母は大学の教授だったので、毎日仕事をしていました。出張も多かったので、家を空けていることが多かったです。私の姉も工科大学に進学したので、家の外にいる時間の方が長いくらいでした。だから長い間、私が妹と父にお料理を作ってあげたんです。時々うんざりすることもありましたが、でも基本的にお料理は好きでした。母がフランスの料理本をおみやげに買ってきてくれたりして、のお料理についても学びました。それも楽しかったですね。

 

生徒さんは「ゲスト」

私にとっては、生徒さんは単なる生徒さんではありません。私にとって生徒さんは大事な「ゲスト」です。私は先生と生徒という上下関係が好きじゃないんです。私たちは一緒にお料理し、一緒にお皿を洗い、そしてお料理をいただくのも一緒。全部一緒に行いますから。

私の母はお料理だけでなく、来て下さった方々へのもてなし方も教えてくれました。チュニジアの私の家族は、たくさんの人たちをお呼びし、その度に約20人分のお料理を用意しました。それが私の婚約や結婚記念のパーティーであっても、私たちがご用意しました。私の母は、お客さんをおもてなしすることの大切さを、私に叩き込みました。きちんとテーブルセッティングをし、お部屋をきれいにしておくこと、これらの教えを、私たちの家系は代々守り、受け継いでいるのです。テーブルセッティングやお掃除などのお食事のための準備は、お食事を差し上げることと同じくらい大切。私の母はよく言いました。「お客様へのおもてなしは、それ自体が芸術なのです」と。

この母の教えは、私のクラスにも言えることだと思います。でも私は自分の日本語力の足りなさから、一番最初のクラスに対しては及び腰でした。初めてのクラスの時、私は常に「ゲスト」たちの動きを見て、皆さんが何を求めているのかを探ろうと努めました。でも彼女たちが日本語でお互いに話しだすと、たちまち混乱しました。「本当は何を欲しがっているのだろう?」「何を必要としているのだろう?」私は皆さんが本音では何を考えているのか、そればかり気にかけていました。だからひっきりなしに皆さんに「どんなことを話しているの?」「私のクラス、楽しいですか?」と聞きました。そうやって彼女たちを理解しようとしたのです。これまでに私は延べ200人の「ゲスト」をお招きしてきました。

 

☆☆☆ ポトラックパーティー ☆☆☆

2012年8月28日@フダさん家
 
 ☜お米で作った、すっきりとした甘さのデザートです!!
  
  
  
フダさんとお料理好きの女性たちが食べ物をシェアし合い、アラブの文化を学び、そしてガールズトークに花を咲かせていました。国や文化は違えど、女子同士すぐに仲良くなりました♪

 

目の前に立ちはだかる言葉の壁

結婚する前は、自分が日本に来るなんてことを想像したことが無かったです。主人は日本でもう12年生活していて、私と婚約したのは3年前でした。つまり、私が日本に来た理由は彼です。結婚してからわずか4日後に、私は日本に来ました。

私が幼い頃、「サスケ」という日本の忍者アニメが好きでした。チュニジアでもについてはいくつか勉強しましたが、とっても遠い国という印象は拭えませんでした。やはり地理的にも近いヨーロッパに親近感があります。だから主人に聞いたんです。「何で日本に行くの?」って。そしたら「好きだから」としか答えてくれませんでした(笑)

主人は日本語がペラペラです。でも私にとっては・・・日本語ってとても難しい。本当はもっと動き回りたいのに、言葉の壁があってそれも無理です。仕事をしたいし、いろんなものを見たいし、いろんなものを発見したい。だけどこの日本だと、大人なのにもかかわらず道に迷ったりするんです(笑)そして道を聞いても、相手が日本語で返して来るともうダメ。混乱してしまいます。

私はコミュニティではなく、日本人の中で生きたいのです。日本人の近くで生活したいのです。私たちの近所に住んでいる人は、私を見かけるたびにご挨拶してくれるものの、私は少し話して「ごめんなさい、これ以上は分からなくて・・・」と言って別れなくてはならない。その方との会話をもっともっと楽しみたいのに、本当に残念です。

 

相手が考えていることを推測し、自分自身を異なる文化に適応させよ

でも言葉の壁は崩れつつあります。言っていることが分からなくても、何となく推測はできます。何故なら、日本人の皆さんの考え方は、私たちの考え方とそれほど違わないからです。それどころか、世界中の人たちに、考え方の違いはそれほど無いと私は信じています。

しかもチュニジアの習慣は日本のそれと似ている部分があります。例えば日本人は出された食べ物を残さないですよね。残すのは失礼なことだと教えられているからですが、私たちも同じように考えるんです。あと、私は確かに活動的な女性になりたいですが、それは自分の夫に対して「あれやって、これやって」と命じることではありません。そんなことはしたくないです。これも日本の女性と似ていると思います。

だからか、日本では文化的な壁は全然感じません。もちろん、私たちはイスラムの慣習を守っていますから、それらが日本の文化とちょっとズレる点もあります。でもそのような場合は、許せる範囲で日本の文化に合わせる必要があると私は思います。日本で生きていく以上、私たちは柔軟にならなければいけないのです。

 

フダさんにとって、NIki's Kitchenって何ですか?

今私のお腹に赤ちゃんがいるんですが、それでも続けたいものです。きっとこの子もそれを望んでいると思います(笑)

クラスの間は、辛いことを忘れられます。ゲストさんたちと楽しい時を過ごし、ゲストさんたちと一緒に笑います。だから私は教え続け・・・いえ、教えるのではなく、私の文化を日本人のゲストさんたちと「シェア」したいのです。だけでなく、アラビック・カリグラフィーやベリーダンスなどの様々な文化をシェアしたいのです。

ゲストの皆さんに、あたかもチュニジアを旅するような気持ちでクラスを楽しんでくれたらうれしいですね。

 

フダさん関連リンク

フダさんのページ@Niki's Kitchenウェブサイト (日本語):クリック!

 

My Eyes Tokyo

Interviews with international people featured on our radio show on ChuoFM 84.0 & website. Useful information for everyday life in Tokyo. 外国人にとって役立つ情報の提供&外国人とのインタビュー

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